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【雑文】四半世紀、推し作家の何を追っているのか

四半世紀ほど追っている推し作家がいる。
「あなたを作った~」的なもので間違いなく真っ先に名前を挙げるだろう人だ。

追っている自覚はあったけれど、そういえば何が好きなんだっけ? ということを、改めて考えてみた話です。

きっかけ①

みんな大好き(※主語注意)noteでBL企画。
先日投稿した拙作書くまでにいろいろあったんですが、ストーリーというかテーマというか、「この場面だ」というのが浮かんだ時に、これは推し作家の得意とする作風(のひとつ)と相性がいいな、と思いました。

で、意識して書いてみたのです、推し作家を。

オマージュだなんておこがましく、模倣としても稚拙にすぎるため、あくまで「意識してみた」くらい。
時代設定としての雰囲気とか、
人物の関係性とか、
彼らの言葉遣いや、三人称視点固定の地の文の書き方。

そんなものに、なんとなくというには明確に、推し作家の作品をイメージしていました。

きっかけ②

みんな大好き(※主語注意)noteでBL企画。の、次回お題が先日発表されました。
主催者なみさんの参加者募集記事はこちら。

ちなみにお題は↓です。

地獄
土壇場でキャンセル
オタク×オタク

noteでBL、4/20(月)投稿お題

このお題を見て思ったんですよね。オタクってなんだろう? と。

やってやんよ!!
でも改めて考えるとオタクってなんだ。
推しがいること?
突き詰めてること?
オタクと求道者の違いはなんだ⋯⋯

その道のプロは皆オタクか。芸の道、〇道と言われるもの、それらに向かう人は皆オタク?
究めるのは必ずしもポジティブな感情だけではない気もして、しかし究めようとする姿勢は同じかもしれず、かと言って「究める」ことは必要条件ではない気も。
オタク、奥深い。

募集記事へのリアクションポスト
なお「やってやんよ!」は企画参加表明のご挨拶です(なみさん記事ご参照)

オタクってなんだ。
私は何かのオタク(だったことがある)か?
好きなもの……
推し……推しはいる(いたこともある)、けど……

世間でオタクと言われている方の熱量や造詣の深さ、推しが生活に占める割合(のように見えているもの)、応援姿勢的な諸々について、○○のオタクと名乗るにはなんかこういろいろ足りないんじゃない???(※推し活には条件も資格も不要ですよ←理性)

などと「好き/推してる」or「究めている」「プロである」といったことと「オタク」の間に、何かを感じている日々。

なお答えは(まだ)出ていません(えっ!!!???)

これはあくまできっかけなので。

本題

前置きが長くなりました。
つまり、noteでBLという企画を通して自分の好きなものとその愛し方を振り返ってみて、「そういえば推し作家の何を目的に追っているんだ?」と思ったわけです。

今までは「世界観」と言ってきた、好きな理由。
でも世界観って何だ。

その作家さんにしか生み出せない世界、とは言えそうです。
でも(他の作家さんもそうかもしれませんが)、その作家さんはとても作風の幅が広いと感じる。
文芸の方ですが完全にBLという話も多いし、(世界の残酷さという意味で)子どもには読ませられないな、と思う作品がある一方、教科書に採用されたり、読書感想文の課題図書になった作品もある。
登場人物の関係性、彼らが遭遇する世界、ストーリーの結末は作品(少なくとも一定の刊行時期)毎に大きく変わり、この作家さんといえばこのモチーフ、と言い切れないくらいにいろいろある(と、個人的には思っている)。

世界観ってなんだ……??(二回目)

AIからの問いかけ

上記のようなことを頭の隅で考えていた折り、本件とは違うことでAIと対話していたなか、流れでこんなことを言われました。
(実際の話のテーマは「模倣」とか「ゴースト」とかそこから発展して「継承」とかだった)

例えば誰か(何か)が、本人の了承のもと、その作家さんの名前を使って作品を書くとしたら(※芸道の襲名制のようなイメージ)。

あなたはファンとして、「その作家を名乗る以上、絶対にこれは外せない」と感じるのはどんなことだと思う?

AIからの問いかけ(概要)

その作家を名乗る以上、ファンとして外せないと思うもの。

それはちょうど考えていた、「追っている理由」そのものなのでは?

