Creating never stopped./手触りを知っていたから、AIに触れた瞬間がわかった
noteを始めたのは、失恋がきっかけだった。
行き場のない思いを、
言葉にして、置いていくために。
ただそれだけ。
お別れした人が「AIで画像作ってみたんだ」と言っても、
関心をほとんど示さなかった。
指先で筆を操り、肌の質感を変えていく。
そしてブラシ一本で髪を結い上げていく。
生々しい手触りだけが、私の作ることだった。
SNSに興味もないし、
画面の中で完結する記号のようなものに、
心が動かなかった。
それが今は、画像を作るのも楽しみになっている。
せっかく文章書くなら、サムネも同じ一つの作品にしたい。
ギャラリーみたいに、
ページを開いたら自分の世界観が広がっている。
そんな思いで、【AI】を使い始めた。
頭の中にある曖昧なイメージを言葉にして、
輪郭を与え、映像化していく作業。
気づくと、何時間も経っている。
なんでこんなに楽しいんだろう。
ふと、手を止めたとき思い出したことがあった。
子供の頃は、とにかく作るのが好きだった。
メカニカルな美しさに惹かれ、
女の子には珍しかったガンプラに夢中になった。
父に教わりながら、小さなランナーからパーツを切り出し、
バリを削り、継ぎ目を消す。
小さなパーツを一つずつ組み上げて、
色を塗って形にしていく。
指先だけに全神経が収束する。
エアブラシで影を入れ、
使い古された金属の質感を再現していく。
いかにリアルに、細部まで。
それだけになる。
部屋の時計の音も、外を走る車の音も、
集中すると、周りの音が消えた。
完成もだけど、作っている時間、
そのものにも没頭していた。
気づけば、ホビー雑誌に作品を投稿してみたり。
誰かに評価されたいというより、
ただ「これを見てほしい」という気持ちだった。
水彩画も描いていた。
色を重ねていく時間や、
紙の上でにじんでいく表情を見るのが好きだった。
重ねるたびに色が深くなって、
完成に向かって積み上がっていく感じ。
市のコンテストで賞をもらったこともある。
うまく描けたかどうかよりも、
自分の中にあるものが外に出ていく感覚が、
ただ心地よかった。
元々、アートや写真、絵画、工芸品、形あるものが好きで、
ファッションフォトグラファーの洋書写真集を集めるのも好き。
気になる展示があれば足を運ぶ。
映画も、歌舞伎鑑賞も、もはや生活の一部だ。
綺麗とか、すごいとか、
そういう言葉だけでは足りない何かに触れる時間。
美を感じることが、
ずっと自分の中心にあった。
今は、美を表現するアーティストとして、
担当クライアントの仕事を支えている。
誰かの顔に向き合って、手を動かしている時、
「ここだ」と思う瞬間がある。
自分のイメージとピタリと重なる瞬間。
イメージを超えた仕上がりになる瞬間。
モデルの肌の状態に合わせて、
下地にツヤを1ミリ単位で調整したり、
照明を読みながらラインの角度をコンマ数ミリ書き換えたり。
あの、答え合わせのような感覚。
作り上げるというより、
もともとそこにあったものを見つける感じ。
その感覚に、
まさか画面の中で再会するとは思っていなかった。
AIで画像を作るとき、
その感覚に、すぐに触れる。
身体のどこかが、覚えている。
頭の中にある曖昧なものを探して、
言葉にして、形にしていく。
皮肉なことに、
私を置き去りにしたあの言葉が、
結果的に気づかせてくれた。
今でも、感謝はしていない。
けれど、あの静かな断絶がなければ、
私は自分の輪郭に気づけないままだった。
行き場のない思いを置くために始めた場所は、
いつの間にか、
自分の世界を広げていく場所に変わっていた。
止まっていたわけじゃない。
私はただ、
ずっと作り続けていた。

