【小説】『ココロ走る』第8話GarminとNIKEの帽子、それが走る覚悟
5kmのマラソン大会を目指して、本格的に走り始めた主人公。
それは「ただの運動」ではなく、壊れていた心に光を差し込む準備でもあった。
Garminのランウォッチ、NIKEの帽子、そして家族の何気ない会話が、少しずつ自分を変えていく——。
走ることが、心のリハビリになっていく第8話。
———
マラソン大会に出ると決めたら、不思議とワクワクしてきた。
たった5キロ。でも、私にとっては人生初の“レース”。
朝ランのペースも、自然と少し上がった。
すると、欲しくなる。モノが。
まずは靴下。
滑り止めのついた、ランニング専用のやつ。
次に、adidasのウエストポーチ。
スマホと鍵、カードが入るぐらいのサイズ。
それから、NIKEの白い帽子。
今使っている帽子は洗えないので、洗濯できるタイプに。
オークリーのサングラスも買った。
紫外線対策もあるけれど、ちょっとした照れ隠しでもある。
もちろん、ランニングシューズも。
流行りの厚底asicsを、近くのゼビオで。
「何キロ走るんですか? 」
「今からチャレンジされるんですか? 」
「すごいですね! 」
若い男性店員に褒められまくって、なんだかくすぐったかった。
でも、気持ちのいい接客にのせられて、棚の中でいちばん高いモデルを選んだ。
そして最後に、Garminのランニングウォッチ。
Apple Watchでも十分かもしれないけれど、どうしても欲しかった。
「走るために作られたモノが欲しい」
それは、自分へのご褒美であり、走るという決意のあらわれだった。
明美も、「今まで頑張ったんだから、それくらいいいよ」と言って、ポーチと帽子を家計からプレゼントしてくれた。
気づけば、Amazonの購入履歴はすっかりランナー仕様。
金額も、大したことになっていた。
5キロの大会でこれは大げさやろ、と笑われるかもしれない。
「形から入りすぎ」と言われるかもしれない。
でも、それでいい。
自分でもわかってる。私はいつもこうだ。
以前、非接触対応の業務改善でMacBookやiPadを揃えたときも同じだった。
やると決めたら、まず形から入る。
それは、自分を追い込むための準備。
覚悟のかたち。
Garminも、オークリーのサングラスも、ただの物欲じゃない。
「ちゃんと走りたい」という、心の表れだった。
かつて、心が壊れた自分が——
今は、大会に向けて準備をしている。
家族も応援に来てくれるという。
「キッチンカーとかあるかな?」と萌花がはしゃぎ、
綾も「何食べる〜? 」とけたけたと笑う。
その何気ないやりとりに、不意に涙があふれた。
かつて壊れた心に、確かな光が射した気がした。
毎朝、新しい靴下を履き、Garminをつけて、NIKEの帽子をかぶる。
真夏の朝の大阪城を走る。
風は、自分で起こす。
その風の中を走る。それが気持ちいい。
「俺、変わってきたかもな」
自然と口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。
でも、少しだけ笑顔を取り戻せた気がした。
夏が終われば、マラソン大会。
待ってろよ。必ず完走してみせる。
そう自分に言い聞かせながら、風の中を、少し速く走ってみた。
