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「なんでセンチじゃないの?」尺貫法がわからず現場で冷や汗をかいた元素人が、墓石の数字に込められた「祈り」に気づくまで

メジャーを見るのが怖かったあの日

正直に言います。石屋に転職したばかりの頃、私は自分が「無能」だと感じて毎日落ち込んでいました。

目の前にあるのは、数トンの重みがある御影石。

失敗したら取り返しがつかない高価な商品です。

先輩が口にする「尺(しゃく)」や「寸(すん)」という言葉が、まるで宇宙語のように聞こえました。

「そこ、一尺三寸で切って」 「えっと、約39センチですか?」 「バカ野郎、寸で覚えろ!」

背中に冷たい汗が伝う感覚。

センチメートルという「共通言語」が通じない世界。

定規のメモリを換算している間に、現場の空気はどんどん重くなる。

石の冷たさよりも、自分の知識のなさが身に沁みて寒気がしたのを覚えています。

私たちが普段通販で買う家電や、家具屋で買うソファはすべて「センチ」や「メートル」で寸法を明記しています。

なぜ、石屋だけが明治時代の遺物のような「尺貫法」を使い続けているのでしょうか。

ただの古い慣習なら、さっさと捨ててしまえばいい。最初は本気でそう思っていました。

まだこんな業界があったのか?意外な仲間たち


日本建築、畳、着物、包丁

孤独感に苛まれていた私ですが、調べてみると「センチメートル拒否反応」を示しているのは石屋だけではありませんでした。

実は、私たちの生活を支えるあの業界も、尺貫法なしでは成立しないのです。

  • 畳業界(畳屋さん) 私たちが「四畳半」と聞いてパッと広さがイメージできるのは、畳一枚が「3尺×6尺(サブロク)」という、大人が一人寝転べるサイズを基準にしているからです。実はこの「サブロク(約91cm×182cm)」という言葉、私たち石屋も板石などでよく使いますよね。関西の「京間」や関東の「江戸間」など、地域によって一尺の扱いが違うという複雑な事情も、石材店と全く同じで勝手に親近感を覚えました。

  • 大工・建築業界 家を建てる時の基本単位は今でも尺貫法です。「一間(いっけん=6尺)」は約1.8メートル。これは畳の長辺と同じであり、日本人の身体感覚に最も馴染む広さだと言われています。ベニヤ板のサイズも、畳と同じく「3尺×6尺」が基本です。家(大工)と床(畳)が尺貫法で作られている以上、そのミニチュア版である「お墓」が尺貫法なのは必然だったのです。

  • 和服・呉服業界 着物の仕立ても「鯨尺(くじらじゃく)」という独自の尺貫法を使います。反物の幅や袖の長さなど、センチで測ると半端な数字になり、美しいシルエットが崩れてしまうからです。

  • 道具鍛冶・包丁 料理人が使う和包丁も「尺一(しゃくいち)」のように長さを示します。

これらに共通しているのは「日本の伝統的な美意識」や「身体感覚」に関わる仕事だということです。

石屋もまた、ただ石を売っているのではなく、この「日本の寸法」を守る番人の一人だったのです。

「寸法」という言葉に隠された秘密


「寸」という漢字は、手首の脈を測る位置から生まれた象形文字

ふと気になって辞書を引いてみたことがあります。

私たちが普段、当たり前のように使う「寸法(すんぽう)」という言葉。

よく見ると「寸(すん)の法(ほう)」と書くことに気づきました。

そう、「サイズ」を意味する日本語そのものが、そもそも尺貫法ありきで出来上がっていたのです。

さらに驚いたことに、「寸」という漢字は、手首の脈を測る位置から生まれた象形文字だそうです。

つまり、尺貫法は「冷たい定規のメモリ」ではなく、「温かい人間の身体」そのものだったのです。

私たちがセンチではなく尺や寸でお墓を作る理由。

それは、お墓を「単なる石の塊」ではなく、「生きた人間の延長線上にある場所」として扱っているからなのかもしれません。

なぜ石屋は「センチ」に変えないのか?その合理的な理由

法隆寺の五重塔

では、なぜ墓石は頑なに尺貫法なのでしょうか。

私が現場で先輩の背中を見て、そして多くのお客様の納骨や法要に立ち会って気づいた「真実」があります。

それは単なる意地悪や懐古趣味ではありませんでした。

  • お墓は「死後の家」であるから お墓はご先祖様が眠る「終の棲家」です。日本の家屋(建築)が尺貫法で作られている以上、そのミニチュア版とも言えるお墓もまた、尺貫法(カネ尺)の比率で作られるのが最も美しく、バランスが取れるからです。

  • 「割り切れない」数字への抵抗 1尺は約30.303センチメートルです。これをセンチに直そうとすると、どうしても割り切れない端数が出ます。永遠の眠りにつく場所の設計図が、割り切れない半端な数字で埋め尽くされている。それはなんだか、ご先祖様に対して失礼な気がしませんか?

  • 黄金比ならぬ「白銀比」の美学 西洋の黄金比に対し、日本には「白銀比(大和比)」という美の比率があります。法隆寺の五重塔にも使われているこの比率は、尺貫法を用いることで自然と導き出されます。墓石がなんとなく厳かで美しく見えるのは、この魔法の比率が隠されているからです。

「30.3センチ」の向こう側に見えたもの


ある秋の法要の日でした。 お線香の煙が静かに立ち上り、独特の白檀の香りが鼻をかすめる中で、施主様がこう言いました。

「やっぱり、立派なお墓にしてよかった。なんだか、親父がゆったり座っているように見えるよ」

その言葉を聞いた時、私の中で全てが繋がりました。

私たちが扱っている「一尺」という長さは、単なる30.3センチという物理的な距離ではありません。

それは、日本人が長い歴史の中で培ってきた「居心地の良さ」の基準であり、ご先祖様への「敬意の単位」だったのです。

あの日、冷や汗をかきながら覚えた「一寸、一尺」。

それは、お客様の想いを、数百年の時を超えて形に残すための「翻訳機」でした。

見えないものを見るメガネ


見えないものを見るメガネ

今では私も、センチより尺で考える方が早くイメージできるようになりました。

街を歩いていても、古い神社の石畳や、おばあちゃんの家の柱を見て「ああ、これはいい寸法だな」と感じることができます。

それはまるで、世界を見る解像度が少し上がったような感覚です。

もしあなたが、仕事の専門用語や古い慣習に「意味がわからない」と腹を立てることがあったら、少しだけ立ち止まってみてください。

その面倒くさいルールの奥底には、先人たちがどうしても残したかった「心の形」が埋まっているかもしれません。

石屋の仕事は、重い石を運ぶだけではありません。

その石に込められた、目に見えない「単位」を大切に守り抜くこと。

それが今の私の誇りです。




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