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1989年クーデター|フィリピン

※写真はAI生成画像なので、現実とは関係ありません。

皆さん、こんにちは。
酷い思い出ではありますが、
それもまた人生の一部と考えて
皆さんとも共有しておきたいと思います。

今日は
1989年にフィリピンで起こった
クーデターの話です。

私自身も巻き込まれてしまい、
マニラのホテルにて
1週間閉じ込められました。


1.AI(Gemini)による状況確認

まずは事実関係を
できるだけ正確にお伝えするために、
Gemini先生の情報をご紹介します。

AIによる情報は
一部鵜呑みにできない部分もありますが、
私が当時に現地で体験した
時期や状況と合致しています。


フィリピンでは、特にマルコス政権崩壊後の1980年代後半から、多くのクーデター未遂事件が発生しました。その多くは軍の一部によるもので、成功には至っていません。

過去50年以内(概ね1975年以降)に発生した、主要なクーデター(決起)の年と首謀者とされる人物を以下にまとめます。


(1)過去50年間の主なクーデター

フィリピンで最も活発にクーデター未遂が繰り返されたのは、マルコス独裁政権を打倒した**エドゥサ革命(ピープル・パワー革命)**後の、**コラソン・アキノ大統領(1986年~1992年)**の政権期です。

赤い枠の部分で、
1989年12月に発生したクーデターにおいて
私自身(まんでい)も巻き込まれました。

過去50年内にフィリピンで発生したクーデター

(2)💡 補足:グレゴリオ・ホナサン氏

グレゴリオ・「グリンゴ」・ホナサン氏は、マルコス政権打倒に貢献した英雄の一人でありながら、その後、アキノ政権に対して幾度となくクーデターを試みた、フィリピン政治の歴史における特異な人物です。彼は後の選挙で上院議員に当選しています。

フィリピンのクーデターは、大統領の独裁的傾向や汚職、貧富の格差拡大など、政治・社会の不安定さに起因することが多いのが特徴です。


2.自分の記憶


(1)クーデター初日


当時私は
フィリピンの地方病院26ヵ所において、
医療機器を設置する
業務に携わっていました。

地方だと
まともなホテルもなくて散々でしたが、
元請けの会社担当者にも気を使っていただき、
首都マニラに戻ってきたときには、
5スタークラスの
マニラペニンシュラホテルに
宿泊していたタイミングでした。

ホテルの窓の外では
なぜかプロペラの飛行機が
ブンブンと飛んでいましたが、
特に気にもしていませんでした。

しかしながら
関係する会社の日本人責任者より、
「クーデターが発生したので、
ホテルの外には
絶対に出ないで下さい。」
との電話連絡内容でした。

さらに、
「現時点ではそのホテルからは
少し距離があるので
問題ない状態ではありますが、
念の為の措置です。」
とのコメントもありました。

自分にできることは何も無いと
思った私は、
仕事の打ち合わせに行くつもりが
外出不可とのことだったので、
一緒に業務に携わった
もう一人の日本人と
ホテル内のロビーやレストランで
くつろぐことにしました。

その日は何事もなく、
レストランでも
普通にメニューから
食べたいものを選んで
食べることができた状態でした。


(2)クーデター2日目

2日目の朝も普通に起きましたが、
外出もできないので、
ホテルでのんびりとしながら
仕事上での関係書類に目を通したり、
音楽を聞いたりしていました。

しかしながら
容易に現状を把握できる状態でもなく、
スマホやネットがある時代でもありません。

たまたまホテルの掲示板があったため
目をやると、
各国大使館からの連絡内容が貼り付けてあり、
アメリカ、イギリス、スペイン、フランス等からの
注意事項等が記載されていましたが、
我々にとって肝心の
日本大使館からの張り紙は
何もありませんでした。

この日も
のんびりくつろぎながらも、
何となく不安がよぎりつつありました。

それでもレストランでは
普通に食事はできました。

(3)クーデター3日目


現地関係会社の
日本人から電話連絡が入り、
「戦闘地域がどんどん移動してきており、
私(まんでい)のいる
ホテルの方向に移ってきているので、
とにかく外出しないように
厳重に注意しておいて下さい。」
とのことでした。

