「マクロスFとシェリルが刻んだ爪痕」
18年を経てなお色褪せない熱狂
『マクロスF』がテレビで放送されたのは2008年4月のこと。ちょうど18年前になる。それが今も色褪せないビッグコンテンツになっているなんて、当時は想像すらできませんでした。

それでも『Δ(デルタ)』が放送された今なら、その理由も分かる。比べれば『F』の人気が『Δ』を食ってしまうのも無理はないんですよ。知っての通り、あちらは「ワルキューレの物語」に特化していったのだから。とはいえ「同じことは二度としない」という河森正治の信念とは裏腹に、結局のところ『F』はそれまでのマクロスシリーズが築いたレガシーありきで成功した、とも言えるのだろう。
緻密なオマージュと二人の歌姫
数々のオマージュが散りばめられ、バジュラという未知の敵と戦うFのプロット。過去作の設定を避けたり似せたりといった構成のおかげで、ストーリーはほぼ破綻なく劇場版長編2作と短編1作まで完走した。
綺麗な終わり方だったのはもちろんだが、やはり作中でのファンサービスが作品のクオリティを押し上げたことは間違いないんだよ。

その分、二人の歌姫がよりフォーカスされてシャープに描かれていたことが『F』の最大の魅力だった。ビルボードをキープするようなシェリルのクールさと、80'sアイドルのような道を駆け上がるランカの力強さ。
ライバルでありリスペクトする間柄というのは、当時のAKB48人気ともリンクしていたのかもしれないな。
シェリル・ノームと私
私は特にシェリルに肩入れしていてね。テレビ版でどんどん弱っていく彼女が吐血したシーンでは、かなりキツイ思いを受けたものです。さらにトップシンガーの座をランカに奪われて雨の中、街を彷徨うシーンは、これも自分の心情とリンクしてしまった。

そして、シェリルへの気持ちは『虚空歌姫(イツワリノウタヒメ)』でより強くなりました。
誓いなさい その涙に
奇跡にとりつかれて
ガレキを飛び越え 上昇するカーブ
心に鼓動 求めなさい
この命返すまで
間に合うだろうか
――オベリスク――
この奮い立たせるような詩で持ちこたえたし、救われた。たぶん、歌に「救われた」と思えたのはこれが初めてだったんです。本当にこの時期は心身共にボロボロで、でもそれを表に出さないようにしていたから、自分の中ではシェリルとリンクしていた。
追い詰められた先の「サヨナラノツバサ」
続く『恋離飛翼(サヨナラノツバサ)』は、もうオープニングから参りましたね。それでも「追い詰められてるからこそ自分のやりたいことをやる」という気持ちは痛いほど分かる。そして、ランカサイドの苦悩や葛藤も。
シェリルは特別な生い立ちから生まれた苦しみだが、ランカは誰もが十代に経験した「夢への希望と不安」という分かりやすい思いを描いたからこそ、広く共感された。

そして、二人の苦しみと希望は螺旋を描くように交わって入れ替わってしまうことを視聴者は知っている。だから、シェリルの気持ちを知るということはランカの気持ちを知ることになる。二人はタイプは全く異なっていても物語の中では運命共同体として描かれているんだよ。

『サヨナラノツバサ』は、さらに二人のヒロインの気持ちを読み解かなければ語れない。これはまた、改めて書かねばいけないな。
了
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