テーマも、モチーフも、登場人物の関係やストーリーライン、ジャンルも越えて、「その作家さんの作品」だと、私が感じているものはなんだろう。

揺らぐことが前提で

その時の私の答えは、
「その言葉、その文章が最適だと考えただろうことを、読んだ私が信じられること」でした。

自分で考えても抽象的にすぎますが、例えば……

その方は非常に言葉にこだわっていると感じるのですが、
それはワード(単語、文章)としてに加え、表記(漢字、かな、記号、句読点)にも同じくらい強く感じます。

医療器具の「包帯」を、「包帯」「繃帯」「包たい」「ほう帯」「ほうたい」どれで表記するか。
鳥の「鶫」を、「鶫」「つぐみ」「ツグミ」どれにするか。

作中、すべての単語、名前、情景の描写に、「その言葉、その表記をあえて選んだ」ことが感じられるのです。

そのこだわりを、私はとても美しいと感じる。
けれどそれは、絶対的な判断軸によって生まれたものでもない、とも思います。

単行本から文庫になる時、
あるいは初期作を自身で改稿し再出版する時、
例えば「繃帯」から「ほう帯」に、単語の表記が変わることがある。
あるいは場面構成自体が、大幅に変更されることも。
(二者の視点が交互に切り替わっていたものを、主人公視点→他者視点、とまとめられて二部構成になる、のようなイメージ)

「繃帯」をベストだという判断し、「あえてそれを選んだ」ことは本人によって覆される。そして、これは割と頻繁に起る気がします。
つまり私は、「繃帯」を選ぶ感覚、判断に惹かれているわけではない、ということ。

「繃帯」が変わる時には、他の単語も変わります。
単行本の時には「繃帯」を選んだ。その感覚で他の単語や表記も選んだ。
けれど「ほう帯」にするなら、「ほう帯」を選ぶ目線で他の単語も再検討し、選び直す。

その時々に、もっとも美しいと感じることを妥協しない。
表記を変えるという判断も含め、「今、これが最適」とこだわり抜いて選ばれたものが、文章として綴られて形になっている。

表記が「揺れる」ことまで含めて、そう感じられ、信じられること自体に、私は惹かれているのではないか。

もちろん書いているところを見ているわけではないので、すべてにこだわっている、は私の想像、感覚に過ぎません。
それでも読者として本を読むとそう感じる。選び抜いて届けられたと信じてしまう。

それ自体が、その作家さんから得ている、その作家さんを追うことで私が求めている、「世界観」なのかな、と思ったのでした。

そんなことを考えたわりに

上記の理解はあくまでいちファンの個人的なもの。
長年追っているわりに、私の「好き」はとても受動的なものでもあります。

きっかけ②とも少し繋がるところですが、
本が出たら買う、
読みながら「あれ、前から『ほう帯』だったかな……」と考える、
私の楽しみ方はせいぜいこのくらい。

近年の新刊はなかなか時間が取れずにリアタイできていませんし、
ファンクラブにも入っていないし、
モチーフに興味を持って集めることもしない。
その作家さんの作品世界を自分のなか(周り)で再構築するための行動は、ほとんど取ったことがありません。

さらに言えば、例えば「繃帯」も「ほう帯」も、私個人がもっとも美しいと思う表記ではない。
提供された作品世界のあり方自体を、無条件に肯定しているわけでもない。

好きだけど、
追ってるけど、
推してるけど、

これはオタクではなくない??
それはもっとこう、純粋にその人や作品を求めている人を表す言葉じゃない???

だって私、さっきの持論が正しいかを確かめる気もないし。
研究や検証より、感覚ベース。

愛し方がこう、ふわふわしすぎじゃない??

なんて思ったりもしています。

もちろんこれからも追い続ける

こうして考えてみて改めて思ったのは、その作家さんの作品すべてが、絶対に好きなわけではない、ということ。
それでも買うし、読むし、読んだことを考えてしまうということ。

それはきっと、作り手としてのあり方そのものに、惹かれてしまっているのだろうなということ。

作家さん個人に惹かれている、とも少し違うのだと思います。
世代の違いもあるのでしょうが、世界への眼差しそのものには(エッセイ的なものを読んでも)共感できないことも多い。
作品が作家さんの人生を通して生まれる以上、全く関係ないとは言えませんが、私個人としては、人と作品はある程度切り離していいものだと考えています。

その、人としての作家さん個人、そして作品世界そのもの。
ふたつの中間にある、「生み出す」という作家としてのプロセス、そこに注ぐ情熱の形(として感じるもの)。

作品を通して受け取るその感覚にもっとも惹かれている以上、テーマが変わっても、作風が変わっても、変わらず追い続けるだろうなと思いました。


ここまでお読みいただきありがとうございます。
皆さまも、どうぞ素敵な読書時間を☆

☆Special Thanks☆

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