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山LOG 大分久住連山

いつも満席の九四フェリー。キャンセル空きがあり年越しは九重連山に決まり。

多様な県ナンバーは正月ならでは

20時に着いた長者原ビジセン前は既に満車、少し離れたところは空いていた。
消える前の蝋燭のように星達が最後の輝きを夜空に輝かす頃に粛粛と出発。

夜山を歩くのは不思議に恐怖を感じない。というか見えない分感覚センサーがフル稼働しているから怖れを感じる暇がないと言った方がしっくりくる。立ち止まるとヒシヒシと怖さが浸透してくる。
ヘッデンの乏しい灯りでもタデ原湿原から雨ケ池の道(九州自然歩道)の素晴らしさを匂いで感じる。明るい時に再来しようと決める。今どんどん消失している湿原、大切だと思う。


夜がしらんできた頃に法華院温泉宿に着き水を補給。レストルームを除くとテーブルの上に放置された沢山のクッカー 類が残されてるが人気がない。不思議に思ったがその謎が後に分かる。
鉾立峠への登りを歩いていると上から身軽な人がぞろぞろ降りてきた。峠でご来光を拝んだ人達だ。宿の散乱したテーブルの訳は日の出の時間に慌てて飛び出したという事か。そのシーンを想像してひとりにやりする。

この人も突然ガバッと

浮き足立つ群衆を縫うように峠を後にする。
今ルート一番の急登、白口岳のガレた登り途中見下ろした峠には既に誰もいない。皆んな初日の出に満足して今頃宿で朝飯の続きを初めている事だろう。
喘ぎながら頭の中で一年を振り返るといいたいところだが、『トランサーフィン実践マニュアル』著ヴァジム◦ゼランドを読んでからはあまり過去を振り返り過ぎるのもよく無いよう気がしてる。あなたが意図したように現実はなるっていう西洋的思考を理論的に(?)解説したものだ。でも振り返ったり自己反省するのが日本人らしいかなとも思う。

稲星越からまた登山者がちらほら、白口岳を越える人はそう多くはない様だ。
岩山の稲星山に上がった途端、今までの静寂が嘘のように北風の暴風に晒される。体験した事のない風が吹き荒ぶ中遠くに見える阿蘇の山並を、山頂で出逢った地元の人に教えてもらう。阿蘇という山は無いと知った。もっと聞いていたかったが呑気にお喋りしてる様な場所ではない。断続的に訪れる突風に体がもっていかれそうになる。
後ろ髪引かれながらさようなら。気が合うから連絡をというのは野暮だと思うのは古い考えだろうか。短い出会いと別れもまた旅の一興。
わかれの挨拶はいつもの『また何処かの山で!』
しかし冬山でこんな日に出会う人はぼぼ鼻水出てる。他人を見て己れを知る。

思い出すのは修学旅行

がれ場を下って登って久住山。九重は九つのピークの総称。阿蘇と同じケースだ。全山スタンプなるものもあり人気だとか。そういうの全く惹かれないけど。
山頂で愛知からの山ガール(最近言わないな)。昨日は韓国岳だったとか移動距離が凄い。はつらつとしたいい子だった(親父目線)。
ここから御池方面を見下ろす景色が火山の山九重連山ならではと思う。沢山のピークが俯瞰でき様々な登り口から上がってくる登山者がいるから、夜ひとりで登っていても向かいの山にライトが動いてたり、遠くの尾根に動く人が見えたりして、ひとりを楽しんでるくせにほっとしたりする。人って矛盾だ。

久重別れまで下ると風も無く道は緩やかで牧ノ戸からの軽装の人達とすれ違うようになる。山でも海外の人を頻繁に見るような時代になったと感じる。
霧氷をデジカメ撮影していた橙色のアウターを着た初老の人に、すごく遠くからずっと見えていたと話しかける。下山口が同じ様なので話しながら一緒に下る。(ついでに長者原の駐車場まで送ってもらう)。バリバリの博多弁が博多華丸みたいでほっこりした。
山の楽しさは高さでは無い。立地条件だと思う。
達成感や、征服感ならそれは標高や距離だろう。それは西洋的登山だ。
低山でも山頂から別山に縦走したり気持ち良い草原や川、見晴らしがあったらそれだけ楽しさは多岐にわたる。帰りに温泉や美味い飯屋に寄ったりすれば楽しみが何層にもなる。


山に登って『生き返った気がした』とか『生きてる感』いうのは結局安心安全な社会で錆びついた五感、魂を自然の中でフル活用する事でクリアにする、浄化と言ってしまってもいい。その行程で感じる事なのかも。それが所謂、禊、行なのでは。
火山の国、そして天孫降臨の地、九州は奥が深い。

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