見出し画像

救急車に乗るの?若かりし母が参列した結婚式での出来事

突然ですが、救急車に乗ったことありますか。
自分が搬送されるのではなく、付き添いという立場でである。
祖父と祖母が亡くなるとき、主治医からは異変が生じたらすぐに救急車を呼んでウチ(かかりつけ大病院)に搬送してもらうよう告げられていた母。それまでは患っているガンを終末まで慣れ親しんだ自宅で療養させてあげていた。いよいよその最期の日を迎えた際、それぞれ救急車に乗ったことを母がフト思い出した。
「私は救急車に3度乗ったことがあるからね」と母がポツリと言い出した。あれっ?じーちゃんとばーちゃんの最期で2回じゃないの?と聞くと、だいぶ過去に1度不本意な付き添い乗車があったそうだ。


へー!それは初耳だわ、かあちゃん。


それは友人の結婚式当日に起きた不慮の出来事だったらしい。
参列した大学の同期4人が披露宴会場に着席し、しばらくして宴会が始まった。開始のあいさつを聞いていたところ、先ほどからひとり離席していた参列者のAさんが体調を崩していると仲居さんが新婦友人席にいた母たち3人のもとに駆け付けてきたそう。

「あの、お友達が具合が悪いようで、廊下でうずくまっているから来てあげてください」


えっ?うずくまっているの?


母が慌てて駆け付けると、Aさんが胃の痛みを訴えて七転八倒していた
その日Aさんは女性特有の日を迎えていたことと、なにより普段着慣れない和装で来たことのダブルパンチで体調を崩したようだった。
3人の友達のうち、一人はこのあと歌を披露する役割があるらしい。そんな人に介抱をお願いするわけにもいかず、気づけば母がAさんの介抱をすることになった。しかし特筆すべきは母はAさんと仲良し友達ではない。犬猿の仲とかそう意味ではなく、同じクラスにいる人同士の関係で現代でいう「よっ友」以下であった。
こうしている間にスタッフの救急要請で母はさほど仲良くもない知人のために救急車に付き添い乗車することになってしまった。
母に聞くと「すごく嫌な気持ちだった」とのこと。そりゃそうでしょう。なにせ、挨拶をちょっと聞いた程度で強制退場を食らい、その後水一杯もクチにできない目に遭うのだから

飲み物ぐらい飲ませてよ!!

ドレスとハイヒール姿で救急車に乗り込もうとする母に、仲居さんが駆け寄り「クロークの鍵をください!お預かりします!」と言ってきたそうだ。それも後になってわかるが、母はその日結局結婚式会場に戻ることはなく、その救急病院で閉式後に残った友達二人が持ってきてくれた母の着替えを受け取り、病院のお手洗いで着替えてそこから帰宅したのだから。クロークの鍵を母が握っていたら、一度式場にもどる手間が発生する。そのことを見越した仲居さんが気を利かせてくれた(この点はグッジョブ)。


搬送先の病院は赤坂のどこかの救急病院だったそうだ。
結婚式は日曜日開催だったそうなので、トウゼン一般外来は照明も消えて真っ暗。全体的にうす暗い救急部の廊下でドレス姿で何時間も待つ(点滴って時間かかるもんね)母はそれはそれは無念だったそうだ

おかあさん、どんな気持ちだったの?


お祝い事の日じゃなかったの今日は?


結局その出来事が終わって、いろんなモヤモヤが残ったそうだ。
① 当日朝から式参列のために身支度をして早々に出発し、その後ジュース一杯も飲まずに、夕方まで救急病院に置き去りにされ、それが済んで帰宅するまで自分に課されたことに対する慰謝が皆無だったこと。
② 保険証不所持のAさんの治療費約1万円を立て替えさせられたこと。
③ ひとくちも口にできなかった料理たちは普通折詰にして持たせてもらえるハズなのに、それが無かったこと。
④ 総じて新婦側両親からひとことの声がけもその後一切無かったこと。


それどころか、トンチンカンは続きます。
少々愚痴っぽくなってきたので・・・・

BGMはヴィヴァルディ「四季」より秋 第1楽章をどうぞ!


