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遠野なぎこさんの死について思うこと

女優の遠野なぎこさんが亡くなったのではないかというニュースを観た。正直世代ではなかったので、私が彼女をテレビで観た記憶は数えるほどだ。

画面越しの彼女は、どこか線が細く、いっぱいいっぱいな状態に見えた。もっと言えばどこか拗らせているような。細い糸を張り詰めてなんとか生きているような危うさがあった。

当時の彼女は体型のコントロールが難しい様子で、発言からもメンタルの不安定さが感じられた。学生視聴者だった私の目にも、彼女の姿は少々痛々しく映った。気に掛かって心の奥がザワザワした。正直心配だった。

今になって、彼女の生い立ちが壮絶なものだったと知り、内心深く納得した。あのとき感じた違和感が間違っていなかったことを確信した。嬉しくはなかったが。

家庭環境というのは、人格形成にまで根深く影響する。親は死んでしまってそれでお終いかもしれないけど、幼少期や成長期に受けた子の傷は一生消えない。それは軈て呪縛となって人生を支配してしまう。

彼女ほど壮絶ではないが、私も毒親育ちの自認がある。親の介護も重なってヤングケアラーとなった。姉もなかなか非協力的だったので、一人で家庭と立ち向かっていた彼女と自分が重なって、胸が詰まった。

私も人生で躓くことが少なくない。成人してからの方が顕著だ。それも、正常な家庭環境で育ったら失敗しないであろうことばかりでだ。

最近転職活動の一環で、自己分析の診断を受ける機会があった。性格診断やストレス耐性などが要素と強さの指標で導き出される。

思ったとおり、見事に矛盾した性格が現れた。繊細さと野心など、両極端の性質がそれぞれ釣り合うような等しさで並んでいた。

機能不全家族に育った人は「両価性」を抱えていると何かで目にしたが、こういうことだろうか。自分が分からなくて生きづらかった。

生きづらさと家庭環境の関係は無視できない。特に家庭の犠牲となった子が、それを一手に引き受けて破壊されるケースが少なくない。神様は不公平だ。

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