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『新人だから』が組織を壊す ― 善意と不安が生む静かな疲弊


私の働く職場は、対象の尊厳を守り、尊重することを理念に掲げる「福祉」の現場だ。
しかし皮肉なことに、この尊厳・尊重を理念とする場所で、ふと「隣の部署」を見ると、強烈な違和感と、『怖さ』を覚えることがある。

そこには、私よりもずっと若い中途採用のスタッフがいる。
その若手は業務を早く覚えようと、はじめは率先して電話対応や雑務をこなしていた。そこまでは、よくあることだ。
しかしそこには、無自覚で恐ろしい罠が潜んでいた。


■ 「型はめ」と「境界線」の無自覚な怖さ

なぜ、これほどまでにモヤモヤするのか。
それは、相手を「新人」や「年下」という、たった一つの【型】にはめた瞬間、その人の生身の人間性や背景が見えなくなってしまうからだ。
型にはめる人は、相手を「一人の、自分とは異なる独立した人間」ではなく「記号」として扱う。
だからこそ、「これくらい言ってもいい」「こういう扱いをして当然」と、相手の境界線を無自覚に、ズカズカと超えていってしまう。

特に、40代〜60代の職員が多く、昭和の古い根性論が残りやすい閉鎖的な部署ほど、この傾向は強い。新人が「聞いてください」「これはおかしいと思います」と意見を言うこと自体、圧倒的に難しい空気があるのだ。

そしてこの「型はめ」は、本人の「真面目さ」さえも利用して、恐ろしい依存の構造を作り出していく。


■ 不安の穴埋めにされる、電話と雑務

その部署には、一応OJT(職場内訓練)らしきものはあるが、実は未完成のままだ。先輩たちが忙しすぎるあまり、「計画を作る時間がないまま過ぎてしまった」のだという。
ベースとなる教育計画がないため、当然、明確な評価基準も存在しない。

ここに、インフラのバグ(仕組みの欠陥)が生み出す、心理的なトラップがある。

自分が「何ができて、何ができないのか」を測るモノサシがないため、新人は常に「自分は仕事ができていないのではないか」という強い不安に晒される。

すると、その不安を埋めるために、一番分かりやすく目に見える貢献、つまり「率先して電話に出る」「雑務を引き受ける」という行動に走ってしまうのだ。

周りはその「不安からくる善意」に甘え、かつ新人であれば当然の業務であると考え、役割を固定化していく。

しかし、電話対応の本質は、自分の意思でコントロールできない「強制的な割り込み業務」だ。不慣れな新人が突発的な電話に追われ続ければ、思考は細切れに分断され、本来のメイン業務はますます進まなくなる。


■構造のバグによる「属人化の完成」の連鎖

まず、OJTや評価基準がないため、何が正解かわからなくなる。
次に、「仕事ができない分、電話や雑務で補填しなきゃ」という新人の【不安】が生まれる。
その結果、率先して電話に出続けるようになり、周囲はそれに甘えて役割が固定化していく。
しかし、電話という「割り込み業務」のせいで、肝心のメイン業務の時間が消滅してしまう。その分野での経験も積めず、自信をつける時間も機会も損なわれる。
最終的に、キャパオーバーになり、さらに「自分は仕事ができない」と不安が加速する。

これは決して、本人の要領の悪さや能力不足の問題ではない。明確に、組織のマネジメントが機能していない「構造のバグ」だ。

しかし、この昭和の価値観が残る現場では、客観的なデータや多面的な評価を知る機会がない。ただ目の前の仕事を「あればあるだけ、スパスパこなすこと」だけが仕事ができる人、という狭いモノサシしかないのだ。

だから、終わらなかった仕事を「本人のキャパが狭いから、能力が低いから、サービス残業して終わらせるのが当たり前」と個人の責任(根性論)にすり替える。これこそが、無自覚な境界線侵害の正体だ。


■ 誰かの尊厳を守る場所で起きていること

繰り返しになるが、これは他者の尊厳を守り、人を尊重することを理念に掲げる「福祉」の現場で起きていることだ。

目の前の利用者さんには「型にはめないでその人を見よう」と心を砕くのに、なぜか同じ職場の、隣にいる仲間に対しては、評価基準も与えないまま、急に雑な型にはめて消費してしまう。

実は隣の部署では、昨年、同じような年代の若手が1人静かに辞めている。
それに対する周囲の反応は、「辞めたのは本人の能力の問題だ」「求人を出せばまた次の人が来る」という、冷たい切り捨てだった。

地方の小さな職場で、若い人が入ってくること自体奇跡に近いのに、その貴重な存在を仕組みのバグで消費し、使い捨てのパーツのように扱っていることに気づいていない。

環境をアップデートしようとせず、巡り巡って、組織は、そこにいる職員は、自分で自分の首を絞めているのだ。


■ なぜ誰も疑問を持てないのか

もちろん、先輩たちが意地悪でそうしているだけではない。むしろ多くの人は、自分自身も同じように育てられてきた。

明確な教育計画もなく、先輩の背中を見ながら覚える。

電話は下の人が取る。

雑務は新人が引き受ける。

分からなければ自分で考える。

残った仕事は自分で何とかする。

そうした環境を乗り越えてきたからこそ、それが当たり前のやり方になっている。

特に地方の小さな組織では、外部の研修や他組織の成功事例に触れる機会も限られる。そのため、自分たちのやり方を客観的に見直す機会が少ない。

「自分たちもそうやってきたのだから」

その言葉に悪意はない。

しかし、その自分たちの常識だと思っているこそが、時として組織のアップデートを止めてしまう。


■ 求められる「大人の責任」

私自身も「ちゃんと(?)昭和の人間」だ。だから、中途採用の私は「一番下である自分が動かなきゃ」「私がやれば丸く収まる」という妙な責任感や不安を発動させてしまいそうになるのはよく分かる。
しかし、その善意の無理は、結果として「いびつな構造」に拍車をかけ、次の犠牲者を生むだけなのだ。

だからこそ、私は仕組みそのものへアプローチをしたい。

例えば、相談記録にチームで合意形成した結果を残し、最初に電話対応した一人に責任がべったりと張り付くのを防ぐため、チーム内の誰でも対応できるようにする事を、まずは提案すること。

*そして何より、未完成のまま放置されているOJTを形にし、「客観的な評価基準」を組織の中に作ることだ。

自分がやっている仕事が、正当に、客観的に評価されるモノサシ。それがない限り、人はずっと不安の暗闇の中で、すり減り続けることになる。

人が不安に駆られて無理をしないための「明確な基準(仕組み)」を作る。
そんな、当たり前だけど大切なリスペクトを、まずは私たち昭和世代の大人が、この小さな現場から取り戻すために動き出したい。実践結果をこの場で書けるよう、できることをやろうと思う😤


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