お風呂の湯船で、地球をのむ。〜わたしの身体は、水の壮大な通り道〜
今日、お風呂の温かいお湯にのんびりと浸かりながら、ふと不思議な思いに囚われていました。
「この目の前のお湯は、一体どこからやってきて、どこへ去っていくんだろう?」
蛇口をひねれば当たり前のように出てくる水。でも、その先をずーっと辿っていけば、近くの川や、広大な海へと繋がっているはずです。
お風呂の栓を抜いたあと、排水は処理場できれいにされて、また海や川へと帰っていく。
そうしていつかは、巡り巡ってまた水道水になったり、おしゃれなペットボトルに詰められてお店に並んだりするのかもしれません。
ため息になった、さっきまでの血液
そう考えると、今度は「わたしの口に入ったお水」の旅路が気になってきました。
ゴクリと飲み込んだお水は、どれくらいの時間をかけて、どんな風に外の世界へ戻っていくのでしょうか。
調べてみると、お水の旅は想像以上にダイナミックでした。
口から入ったお水は、 吸収されてからわずか1分ほどで血液に混ざり合い、全身を巡り始めます。
そして、早いものは数時間、長いものは1ヶ月以上かけて、じわじわと新しいお水に入れ替わっていくのだそうです。
面白いのは、その出口です。
役目を終えたお水の一部は、心臓から肺へと送られ、呼吸と一緒に外へと吸い出されます。
私たちが意識せずにつく息や、ふとした「ため息」。
それは、ついさっきまで私たちの血管の中を流れ、脳や心臓を巡っていた、まさにその血液の一部だった水分なのです。
窓を開ければ、その水分は一瞬で外の空気に溶け込み、空へと昇っていきます。
「消費」ではなく「お借りしている」だけ
もう一つのルートは、身体のフィルターである腎臓です。
ここを通り抜けた水は尿として排出され、再び下水処理場から海や川への旅に出ます。
また、皮膚からじわじわと蒸発した汗は、やがて上昇して雲になり、雨になって大地に降り注ぎます。
私たちは毎日、たくさんの水を「消費」しているような気持ちで暮らしています。
でも、本当はそうではないのかもしれません。地球が何十億年もかけてずーっと循環させている壮大な水の一部を、ほんのひとときだけ「お借りして、身体を通らせてもらっている」だけ。
そんな感覚がしっくりときます。
いま、わたしの細胞を満たしているお水は、いわば一時的に「わたし」という名前の服を着ているだけ。
役目を終えれば、その水はまた服を脱ぎ、あるものは空へ、あるものは川へと還っていく。
そう思うと、自分という存在すらも、地球を巡る水の「壮大な通り道」のひとつのように思えてきます。
今日の一杯に、遠い物語を乗せて
今夜、わたしの身体を温めてくれたお風呂のお湯は、かつて何百年も前にどこかの国の誰かがお茶として愉しんだものかもしれないし、何億年も前に恐竜たちが浴びていた水かもしれない。
そして明日には、大空を飛ぶ鳥の喉を潤しているかもしれません。
そう考えると、この世界にあるすべての命は、お水というたった一つのリレーのバトンで、ずーっと繋がっているような気がしてきます。
お風呂上がりに飲む、冷たい一杯のお水。いつも通りのなんてことのない習慣が、ほんの少しだけ特別で、愛おしいものに感じられるのです。
