新規獲得を頑張っても伸びない会社と、伸びる会社の差は「解約後」にあった

ChartMogulが2024年前半のSaaS企業2,100社以上を分析した調査(The SaaS Retention Report)では、NRR(Net Revenue Retention)が100%以上の企業の前年比成長率は48%であるのに対し、NRR100%未満の企業は約20%にとどまることが示された。同じ市場に存在しながら、成長速度に2倍以上の差が生まれる。


その差の根本は、既存顧客からの拡張収益(Expansion Revenue)をどれだけ構造的に生み出しているかにある。Ebsta x Pavilion 2025調査によれば、新規ARRの52%が既存顧客の拡張から生まれており、新規獲得と拡張が収益創出においてほぼ同等の比重を持つ時代になっている。


にもかかわらず、B2Bマーケティングの投資と注目の大半は依然として新規獲得に向いている。本稿では、この非対称が生まれる構造的理由と、NRRを成長エンジンとして設計するための考え方を整理する。


NRRが成長を決める構造NRRは「既存顧客からの1年後の収益÷当初収益」で定義される指標だ。100%なら既存顧客の収益が維持されていることを示し、100%超ならアップセル・クロスセルによって拡張されていることを意味する。


SaaS Capitalの2025年調査では、ACV(年間契約単価)$25,000〜$50,000の企業の中央値NRRは102%であり、NRR110%以上の企業群が成長率の中央値(全体24%)を大きく上回ることが示されている。


ChartMogulのデータはさらに具体的だ。NRR100%以上の企業では、収益成長の50%超が拡張から生まれているのに対し、NRR60%未満の企業では新規獲得が成長の70%を占め、拡張はわずか15%にすぎない。


この非対称を「漏れるバケツ」の比喩で理解できる。NRRが低い企業は、獲得したばかりの顧客収益が継続的に流出するため、常に穴を塞ぐために新規獲得を続けなければならない。新規獲得のコストが上昇している現在、この構造は特に致命的になるのではないだろうか。

新規獲得コストの悪化と拡張収益の戦略的価値Benchmarkit 2025調査では、プライベートSaaS企業のCAC回収期間(CAC Payback Period)の中央値が20〜23ヶ月に達しており、5年前の8〜10ヶ月から倍以上に悪化している。新規顧客1件を獲得してコストを回収するまでに約2年かかる計算だ。


この状況で既存顧客への拡張を放置するのは、最も効率的な収益源を見過ごすことに等しい。High Alpha / OpenView 2024 SaaS Benchmarks Reportによれば、エンタープライズ向け(ACV$100K超)のNRR中央値は118%、ミッドマーケット($25K〜$100K)は108%、SMB($25K未満)は97%となっており、顧客単価が高くなるほど拡張余地が大きくなる傾向がある。


既存顧客の拡張は、新規獲得と比較して営業・マーケティングのコストが大幅に低い。同じ収益1円を生み出すコスト構造が根本的に異なるにもかかわらず、多くのB2Bマーケティングチームは予算とKPIを新規リードに集中させたままにしている。

なぜマーケティングは拡張を後回しにするのかB2Bマーケティングが拡張収益に本気で取り組まない理由は、アトリビューション(成果帰属)の構造にあるのではないだろうか。新規リード獲得は「マーケティング起点の商談」として可視化されやすく、CRMでの追跡も容易だ。一方、既存顧客のアップセルは「カスタマーサクセスの成果」として計上されることが多く、マーケティングの貢献が評価対象になりにくい。


KeyBanc Capital Markets 2024〜2025年のSaaS調査(約100社の非公開SaaS企業)では、全体のNet Retentionが約101%という数値が示されており、多くの企業がNRR100%をかろうじて維持している水準にある。


この中央値の低さは、拡張への構造的な投資不足を反映しているとも読める。NRR118%(エンタープライズ中央値)と101%(全体中央値)の差は、顧客層の違いだけでなく、拡張に向けた営業・マーケ・CSの統合度の差でもあるのではないだろうか。

マーケティングがNRRに貢献できる3つの軸実務的な観点から、マーケティングチームがNRRに貢献できる領域を3軸で整理できる。


①活用促進コンテンツ:製品導入後の顧客が機能を正しく使えるよう設計されたコンテンツ(チュートリアル、ユースケース事例、ROI計算ツール)。活用率が高いほどチャーン(解約)が下がり、GRR(Gross Revenue Retention)が改善する。


②拡張トリガーコンテンツ:既存顧客が次の機能・上位プランに移行するきっかけとなるコンテンツ。タイミングは活用データと連動させるのが効果的で、CSチームとの連携が必要になる。


③既存顧客向けリサーチ・インサイト共有:業界データや競合動向を既存顧客に定期配信することで、ベンダーとしての信頼と粘着性を高める施策。エンタープライズ向けにNRRが高い企業では、このアプローチが広く採用されている。


これら3軸を新規獲得と同等の優先度で設計しているチームが、NRR110%超という基準を達成できる構造になるのではないだろうか。

まとめB2B SaaSの成長が既存顧客の拡張に依存する割合は増している。NRR100%以上の企業が48%の成長率を達成し、拡張が新規ARRの52%を占める現在、マーケティングが新規獲得だけを向いていることの機会損失は無視できない規模になっている。


CAC回収が20〜23ヶ月に延びている現状では、既存顧客への投資対効果は新規獲得を大きく上回る可能性がある。NRRをマーケティングKPIの中心に据え直すことが、成長の分岐点になるといえる。

出典・ChartMogul, The SaaS Retention Report: The New Normal, https://chartmogul.com/reports/saas-retention-the-new-normal/

・SaaS Capital, What is a Good Retention Rate for a Private SaaS Company?, https://www.saas-capital.com/blog-posts/what-is-a-good-retention-rate-for-a-private-saas-company/

・Ebsta x Pavilion, 2025 B2B SaaS Performance Benchmarks, https://www.joinpavilion.com/resource/b2b-saas-performance-benchmarks

・Benchmarkit, 2025 SaaS Performance Metrics, https://www.benchmarkit.ai/2025benchmarks

・High Alpha / OpenView, 2024 SaaS Benchmarks Report, https://www.highalpha.com/saas-benchmarks/2024

・KeyBanc Capital Markets, 2024-2025 SaaS Survey

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