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実家でくつろげるようになったら、この苦しい旅が終わる。

今年の夏、うちの子どもたちはおばあちゃんちで1週間を過ごした。
普通のこと、ではなかった。
ここまで来るのに、2年以上かかった。

苦しかった前回から、大学を卒業し、なんとか社会人になった頃の話になる。

会社はつらかった。
仕事ができても、できなくても変わらなかった。

最初の会社では、わたしは仕事ができすぎた。
入る前から「本当にこの会社で満足できる?」と人事の方に言われていた。
初日、張り切って終わらせた仕事は、3年目の社員が3日間かけてやる仕事だったと後から知った。
当然、浮いてしまい、馴染めることはなかった。

次の会社では、できなさすぎた。
終わらない仕事を終わらないと言えず、こっそり会社に残って徹夜で仕事を片付けた。
それでも、仕事ができないわたしは叱られ続けた。
誤解が生じそうだけれど、いい会社といい上司といい同僚だったと思う。
相手の可能性に期待を込めて厳しくすることと気分で怒ることの違いが、あの時のわたしにはわからなかっただけだ。
特に上司だった女性は、わたしに必死で手を伸ばしてくれていたのに。
応えられないことがつらかったわたしは、約1年で会社を辞めた。

この頃からだ。
とうとう、カウンセリングに通い始めた。

書いた通り、カウンセリングでは治らなかった。
けれど、最初の頃受けたカウンセリングで見出したゴールの場所に、今ようやくたどり着いたように思う。

そこは、機能不全家族の本を書いた有名な先生の病院だった。
親が親の役割を果たしていない、家族としての機能が働いていない。
つまり、うちのようにおかしい親のことが本には書いてあった。

親が親の役割を果たしていない、と言われて、理解した。
わたしが親に「おかしい」と言えなかったのは、母を傷つけたくなかったからだ。
親と子供の立場が逆転している。

わたしの母は依存的だった。
中学生のわたしと手をつないで歩いた。
わたしは、父の代わりに母の彼氏をしている気分だった。
そしてわたしと母の関係は共依存というらしい。

そんな先生の話を聞きながら、よくあることなんだと少しホッとしたけれど、治療して治るのに20年かかるひともいると聞いて、ゾッとした。
そして、実際にここまでたどり着くのに、わたしは20年以上かかった。

そのとき、「皮肉なことだけれど」と前置きしてその先生は言った。
「あなたが居づらい、どうしても帰りたくないその家で、ホッと心からくつろげるようになったら、それが心が癒されたときです。逃げたいお母さんと向かい合って笑える、それが苦しい旅の終わりです。」

そのころは、わたしに執着して追いかけてくる母親から逃げるのに必死だったから、その言葉に絶望した。

母親と話すのが怖い、そう言うわたしにカウンセラーが言う。
そうできたら、進みますよ。
できないから、ここに来たのだと言えないまま、カウンセリングをすっぽかした。

それから20年以上が経った。
2年前、わたしはやっと母にいやだったことをいやだったと言うことができた。

5〜6年前は、実家に行くたびに長女が高熱を出していた。
40度を超え救急車で運ばれたり、ひきつけを起こしたこともあった。
わたしは、もうツケを払うときがきたことを自覚した。
離婚し、母親と対峙した。

それからはあっという間だった。
関係はみるみるうちに変化した。
去年は、はじめて子どもだけでおばあちゃんちにお泊まりをして、朝起きて母親がいないことにショックを受けた次女から電話がかかってきた。
仕事をキャンセルして、大慌てで迎えに行った。

今年やっと、子どもたちだけで、おばあちゃんちにお泊まりができた。
1週間、わたしはフリーの時間を過ごした。

こんな日常がくるなんて、あの頃のわたしには想像もできなかった。

手放しで実家にいるのが楽しいとは、まだ言えない。
母は今でも厄介だ。
けれど、もう怖くない。

母に嫌われても、生きていける。
あのとき、愛されたかった自分を自分で愛することができる。
わたしは大人になったのだ。

続きます。


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