津山三十人殺し

三つ目の灯を持つ男

――津山事件怪奇録――

序章 同じ命日の墓

 その山村の墓地には、同じ日付を刻んだ墓石が幾つも並んでいる。

 昭和十三年五月二十一日。

 一つの家に一基ではない。

 父と母。

 兄と妹。

 幼い子ども。

 嫁いできたばかりの若い妻。

 八十歳を越えた老人。

 同じ家名の墓石に、同じ日付が繰り返されている。

 まるで、村の暦がその一夜で止まってしまったかのようだった。

 私が岡山県北部の貝尾集落を訪れたのは、事件から長い年月が流れた後のことである。

 中国山地の谷間にある小さな集落だった。

 細い道。

 石垣。

 傾いた納屋。

 山肌に沿って並ぶ田畑。

 夏であっても、夕方になると山の影が集落を早く覆った。

 夜になれば、家々の灯は闇の底へ沈む。

 昭和十三年当時、貝尾には二十数戸、百十人ほどが暮らしていた。

 誰がどこの畑へ出たか。

 どの家の娘が里帰りしたか。

 誰が病気になったか。

 誰が誰の家へ夜中に入ったか。

 そのようなことまで、翌朝には村中へ伝わったという。

 私は墓地の一番奥で、文字の消えかけた小さな石を見つけた。

 墓石と呼ぶには粗末だった。

 川原から拾ってきたような、名前の刻まれていない石である。

 案内をしてくれた老人が、私の視線に気づいた。

「それが誰の墓か、知りたいんでしょう」

「都井睦雄ですか」

 老人は答えなかった。

 ただ、谷の向こうを見た。

「この辺りでは、死んだ者の名前を、夜に口へ出すものではありません」

 その日の夕方、私は集落から少し離れた古い家に泊まることになった。

 家主は、事件当時の資料を集めていた郷土史家だった。

 座敷には古新聞、地図、書簡の写し、警察関係資料の複製が積み上げられていた。

 その中に、黒い表紙の大学ノートが一冊あった。

 表紙には白い墨で、

「三灯鬼聞書」

 と書かれている。

「何ですか、これは」

 私が尋ねると、家主は声を落とした。

「事件の翌年、村へ調査に来た男が書いたものです。警察官ではありません。新聞記者でもない。自分を探偵小説家だと名乗っていたそうです」

 私はノートを開いた。

 最初の頁には、こう記されていた。

 ――あの夜、村人が見たものは都井睦雄ではない。

 ――頭に二つ、胸に一つの灯を持つ、三つ目の怪人であった。

 読み進めるうち、私はいつの間にか、昭和十三年五月二十日の夜へ引き込まれていった。

第一章 労咳筋の子

 都井睦雄は、大正六年三月五日、岡山県苫田郡加茂村の倉見という山村に生まれた。

 数え年では、事件当時二十二歳。

 満年齢では二十一歳だった。

 幼い頃の彼を知る者は、口を揃えて頭のよい子だったと語っている。

 尋常小学校、高等科を通じ、成績は非常に優秀だった。

 体育を含め、多くの教科で高い評価を受けた。

 学校からの報告書には、勤勉、親切、正直、礼儀を重んじる、約束を守る、細かなところへよく気がつく、といった記述が残されている。

 後に三十人を殺す人間の少年時代とは、とうてい思えない。

 だが人間の履歴書は、幼年期だけで完成するものではない。

 睦雄の家では、肺結核による死が続いた。

 大正七年に祖父が亡くなった。

 その数か月後には父が死んだ。

 翌年には母も亡くなった。

 当時、結核は死の病だった。

 治療法は限られ、感染への恐怖も強かった。

 結核患者を多く出した家は「労咳筋」と呼ばれ、血筋そのものに病が潜んでいるかのように忌避された。

 睦雄は幼くして、病による死だけでなく、病を理由とする人間の眼差しまで相続したのである。

 都井家の跡を誰に継がせるか、親族の間で話し合いが行われた。

 睦雄に継がせるべきではないという意見が多く、宗家の財産の大部分は別の親族へ移ったとされる。

 幼い睦雄と姉を育てたのは、祖父の後妻である祖母イネだった。

 睦雄と血のつながりはなかったともいわれるが、祖母は姉弟を連れ、幾度か住まいを変えた。

 六歳頃、一家は祖母の故郷である貝尾へ移った。

 祖母、姉、睦雄。

 三人での生活が始まった。

 睦雄には父母から受け継いだ田畑や山林があった。

 しかし土地の多くは生まれ故郷の倉見にあり、幼い睦雄が自由に扱えるものではなかった。

 財産は祖母が管理した。

 睦雄は成長するにつれ、自分は都井家の戸主であるはずなのに、なぜ何も自分の思いどおりにならないのかと考えるようになったらしい。

 祖母は彼を守った人である。

 同時に、金と行動を管理する人でもあった。

 愛情と支配。

