【私さえ我慢すれば】という快楽|悲劇のヒロインを演じることで、あなたは誰を裁いているのか。
「私さえ我慢すれば、丸く収まるから」
そう言って微笑むときって、あなたの心には、微かな「熱」が灯ったりしてませんか?
それは聖母のような慈愛じゃないんです。もっと暗く、ねっとりとした、陶酔に近い快楽です。
私たちは、自己犠牲を「美徳」だと教え込まれてきました。
けれど、その美徳の裏側に隠された、残酷な支配欲について語る人って、多くないですよね。
「優しさ」って名前の、いちばんエグい攻撃
我慢という行為は、極めて効率的な「攻撃」です。
あなたが理不尽を受け入れる。
そして、口を噤み、自分を削って周囲に尽くすとき。
あなたの周囲には、図らずも「あなたを傷つける加害者」や「あなたの犠牲の上に胡坐をかく無力な人々」が量産されるわけです。
「私はこんなに耐えているのに」
「私はこれほどまでに奪われているのに」
言葉にしなくても、その沈黙は雄弁に周囲を裁きます。
「被害者」っていう最強のポジション、守ってませんか?
多くの人は、被害者の座に深く腰を下ろすことで、誰からも文句を言われない「道徳的な優位」を手に入れます。
相手を「悪い人」に固定し、自分を「正しい人」という檻に閉じ込める。
その瞬間、あなたは誰よりも強く、相手を支配しているんです。
自分がボロボロになればなるほど、相手に消えない罪悪感を植え付け、一生消えない「負い目」という債務を負わせることができる。
もしそれが、無意識の戦略だとしたら。
その優しさは、救いでしょうか。それとも、静かな処刑でしょうか。
その我慢、本当は「復讐」の準備じゃないですか?
一度、自分自身に問いかけてみてください。
その我慢は、本当に「相手のため」ですか。
それとも、相手を一生許さないための、準備ですか。
悲劇のヒロインという役を降りるのは、とても恐ろしいことですね。
加害者を失い、ただの「一人の人間」に戻ったとき、そこには何の意味も、物語も残らないかもしれないから。
けれど、誰かを裁くために自分を壊し続ける日々は、あまりに虚しいです。
自分を裁く「重労働」から、そろそろ逃げてもいい
今夜は、その握りしめた「被害者」という特権を、そっと手放してみましょう。
相手を許すためではないですよ。
あなた自身が、誰かを裁くという重労働から解放されるためにです。
深呼吸を一つ。
肺の奥まで冷たい空気を入れて、物語の幕を閉じる。
舞台から降りた後の、何も書き込まれていない空白。
そこからようやく、あなたの本当の人生が始まります。
息をひとつ、
新しい空気の味を確かめながら。
お読みいただきありがとうございました。
もし、スキやフォローいただけましたら、とても励みになります。
