【企画SS#片想い文芸部】偶然
(約2,000字)
「偶然こうなった、では困りますね。それではこちらが検証できません」
「でも水準感としては妥当な……」
「結果的にはそうですが、目を瞑って運転したらたまたま無事に目的地に着いた、というのと変わりません。それで運転技術を評価せよと言われてもできないのと同様、これで計画値として適切かの判断は不可能です」
厳しい言葉に、所管部の担当者は唇を噛んだ。彼の気持ちは痛いほどわかる。
が、やむなし。上司の意見は正論だ。
「まずは施策の目的・ターゲティングを明確にしていただき、そのうえで収益シミュレーションの前提が適切か判断させてください。よろしくお願いいたします」
そう言うと、上司はさっさと席を立った。わたしは慌てて担当者に頭を下げ、後を追う。
この人が敵でなくて良かった、と心底思いながら。
「何かひっかかります?」
自部署に戻りながら、隣を歩く上司がちらりと目線を寄越す。
「いえ、特には」
「その割に、表情が厳しいような」
こくんと首を傾げて、上司ははっきりとこちらに顔を向けた。
仕方ない。
「木戸さんがおっしゃることはそのとおりだと思いつつ、所管部担当者としては大変だろうなぁ、と」
「大変とは?」
心なしか上司の声が弾む。ワーカホリックめ、と心のなかで呟いて、わたしは考えながら言葉を継いだ。
「新規施策である以上、シミュレーションの前提が決めになるのはある意味仕方ないのかな、と。結果がせっかくいい感じなのに、明確な根拠を持ってこいと言われても難しいだろうな、と思いまして」
「なるほど」
相槌のみだ。どうやらさらなる意見を求められているらしい。仕事の話ならいくらしてもいいと思っているのだ。
ワーカホリックめ。
「推進部門ですから、儲かることは施策の前提ですよね。なら、シミュレーションも収益増加が当たり前。はて、根拠ってなんだろう?と……」
答えながら自分でもわからなくなる。偶然出てきた数字ではダメだ、という上司の言葉は正論だと思うけれど、では何がどうなっていればいいのだろうか。
むぅ、と唸るわたしに、上司の口からふ、と小さな笑いが漏れた。
「え?」
「すみません。間宮さんらしい、素直な意見だなと思って」
どういう意味だ。
「おっしゃるとおり、シミュレーションの前提がある程度決めになることは私も理解しています。今回一番課題だと感じたのは、そもそも彼らの目指すものがわからなかった、という点ですね」
「目指すもの?」
上司が柔らかく微笑む。とくん、と小さく鼓動が跳ねる。
落ち着け。この表情は、わたしに向けられたものじゃない。
愛する仕事の話だからだ。
「施策である以上、すべての出発点は実現したい未来です。彼らが所管する商品で、この会社をどんな姿にしたいのか。あるいはこの会社で、どんな立場になりたいのか。すべての施策はそのためにあります」
「はい」
「いつ、どうなりたい。そのためにこの方法を選んでいる。そう言われて初めて、我々はその施策を評価できます。なりたい姿に対して、この方法では厳しいのでは。あるいはもっと早く辿り着けるのでは。そんなイメージですね」
上司の口調は柔らかい。口元は微笑んだままだ。
楽しそうな、嬉しそうな表情。
仕事の話がそんなに幸せなのかと思うほど。
仕事の話だとしても、このまま聞いていたいと思うほど。
「先ほどの説明、まず施策の目的がよくわかりませんでした。誰に、何を提供したいのか。収益はその結果ですから、目的が不明確ではすべてが崩れます。たとえ結果的にヒットしたとしても偶然、ただのラッキーでしかない。そんなことでは会社として目指す未来は実現できない。だからあの説明では困るわけです」
「なるほど……」
ワーカホリックらしい、厳しく真っ当な意見。
きっとこの人にはあるのだろう。こうしたい、こうあるべきだと思う未来が。
それがどんな未来なのか、わたしにはわからないけれど。
そう思うと、不意に胸がぎゅっと痛んだ。
わたしには、この人が何を目指しているのかはわからないけれど。
せめて部下として、定めた目的に向かう背中を、追っていけるだろうか。
「目指す未来とそのための手段が適切なら、結果がどうであっても修正は可能です。だからこそ、常に意識してほしいんですよね」
そうですね、と呟くわたしの顔を覗き込んで、上司は瞳を光らせる。イタズラを企む子どものような、楽しそうな瞳。
ちょっと待ってほしい。この距離は、ちょっと。いろいろ、困る。
そんなこちらの動揺など気づかぬふうで、上司はそういえば、と続けた。
「聞いてみたかったんですよね。間宮さんがこうなってほしいと思うのは、どんな未来ですか?」
こうなってほしい、未来。
落ち着けわたし。
これは、仕事の話だ。
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