フォーカシングって。
前回は、カウンセリングを諦めたらフォーカシングに出会ったところまで書いた。
間違いなく、このときの体験が基礎になって、今のわたしはここにいる。
ということで、その理由を書く。
カウンセリングとフォーカシングの違い
端的にいうと、身体という要素がその中にあるかどうかだ。
心の声を聞こうとするとき、身体を通すことでしか、本音は聞こえない。
頭だけで理解しようとすると、どうしてもズレが生じる。
というのが結論である。
口だけのひとを信用しますか?みたいなイメージで捉えるとわかりやすい。
補足していく。
心の傷やトラウマを思い出すとき、感情や体感が溢れ出る。
それを慌ててそのまま言葉にしようとするのではなくて、身体を通して感じる、というステップを踏む。
感じるのはつらいけれど、最後まで感じきると終わる。
その傷を感じきれば、その傷の終点に行き着く。
言葉だけで理解しようとすると、どうしてもそこにいけない。
感じ切って、最後に言葉に行き着くことはもちろんあるけれど、前者と後者の違いは、厚みとなって確実に現れる。
この感じ切る作業は、自分ひとりの方がやりやすいように思う。
他人がそばにいると、没頭しにくい。
そして、身体を通すことは、その難易度を下げる。
身体は素直で、嘘をつくことができないからだ。
カウンセリングに通おうと思ったのは、身体が悲鳴をあげたからだった。
心を無視して、生きようとする頭に、身体が抵抗したのだ。
そういうひとはわたしだけじゃないはずだ。
身体は、自分のあるべき姿の形を覚えていて、いつだって教えてくれている。
身体は、指標であり、目的地をあらわすガイドになる。
「生理的に受け付けない」そう、女性の感覚はいつだって正しい。
フォーカシングは思考ではなく、身体の反応にフォーカスして、心理にアプローチする。
その方法が正しかったから、わたしは普通の生活が送れるところまで回復したのだと思う。
自分だけの安全な場所をつくるワーク
フォーカシングで得たものには、今でもお世話になっている。
前回書いたカウンセリングの先生の誘導で、自分の安全な場所を作るワークをしたことがある。
わたしは今でもこの場所を思い描くことがある。
そこは、誰もあなたを傷つけない安全な場所です。
見たくないものは見えず、聞こえたくないものは聞こえません。
では、そこに行ってみましょう。
そこはどんな場所ですか?
実際には、もっと多分丁寧にゆっくりと進めていくはずだけど、流れはこんな感じだったと思う。
わたしがイメージしたのは、温かい泥の中だった。
地面の下にその場所はある。
真っ暗なその場所には、遠くから喧騒がかすかに届く。
わたしの上に広がる地面には、大きな木が生えており、その枝葉がつくる影にわたしは身を潜めている。
温かくとろりとしたその泥の中に揺蕩っている。
目にも耳にも鼻にも泥が入りこんでくるのだけれど、不思議と苦しくはなく、わたしはそれに、それにわたしは溶けていくようだ。
眠りに落ちる直前の微睡みの中にいる。
そのイメージを説明したとき、先生は驚いていたけれど、理由を聞きそびれてしまった。
先生が最後に言った言葉は忘れてない。
「この場所はいつまでもそこにあって、あなたはいつでもそこに行ける」
その言葉は、わたしを安心させてくれた。
会社で耐えられなくなった時は、トイレに駆け込んで、この場所に飛んで行った。
この場所は何度も何度もわたしを助けてくれた。
続きます。