母は参列当時まだ家事手伝いの見習い期間のため、手持ちが決して豊かではないのに立て替えた「なけなしの1万円」を、こちらが返金を要求するまでAさんからは無しのつぶてだったそう。その後新婦のYちゃんからは「〇〇(母のあだ名)、Aちゃんはね元気になったみたいだから心配ないよ~」という的外れな電話が入ったもよう。

いやいや、そーじゃなくて・・・


ここまでの語りを聞いて母に真っ先に言ったのは「日枝神社の披露宴係から折詰もらえなかったの?」というツッコミである。食の恨みは一生モノ(先祖代々。笑)である。
普通は披露宴で食べきれなかった料理は、折詰にして帰りに持たせてもらうのが一般的(昭和時代はそう)。生前祖父も宴席ではお祝い酒でおなかが膨れてしまうので帰りによく鯛の尾頭付きを折詰にして持ち帰ってきたと母は言う。そのことを知っているだけに、よくよく考えると「私の折詰は~?日枝神社さんひどい!」と今ごろ呪いをかけだす始末
当時、搬送された救急病院も結局どこだったのか分からず、帰路は病院から駅までタクシーに乗ったそうだが、そのタクシーがどの駅まで向かったのかもカイモク思い出せないそうだ。それも当たり前である。疲れてクタクタだったのだから

母よ、おつかれさま。


「バヤリースぐらい飲みたかった」と母

ストーリーを聞いている側からすれば、どうして駆けつけてきた後発隊の友人2名は飲み物の差し入れはおろか、手を付けることができなかった料理の折詰を持ってきてくれなかったの?と疑問が残る。

教員時代、なにかのイベント等で先発隊の人に合流する場合は「おつかれさまです」的なドリンクやお菓子の差し入れをしたし、差し入れなくても、労をねぎらうなにか声がけの一つもするものです。
心優しい母は「きっと自分の着替えと私(母)の着替えと人数分の引き出物で両手がふさがっていて折詰まで持てなかったのだろう」と納得しつつあるが、どうにもシッポリ来ない話

たまたまAさんのキャラがちょっと弱かったということが悲劇を助長したのだが、そのあともまだまだ悪い。
なかなか返金してこないAさんに母はしびれを切らし、ついに「お金を返してほしい」と本人に電話を入れた(普通こんなことさせないよ?)。電話口のAさんからは返金の意思はあるとのことだったので、「〇月✕日に新宿の〇〇という喫茶店でお友達数名とお茶をするからそこにおいで」と母が呼び出し、その時に返金してもらう約束をした。だが、その時もなんともモヤモヤした場面があったそうだ。

約束の日、喫茶店で母と再会してもお金を出す様子もなく、母のグループのお友達の会話を楽しそうに聞き入っていたAさん。
普通顔を合わせるや否や「あの時はお世話になり申し訳ありませんでした!!」と即刻返金しお詫びするのかと思いきや・・・そうではなかった。
呼び出した母は内心「お金いつ返してくれるの?」とやきもきしていたところ、その場にいた事情を知っている母の友達が「(初対面だけど)Aさん、ところでお金は返せたのぉ?」と気を利かせて言ってくれて初めて返金してきた

なんのためにここに呼び出したのかわかっているのかい?


友だちが声がけしなかったら、いつお金を返すつもりだったの?
あなたは仲良しでもない女子たちのお茶会にアウェーで参加してなんのためにここへ来たの?と、なぞだらけの体験談であった。


母は言う。
「昔はねぇ、あんたたちみたいに女子が学校出たらすぐ働く。男女同等などと社会で振舞うことなどできなかったの。だから言われたら応じる、自分からは発しないという奥ゆかしい女子が母さんの周りには多かった。だからいま文句を言っても仕方がないことだけど、気持ちのいい話ではないよね。」

そ、そんな社会~無理や~

わたしだったらソッコー言いたいことは問いただしてしまう。とくに迷惑かけた系の話題ならなおさら。

もうしわけない~


「ありがとう」と「ごめんなさい」はニンジンみたいに、目の前にぶらさげておけ!


筆者が初任のころに先輩教員から教わった言葉である。
教員としての基礎基本である。今はどうかな?

母はこうも振り返る。
「なんだかその日の思い出ってね、外にわざわざお金をかけて疲れに行ったような日。何しに行ったの自分?といった呆れるでも腹を立てるでも悲しむでもなんともいいがたい一日だったから50年近く経過しても覚えているんだ


昨日のことは忘れても昔のことは覚えている現象ね


だいじな友達にそんなツラい思い出を作るなよな~」とツッコミを入れながらも、これをコンニチの自分たちにぜひとも活かそうと考えた筆者である。

本件は意図的ではない話なだけに、当該者を恨むつもりは毛頭ない。
しかし、確実に一人の人間にツラい思い出を残したことは確か。
これを参考に生徒たちに発展的な行動ができるようこれからも話をしていきたいと思う。

気が暮れるのが早い。冷えてきた。

筆者の冬旅はまだまだ続く。。


月を見よ曾良よ by芭蕉

いいなと思ったら応援しよう!