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S17:イラストを仕事にしていたわたしが、「描かない選択」をした理由

絵を描くことをやめたわたしが、言葉を描きはじめた日。

好きだったからこそ、つらくなってしまった。
それでも今、そっと手をゆるめたことで
見えた景色がありました。


0|はじめに:描かなくなったことを、ようやく言葉にできる気がした

「もう、絵を描きたくない」と思った日があった。

自分の中にその言葉が浮かんだとき、
思ってはいけないことを考えてしまったような気がして、
すぐに心の奥に押し込めた。

好きだったはずなのに。
やりたくて始めたはずなのに。
あんなにがんばってきたのに…

でもいま、ようやく少しだけ、
その言葉と向き合ってみようと思えるようになった。

描くことをやめたわけじゃない。
ただ今は、描かないでいるだけ。

それを「手放し」と呼ぶのなら、
わたしはいま、そっと手をゆるめているところなのかもしれない。


1|描くことが、わたしのすべてだったころ

イラストや動画制作、わたしの仕事は
ずっと「描くこと」と共にあった。

まだ経験も浅かったころ、
依頼をもらえるようになったときのうれしさは
今でも忘れられない。

「好き」が仕事になった。
イラストレーターとしてスタートできた。

それは、あの頃のわたしにとって
夢のような日々だった。

絵を描いて喜んでもらえること。
世界観や表現を信頼してもらえること。
「お願いしたい」と言ってもらえること。

どれもがありがたくて、誇らしくて、
「わたしは、ここにいていいんだ」と思える瞬間だった。

朝から晩まで描いて、修正に向き合い、構成を考え、
納期ギリギリまで粘る日々。
それでも、わたしのエネルギーは尽きなかった。

あのころのわたしは、
描くことに、全部をかけていた。


2|それでも、いつしか「描きたくない」と思ってしまった

それは、突然ではなかった。
ゆっくりと、でも確実に、
描くことが重さになっていった。

納期が詰まりに詰まった日々。
何度も入る修正依頼。
想いを込めた作品が、数字や反応で測られる現実。

心がじわじわと疲弊していくのを感じながら、
首、肩、腰、手、眼…
ひとつずつ、動かなくなっていく体。

わたしは、描きながらどこかで
「好きだから頑張れる」を超えて、
「好きだから、頑張らなきゃいけない」
に変わっていた。

気づいたら、
「このままじゃ壊れてしまうかもしれない」
「いつまで身体がもつだろうか」と感じながらも、
立ち止まる勇気が出なかった。

そして、好きだったものが
自分の中でノルマになったとき、
「もう描きたくない」と思った。

その瞬間が、
一番、悲しかった。


3|「描けない自分」を責めたくて、でも責められなかった

描けないわたしは、
逃げているように見えた。

でも、描こうとすると、心も体も動かない。
描いても描いても線が歪んで、消す。
まったく進まない。

白紙のままの画面を、
ただ眺めて、そっと蓋をしてしまった日もあった。

「わたし、もうダメだ」
「前みたいには、もう戻れない」
「描けないって、もう終わりなんじゃないか…」

でも、あるときふと気づいた。

わたしは、描くことが嫌いになったんじゃない。
ただ、疲れていたんだ。

心も体も、
描き続けることに追いついていなかっただけだった。

描けなくなったわたしを、「治す」ことや
「戻る」ことだけが正解ではない。

いまはただ、少し離れてみることを、自分に許した。


4|それでも、ご縁が細くつながっていることに、救われている

今でも、年に数回、
イラストや動画のお仕事をいただいている。

描くことをやめたわけじゃないけれど、
「いまは描かない」と決めてからは、
こちらから営業やプロモーションはしていない。

それでも、ときどきふと
「お願いできますか?」と連絡をくださる方がいる。

そのたびに、
過去の自分が一生懸命やってきたことが、
ちゃんと誰かの中に残っていたんだ、と感じる。

それが、どれほどありがたくて、救いになっているか…
うまく言葉にならないくらい、
深く、静かな感情がこみあげてくる。

描いていないのに、思い出してもらえる。
それは、わたしが「まだ描ける人」だと、
誰かが信じてくれていることの証のようで。

あぁ、続けてきてよかったな、と
そのたびに、報われたような気持ちになる。


5|「手放すこと」は、終わりじゃなかった

描かないでいるあいだ、
わたしは、別の表現に出会った。
それが「書くこと(ライティング)」だった。

もともとクリエイターとしては
広告クリエイティブや動画のシナリオ(脚本)から
絵コンテ、作画、撮影、編集…と全部していたので
「好き」の一部だった。

ライティングを再開することで
言葉を通じて気持ちを整え、
過去の自分を見つめ直し、
誰かと静かにつながることができた。

描くことから離れたはずなのに、
書くことでまた、「わたしはここにいる」と
感じられるようになった。

表現という軸は、
ずっと自分の中にあったんだと、あとから気づいた。

そして思う。

手放したからこそ、見える景色があった。
離れたことで、好きのかたちが変わった。

わたしはもう、
「ずっと描き続けなきゃ」とは思っていない。
でも、「もう二度と描かない」とも、思っていない。

きっとまた描きたくなったら、
そのときのわたしに、まかせてみようと思う。


6|おわりに:描くことと、わたしは、たぶんまだつながっている

描かない日々が続いていても、
わたしの中から、描いた記憶は消えていない。

手を動かした時間も、
構成、構図に悩んだ夜も、
納品後のクライアントの笑顔も。

すべてが、わたしの中に、まだそっと残っている。

だからもう、無理に戻らなくてもいい。
でも、無理に忘れようともしなくていい。

もしまたいつか、
ふと「絵を描きたいな」と思えたときには、
その気持ちをやさしく迎えてあげられるように。

いまは、「描かない」わたしのままで、
新しい「書く」を味わいながら
日々の中を静かに歩いていく。



好きだったけど、続けられなかった。
そんな経験をしたことがある人へ。

それは「終わり」ではなく、
「持ち方が変わった」だけかもしれません。

あなたの中にも、
そっと生き続けている「好き」は、
今日も、静かに息をしているはずです。

noteを始めて、3ヶ月。
この節目に、気持ちを綴っておきたくなりました。


▶︎このnoteは、
わたしの働き方や表現の軸を静かに見直す場所、
S|静かな設計図|silent blueprint に綴っています。



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