 感謝と憎悪。

 相反する感情が、一つの囲炉裏を挟んで暮らしていた。

第二章 秀才の閉じた部屋

 貝尾の学校でも、睦雄は優秀だった。

 読み書きができた。

 物覚えもよかった。

 年下の子どもに本を読んで聞かせることもあったという。

 村人の中には、睦雄が将来、教師や役人になるのではないかと考えた者もいた。

 だが高等科を卒業した頃、睦雄は肋膜炎を患った。

 医師から重い農作業を止められた。

 病状はやがて快方へ向かったが、彼は畑へ出ることを嫌うようになった。

 実業補習学校にも入ったが、学業への熱意を失い、家へ閉じこもる時間が増えた。

 姉が嫁いで家を出ると、睦雄の話し相手は祖母だけになった。

 昼間、村人が畑で働いている間、彼は家の暗い部屋で本や雑誌を読んだ。

 少年向けの冒険物。

 軍人の活躍する読み物。

 猟奇事件の記事。

 社会を騒がせた犯罪。

 遠い都会の事件を読むたび、自分の暮らす谷だけが、世界から切り離された穴のように感じられたのかもしれない。

 睦雄は夜になると村を歩いた。

 当時の農村には、夜間に男女が密かに会う習慣が残っていたとする記録がある。

 後世、それは「夜這い」という刺激的な言葉で語られ、事件の中心原因のように扱われるようになった。

 しかし実際の男女関係については証言が食い違う。

 睦雄が複数の女性と関係を持ったという話。

 金を渡していたという話。

 睦雄の一方的な思い込みだったという証言。

 事件後に作られた噂。

 それらは複雑に絡まり、何が事実で、何が村人の創作なのか、完全には分からない。

 確かなことは、睦雄が女性からの拒絶を異常なほど深く受け止めたことである。

 彼にとって拒絶は、単なる恋愛の終わりではなかった。

 自分の価値を村全体から否定されることだった。

 小さな集落には、忘却というものがない。

 一度笑われれば、翌日も笑われる。

 一度断られれば、別の家の女まで知っている。

 一人の言葉は、村全体の声へ変わる。

 睦雄の閉じた部屋には、実際に言われた言葉だけでなく、言われなかった悪口まで集まるようになった。

第三章 丙種という烙印

 昭和十二年五月二十二日、睦雄は徴兵検査を受けた。

 日中戦争へ向かう時代である。

 若い男性にとって、兵役に就くことは、社会から一人前と認められる意味を持っていた。

 甲種。

 乙種。

 健康な青年は軍へ入り、制服を着て村を出ていく。

 家族は誇り、村人は見送った。

 だが睦雄は、結核を理由に丙種とされた。

 丙種は制度上、完全な不合格を意味するとは限らなかった。

 しかし村では、

「兵隊にも行けん身体」

「肺病持ち」

「男として役に立たん」

 という意味で受け止められた。

 そのような嘲笑が実際にどれほどあったのかは不明である。

 だが睦雄がそう感じていたことは、遺書やその後の行動からうかがえる。

 祖父。

 父。

 母。

 すべて肺結核で死んだ。

 そして自分の身体にも同じ病がある。

 睦雄には、死が家系の中を歩き、自分の背後まで来ているように思えたのだろう。

 村の女性たちも、彼との接触を避けるようになったといわれる。

 感染への恐れ。

 徴兵検査の結果。

 それまでの強引な振る舞いへの嫌悪。

 理由は一つではなかったはずだ。

 だが睦雄は、すべてを裏切りとして数えた。

 以前は笑いかけてきた。

 以前は家へ入れてくれた。

 以前は自分を頼った。

 それなのに病気だと知ると逃げた。

 睦雄の中で、愛情はいつしか所有権へ変わっていた。

 一度自分に親しくした女性は、自分から離れてはならない。

 ほかの男へ嫁ぐことは裏切りである。

 自分の噂を他人へ話すことは死に値する。

 そう考えるようになった。

 睦雄の悲劇は、病気になったことだけではない。

 自分の苦しみを、他人を裁く権利へ変えてしまったことである。

第四章 押収された武器

 昭和十二年、睦雄は狩猟免許を取得した。

 散弾銃を買い、山へ入り、射撃の練習を始めた。

 翌年には、さらに連発能力の高い猟銃を手に入れた。

 山中で繰り返し発砲した。

 夜になると銃を持って集落を歩いた。

 村人は不安を感じた。

「睦雄は何を考えとるか分からん」

「いつか何かをやるんじゃないか」

 噂は本人の耳にも入った。

 睦雄は土地や家を担保に金を借り、武器や弾薬を揃えていたとされる。

 その頃、祖母との関係も悪化していた。

 祖母の病気を治療するためだったという説もあるが、睦雄が味噌汁へ薬品を入れているところを祖母が見つけた。