「何でこっち来るんだよ」と
思いつつも、
まだ心のどこかで、
首都マニラなのだから、
必ずしもこちらに来るということでは
ないだろう、
という
希望的観測を持っている気持ちでした。

その日になって初めて
日本大使館からの注意書きが
ホテルの掲示板に貼り出され、
とにかく絶対に外出しないように
とのことでした。

以前から
「本当に危険な時には
日本大使館ではなく
アメリカ大使館に逃げ込め」
という話を時々耳にしていました。

これは平和ボケした日本大使館では
当てにならないため、
アメリカ大使館に行った方が
まだ良いという意味でした。

「各国大使館が初日から
注意喚起の張り紙をだしているのに、
日本大使館は3日目だったな」等と
若干ネガティブな印象を受けました。

あまり考えていてもしょうがないので、
ホテル内レストランに行ったのですが、
選択式のメニューは無く、
ビュッフェ形式に変更されていました。

ホテルスタッフに理由を聞くと、
スタッフ達も外出は不可で、
外部からも食料を運搬するトラックが
入ってこれないため
との説明でした。

(4)クーデター4日目

外出できないという不自由さはあったとしても、
5スタークラスのホテルなので、
空調設備やら室内のベッドは
リラックスするには十分でした。

それが夕方になり、
やることもなくてベッドの上で
くつろいでいると、
急に室内の緊急用スピーカーから
アナウンスがありました。

それは
「台湾人の女性1名が
我慢できずに外に走り出してしまい、
反政府組織狙撃手に撃たれた。」

とのことでした。

アナウンスは続き、
「絶対に外には出ないで下さい。」
との強い口調でのメッセージでした。

それから数時間後、
さらにアナウンスがあり、
「戦闘地域がこちらに移ってきました。」
との連絡でしたが、
既に軟禁状態の私のいるホテルがど真ん中に位置し、
隣のホテルには反政府軍、
逆隣のホテルには政府軍が陣取ったとのことでした。

人が撃たれたというぐらいだから、
戦闘地域がこちらに移動してきているのも
既に知っている状態だったけど、
こりゃ何なんだと言いたい気持ちでした。

ホテルアナウンスでは、
「カーテンは閉めた状態で、
絶対に外の様子を見よう等としないで下さい。
ベッドの上で寝ずに、
寝具をトイレの中、
またはベッドの後方に移動して寝て下さい。」

とのことでした。

ホテルは満室状態なので、
我々だけということでもないのですが、
緊張感マックスの状態でした。

この日の食事と言うと、
既に食事が尽きてしまい、
コーヒーとマッシュポテトしかありませんでした。

しかしながら他の宿泊客もスタッフ達も
全く同じ状態なので、
文句を言うこともできません。

私と同僚は、
イラクで戦争に巻き込まれた経験もあることから、
銃撃戦も経験はしていましたが、

「また(銃撃戦)かよ」

という気持ちでした。

戦争をしていたイラクからも
何とか無事帰国したのに、
フィリピンというアジアの国で
また同じように逃げ出すこともできずに
ただじっと忍耐強く
状況が収まるのを待つだけでした。

(5)クーデター5日目

窓の外でドンパチ聞こえるのですが、
拳銃やライフルというレベルではなく、
もはや大砲ではないかと思えるような
大きな音が聞こえました。

恐る恐る
窓のカーテンをちょっとだけ開けて、
覗いてみたところ、
何と装甲車が出ていて、
そこから大砲を撃っているようでした。

「なんていうこった。」
まるで自分たちのホテル近くで、
本当に戦闘が続いているようです。

何とか状況を知ろうと思い、
室内でテレビも見ているのですが、
現地の番組では
英語で放送してはいたものの、
実際の戦闘状況や地域の状況になると、
突然タガログ語になってしまい、
外国人の我々には理解できない状況でした。

今日も緊急用スピーカーから
アナウンスの声が聞こえて、

「客室内も既に安全ではないため、
窓の無いレストランに全員集まって下さい。」
とのことでした。

隣のホテルに反政府軍、
逆隣には政府軍が陣取っていることくらいは
わかりましたが、
外の状況を確認できる状態でもないため、
とにかくアナウンスの内容に従って、
窓が設置されていないレストランに移動しました。

