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エッセイ「機能美に酔いしれる」改訂版

(※過去の記事に加筆・改訂したものです)

​ 私が銀座の伊東屋へ行くとね、ビル全体が文具という熱気に満ちているんだ。手帳、ペン、便箋、筆。あらゆる道具がそこには揃っている。文房具のセレクトショップ、ロフトの文房具版のような店だ。

​ ずいぶんと足が遠のいているが、あそこへ行くと、目当ての品を仕留めたあともどうにも長居がいけない。並んだ文具を眺めては、その美しさにほれぼれしてしまうんだよ。

​ 文具というものは、工業製品としての美の極致である。無駄を徹底的に削ぎ、ただ一つの目的のために研ぎ澄まされた姿は、スパナなどの工具に近い。コンパスの精密さ、デザインナイフの鋭利さ、万年筆の重厚感。

​ とくに万年筆はね、ペン先もさることながら、軸のR(曲率)や太さの違いが書き味を左右する。握りの座り、角度、筆圧、そして長時間書いた折の疲労感。これらが一本ごとにすべて異なる。書いた文字の太さや曲がり、トメやハネまで違うんです。そんなわずかな差異に見惚れる。だけど、万年筆はボールペンのように、そう幾本も買い漁るものではないでしょう。だからこそ、こうして眺める時間が愉しいんです。

​ そうして一時間も過ごしたあとは、ライオンのビアホールへ寄り、冷えたビールを干して帰る。これがいいんだよ。

​ それとね、目的のために最適化された美しさは、何も文具に限った話じゃあないよ。

​ フォーミュラカーの、シャーシ、タイヤ、ウィングが己の役割を剥き出しに主張する潔い意匠も好きである。ただ、速く走る。サーキットにはコーナーもあるのだから、ここで言う「速さ」には当然、旋回性能も含まれる。それらを最小限の部品で組み上げるのだから、美しくないはずがない。ラ・フェラーリのような車が放つ色気も、F1の技術をコスト度外視で注ぎ込んだゆえの必然ですよ。

​ 私も昔ね、知人の勧めで引退したF1に座ったことがあるんだけどね、あれは車じゃないよ。視界の高さはせいぜいが立っている人間の腰くらいまでしかない。両足は伸ばした状態で、左右の幅もほとんど余裕がないんだ。視界が低いからモナコのようなガードレールが多いコースでは、道路とガードレールくらいしか見えないんじゃないかな。これは車という乗り物ではなくて、まったく別のフォーミュラカーという乗り物なんです。

​ かように機能を突き詰めれば、ギリギリまで削り落とした機能美が完成する。

​ そして、忘れてならないのが戦闘機だ。これにも人を惹きつける美がある。少しばかり物騒な話ではあるけどね、本当のことだから仕方がないんです。

​ F-16戦闘機なんてものは、まあ、自衛隊のF-2の原型なんだけど、これは小型、軽量、単発エンジンという制約から逆算された形をしている。機首から胴体への流れるライン、空気吸入口の曲線、単発エンジンの収まり。これらが「道具」としての色気を発散しているんだよ。部品こそ膨大だが、機能に準じた美という点では、文具と何ら変わりはない。

F-16戦闘機


 F-16は主にアメリカ空軍に配備されている。当時、世界最強と讃えられた兄のF-15イーグル戦闘機は、双発エンジンのパワーを存分に発揮するために逞しいデザインをしているが、弟は調達費用を抑えるための制限に縛られてしまった。しかしね、それがあの機能美を生んだんだよ。

​ 自衛隊のF-2は洋上で敵を迎え撃つ専守防衛を体現化したような機体だけどね、単発エンジンはコストを削減できるのと引き換えに、エンジンが停止すると墜落してしまうというリスクを抱えている。だからね、海上を縄張りにするなら、エンジンの一基が故障しても飛行できる双発がいいんだ。それでもF-16のデザインには魅力があったということなんだよ。

​ しかしね、万年筆が文化を紡いで、車が文化を推し進めるのに対し、戦闘機は文化を破壊するために存在する。

​ 造形に罪はないが、やはり、「ペンは剣よりも強し」だ。

​ そうして私はまた、あの静かな万年筆の列を眺めに、銀座へ足を運ぶと思うんです。


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山下静希 自分の記事の価値を知りたいと思っています。 いただいたチップで一杯の美味しいコーヒーを飲ませていただきますので、応援よろしくお願いします。