ショートショート 『透かし』
自分の体に奇妙な「透かし」があると知ったのは、ある夏の日のことだった。知人が、まるで珍しい昆虫でも見つけたかのように叫んだのだ。
「おいお前の腕、光に透かすと何か模様が見えるぞ」
言われるがまま、俺は自分の腕を太陽にかざしてみた。しかし、何度角度を変えても、俺自身の目には何も見えなかった。知人は興奮して何かをまくし立てていたが、具体的にどんな模様なんだと尋ねると、なぜか口ごもった。
「いや、何というか、すごく個人的なことのように思えてね」
その日から、俺の人生は一変した。世界で唯一の「透かしのある人間」。天涯孤独だった俺の周りには、いつの間にか人だかりができていた。テレビ局は俺をスタジオに招き、科学者たちは俺の体をあらゆる角度から調査した。誰もが俺の腕を光にかざしては感嘆の声を上げたが、肝心なことは誰も教えてくれない。まるで、それが触れてはならないタブーであるかのようだった。
最初は戸惑っていた俺も、次第にその状況に慣れ、やがて快感を覚えるようになった。俺はこの世界でただ一人、特別な存在なのだ。誰もが俺に注目し、誰もが俺を語る。だが、その核心には誰一人として触れることができない。俺こそがこの世界の中心であり、唯一無二の「本物」なのだ。そう思い込むのに、時間はかからなかった。
そして、運命の日。俺はある生放送の討論番組で、ついにこう言い放った。
「私には、きっとこの世界の真理が刻まれている。そうでしょう?それに比べて、透かしの一つも持たない諸君らは、いわば出来の悪い贋作だ。不完全なコピーだ」
スタジオは静まり返り、やがて激しいブーイングの嵐が俺を包んだ。増長しきった俺は、ついに一線を超えてしまったらしい。司会者がひきつった顔で割って入ってきた。
「あなたはご存じないのですね。我々が何故、誰もあなたの透かしについて言及しなかったのか」
司会者は一枚の紙を取り出し読み上げた。政府機関による調査報告書だという。
「被験者の身体に見られる透かしは、最新の鑑定技術により、二名の男女の氏名であることが判明。これは、かつて国立印刷局に勤務していた男性と、原料である特殊和紙の女性のものであり、これが彼の両親の名であると結論付けられる」
――は?俺の両親?…… 和紙?
頭が真っ白になった。「お金が恋人」なんて誰しも口にはするものだが、本当にお金を愛した馬鹿が居たらしい。スタジオの巨大なモニターに、高解像度で撮影された俺の腕の透かしが映し出された。そこには、俺が一度も会ったことのない、二人の名前が刻まれていた。その二つの名前を見つめているうちに、俺の頭に全く別の考えが稲妻のように閃いた。
そうだ、そうじゃんか。
俺は顔を上げ、マイクを掴み取ると、再び叫んだ。
「つまり、 私の父は国立印刷局に勤め、母は特殊和紙そのものだったと。…… まさに血統書付き! 私こそが、この国から生まれた唯一無二の特別な存在であることの証明じゃないか! やはり俺は君たちとは違うんだ!」
どこまでも歪んだ解釈に、スタジオは今度こそ完全に沈黙した。司会者は呆然と口を開けている。
その時、スタジオの扉が静かに開き、黒いスーツを着た数人の男たちが入ってきた。そのうちの一人が、俺に近づき、一枚の書類を差し出した。
「国家重要資産保護法に基づき、これよりあなたの身柄を保護します」
男は淡々とした口調で告げた。
「あなたは国の特殊資産であり、極めて貴重な文化財です。破損や劣化を防ぐため、今後は我々の施設で厳重に管理・保管させていただきます」
何も言えなかった。そのまま男たちに両脇を固められ、放送が中断されたスタジオから連れ出される。俺の過ごした日常の最後は、まるでガラス一枚隔てて司会者や観覧客たちが博物館の展示物を見るかのような、好奇と憐憫の入り混じった目で見ている奇怪なものだった。
◇◇◇
そして俺は真に特別な存在になった。唯一無二の存在として、永遠にその価値を保証されることになったのだ。ただ、これからは一生をここで過ごす。ショーケースの中から二度と出られなくなったというだけの話である。
見に行きたい?どうぞどうぞ、見学なら大歓迎。
入館料は、透かしの入ったお札が一枚だ。