ホテル側からは、

「申し訳ないのですが、
外部は本当に危険な状態になっているため、
今夜はここで全員寝て下さい。

との案内がありました。

幸い私一人ではなく、
同僚の日本人一人と、
さらに満室だったこともあって、
宿泊客は全員そこにいたため、
緊張感の中でも僅かながらの安心感もありました。

私自身は
Sonyのポータブル製品で、
TVやビデオテープの視聴ができる物が
ありましたので、
何とかTVが映らないかと試してみました。

それに気づいた周りの人たちも
集まってきましたが、
生憎と窓も無い部屋では
映像も音声も映ることはありませんでした。

レストラン内では
テーブルが全て片付けられ、
そこに宿泊客が全員雑魚寝の状態です。

(6)クーデター6日目

全員が不安の中で
1日を過ごしました。

既に食料もほとんど調達できず、
コーヒーとマッシュポテトだけという状態で、
かつこれだけの緊張感の中では
食事するような気持ちにもなれませんでした。

宿泊客全員でレストランの床で雑魚寝です。
なんてシュールな状況なのかと思いました。

これで反政府軍と政府軍の間の均衡が壊れて、
反政府軍がなだれ込んできたりしたらどうしよう、
等という不安もありましたが、
自分たちが戦闘に加わることも不可能なので、
ただひたすら我慢するしかありません。


(7)クーデター7日目


朝に目が覚めたので、
コーヒーくらいほしいなと思ったのですが、
既に売り切れで飲み物もほとんどないとのことでした。

これで食料品も飲み物も尽きてしまい、
どこまで我慢していられるのかも不安に思いました。

しかしながら、
急に館内放送にて、

「反政府軍と政府軍との戦闘が停戦になりました。」

との案内がありました。

さらにその後の案内により、

「宿泊客を全員空港に送るための
バスが来ますので、
乗客は全員バスに乗って下さい。」

とのことでした。

ホテルに幽閉された状態だったので、
何がどうしてそうなったのかの経緯も
わからないままではありましたが、
とにかく解放されることになって、
他の宿泊客とともに胸を撫で下ろしました。

3.その後の状況


(1)メディア関係者が入ってきた


他の宿泊客とともに、
ホテルの玄関に迎えに来たバスに乗るために
並んでいたところ、
報道陣らしき人たちがなだれ込んできました。


日本人記者らしき人も入ってきたのですが、
私と同僚は
当時ヒゲを生やしており、
しかも冴えないTシャツとジーンズ姿だったせいか、
インタビューすらしてもらえず、
ニュースに自分の顔が出るかと思ったのに、
思わず

「チッ」

と舌打ちしていました。

それでも後日、
新聞の全国紙に
解放された宿泊客ということで写真が掲載されていたので、
同僚が新聞社に問い合わせて写真をもらったのですが、
どこかに捨ててしまったようです。

(2)ホテルから空港、そしてまたホテル


送迎バスは全て空港へ向かって行き、
私と同僚も同じく空港に到着しました。

他の宿泊客たちは
すぐに帰国の手続きをしていたようなので、
私達もこれで一旦帰国できるかなと期待して
会社に連絡を入れたのですが、
何と上司から返ってきた返事は、

「引き続き頑張ってくれ」

ええ~~っ、
俺達帰国できないの~~っ!!と
文句を言ってみてもしょうがないので、

結局またマニラ市内のホテルを予約し、
戦闘地域になっていたマカティからは
少し離れたところではありましたが、
別のホテルにチェックインしました。

後日
今回の業務を発注した元請けの会社担当者は、
我々の会社に焦って連絡し、

「まんでい(私)さん達は、
今回の仕事はもう懲り懲りとなって、
仕事も頓挫してしまうのでしょうか。」

と問い合わせたそうですが、
会社の上司からは、

「大丈夫ですよ。
あの二人は
イラクで銃撃戦にも慣れていますから。」

とのことだったそうです。

なんちゅう上司だ~~!!
と突っ込みたくなったけど、
あとになってわかった話なので、
時間の逆戻りもできず、
結局全部仕事が終わってからの帰国になりました。

ちゃんちゃん!!!

話が長くなってしまって
くたびれたので、
今日の話は以上にします。

また次の記事でお会いしましょう。

Chao !!








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