 祖母は、

「孫に毒を盛られる」

 と騒ぎ、警察へ訴えた。

 家宅捜索が行われた。

 猟銃。

 日本刀。

 短刀。

 匕首。

 武器類は押収され、猟銃の許可も取り消された。

 ここで事件は防がれたように見える。

 村人は安心した。

 祖母も、自分が助かったと思っただろう。

 しかし睦雄は諦めなかった。

 知人を通して猟銃と弾薬を再び集めた。

 刀剣も手に入れた。

 許可を取り消された男が、なぜ再び銃を持てたのか。

 昭和初期の農村社会。

 銃器管理の不十分さ。

 知人関係。

 警察と村との距離。

 幾つもの隙間から、武器は睦雄の家へ戻った。

 押収によって、彼の計画は消えなかった。

 むしろ自分を止めようとする祖母と警察への憎しみを増した可能性がある。

 睦雄の家の屋根裏には、銃弾、日本刀、匕首、懐中電灯が、一つずつ揃えられていった。

 まるで祭りの道具を準備するように。

第五章 帰ってきた女

 昭和十三年五月。

 養蚕の季節だった。

 村の家々では蚕を育てるため、人々が母屋や離れに集まり、夜遅くまで作業することがあった。

 村外へ嫁いだ女性が、実家の手伝いや家族との再会のため里帰りすることもあった。

 睦雄が特別な執着を抱いていたとされる女性も、貝尾へ戻ってきた。

 ここでは、その女性を百合子と呼ぶ。

 資料に残された名が実名であるか、後世に置き換えられた仮名であるか、判然としないためである。

 睦雄は遺書の中で、百合子が里帰りしたことが、その日に犯行を決めた理由の一つだと書いている。

 もう一人、以前親しかったとされる女性も戻っていた。

 睦雄には、二人が自分の前へわざわざ姿を現し、自分を嘲笑しているように思えたのかもしれない。

 だが女性たちは、睦雄を刺激するために帰ったわけではない。

 家族に会うため。

 養蚕を手伝うため。

 ごく普通の理由で、故郷へ戻ったにすぎなかった。

 睦雄は以前から、襲撃する家の位置を調べていた。

 家族がどの部屋で眠るか。

 誰が不在か。

 標的の女性がどこに泊まるか。

 駐在所まで自転車で走り、村人が救援を求めた場合、警察が来るまでどれほど時間がかかるかも確かめたという。

 長い遺書も書いた。

 姉への手紙。

 村人への恨み。

 女性たちへの非難。

 病によって未来を失ったという嘆き。

 自分が死ねば家や財産をどのように処分するか。

 文章の量は多かった。

 自分の行為を歴史へ説明しようとするかのようだった。

 彼は殺人だけでなく、殺人後に自分がどのように読まれるかまで考えていた。

 それは復讐であると同時に、異様な自己宣伝でもあった。

 どうせ肺病で死ぬ。

 それなら世間を驚かせるほどのことをする。

 そのような言葉を友人へ漏らしていたとも伝えられる。

 睦雄は村人を殺すことで、村人より長く記憶されようとした。

第六章 消えた電灯

 昭和十三年五月二十日夕方。

 睦雄は自転車で村の道を往復した。

 襲撃予定の家。

 逃走路。

 山へ入る道。

 最後の確認だった。

 夕方、彼は電柱へ上った。

 送電線を切断した。

 火花が散った。

 貝尾の電灯が、一斉に消えた。

 村人たちは故障だと思った。

 夜も遅く、すぐに修理を求めに行く者はいなかった。

 行灯やランプを出し、早めに床へ入った。

 村全体が闇に沈んだ。

 その闇は、睦雄が用意した巨大な密室だった。

 日付が変わる頃、小雨が降った。

 やがて雨は止み、雲の間から月が見えた。

 春とはいえ、山村の夜は冷えた。

 睦雄は祖母と同じ部屋で眠るふりをしていた。

 祖母の寝息を確かめ、静かに起き上がった。

 屋根裏へ上がった。

 黒い詰襟服を着た。

 脚へゲートルを巻いた。

 地下足袋を履いた。

 腰には日本刀と匕首。

 肩には弾薬を詰めた雑嚢。

 手には連発式の猟銃。

 そして頭の鉢巻へ、小型懐中電灯を二本取りつけた。

 胸にも自転車用ランプを吊った。

 頭に二灯。

 胸に一灯。

 暗闇の中で、彼だけが自ら光を持つ。

 相手の姿は見える。

 相手からは、光の向こうにいる彼の顔がよく見えない。

 それは戦闘のための装備であると同時に、舞台衣装のようでもあった。

 睦雄は鏡を見たのだろうか。

 もし見たなら、そこには人間ではなく、三つの眼を持つ怪物が立っていたはずである。

第七章 最初の犠牲者

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