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【SS】サニーサイドアップ

 目玉焼きが好きだ。作るのが簡単だから。そう言うと、トキはおまえらしいなぁと笑った。
「俺も目玉焼きが一番好きかな。卵らしいから」
 白身と黄身が分かれてて。卵、って感じ。
「ゆで卵とか半熟卵は?」
 条件は同じだ。しかも形は元のまま。そっちのほうが「卵らしい」と思う。
「変化していくのが見えないからな。人の手の影響が見えないのはやだ」
 よくわからないことを言って、トキは俺の手元を覗き込む。
「ほら。こうやって、熱で固まって色が変わっていくところがいいんだ。食べ物、って感じがして」
「食べ物?」
「うん。生き物から食べ物になる。そう感じられるほうがいい」
 特に、卵は。
「刺身も好きじゃん」
「うん。あれは生き物だけど、もう変わらないから」
 よくわからない。
「目玉焼き、初めて作ったときのこと覚えてる?」
「覚えてない。たぶん、小学生だと思うけど」
 簡単でも火を使うから、許されたのは3年生以降ではないだろうか。しかも親がいる時のみ。
「俺も覚えてない。当たり前にできるようになってることって、初めての時を覚えてないよな」
 人生には初めてが多すぎるから、全てを覚えてはいられない。初めて顔を洗った朝も、初めて爪を切った日も、初めて靴ずれの痛みを知った日も。覚えていない。覚えていないことすら、普段は忘れている。
「ほうれん草の胡麻和えを初めて食べた時のことは覚えてる」
「いつ?」
 フライパンの蓋は蒸気で曇って、なかの目玉焼きは見えない。
「学校の給食だった。砕いたピーナッツも入ってた。…甘くてびっくりして、食べられなかった」
 ほうれん草は好きだった。でも、甘い味付けは初めてで、美味しいとか好きだとかを感じる余裕がなかった。
 ただびっくりして、遠ざけた。それ以来、大人になるまで口にしなかった。
「これは甘い、って腹落ちするまで口に入れられなかった。でも、甘いって思いながら食べたら、ちゃんと美味しかった」
 今では良く食べる。自分でも作る。
 目玉焼きはそろそろ頃合いだ。
「受け入れるまで時間が必要なことってあるよな」
 たぶんそういうことなのだ。そのものの是非ではなくて、ただ、自分のなかで受け入れる準備ができていなかっただけ。
 甘い麦茶も。塩味の卵焼きも。そういうものだと知って慣れれば、それはそれで美味しい。ただ、自分のなかにあった麦茶や卵焼きとは違っただけ。
 目玉焼きが完成した。
「何かけて食べる?」
「…今日は、醤油」


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