宇宙を見ていたはずなのに、勝手に親戚目線になった話| The Mandalorian and Grogu
The Mandalorian and Groguを観てきた。
宇宙の話のはずなのに、気づけば感想はだいぶ違う方向に寄っていく。
シガニー・ウィーバー(エイリアンで有名なシガニー・ウィーバー)が出てきた瞬間、「あ、元気そうでよかった」と思ってしまった。
私の脳内では、その瞬間からエイリアンとマンダロリアンが勝手にコラボを始めていた。
昔見ていたエイリアンの記憶が急に重なってきて、なんだか勝手に胸が熱くなる。
そのせいだろうか。
気づけば頭の中では、本編とは別にスピンオフが始まっていて、
どこかの銀河でアフタヌーンティーでもしながら、正体不明の何かの捕獲ミッションを、無茶振りしてくる上層部の愚痴を聞いている、そんな光景になっていた。

作品として正しい受け取り方かどうかはわからないけれど、
自分の中ではちゃんとつながってしまう。
仮面の主人公も、思っていたよりずっと、人間味のある“お父さん感”がにじんでいて意外だった。
それなのに、あの動きと強さ。頭ではスタントだとわかっていても、
「すごいな!カッコい!」と思ってしまう。
そして、爆発する瞬間にギリギリで脱出する展開や、空中戦が始まると一気にテンションが上がる。
こういう“お決まりのスター・ウォーズ的展開”がちゃんと出てくるだけで、やっぱり楽しい!
グローグーはもう完全にバブバブ。抱っこして頬擦りしちゃいたいくらい。ほぼGroot状態で、ダメと言われたことをやり、預けたものを勝手に食べて、それでも結局みんなに愛でられている。
その様子を見ていると、Groguのこれからの成長を、なんとか長生きして見守りたい気持ちになる。
そのうち、物語の中の若いキャラクターが、世間にまみれた大人の心にグッと染み込むことを語り出して、「若い時から苦労して、よく頑張ってきたわね、うんうん」と、涙を拭いながら完全に親戚目線になる。
宇宙のはずなのに、どんどん距離が近くなっていく。
気づけば、自分の見ているものは壮大なSFというよりも、人間(あるいは宇宙人)の生活の断片のようになっている。
どの視点が正しいかはわからないけれど、少なくとも今の自分には、この見え方のほうが自然だった。
宇宙を見ていたはずなのに、最後に残るのは、いつも少しだけズレた感想だったりする。
それだけこの世界に入り込めて、楽しかった。

