貝殻のストラップ
夏休み最後の日、蝉の声だけが妙に大きく聞こえた。
真夏の日差しが容赦なく照りつける中、彩乃は自転車を漕いでいた。汗が背中を伝う感触も、もう慣れたものだった。今日で四十日間の夏休みが終わる。明日からはまた、制服を着て学校に向かわなければならない。
「間に合うかな」
彼女は独り言をつぶやきながら、ペダルを踏む足に力をこめた。向かう先は、町はずれにある小さな川。そこには、夏休みの初日に交わした約束があった。
— —夏休みの最後の日、また同じ場所で会おう。
そう言ったのは、隣のクラスの陸だった。二人はたまたま図書館で出会い、同じ本を探していたことがきっかけで話すようになった。それから毎週のように川辺で会い、宿題を教え合ったり、花火をしたり、他愛のない話をして過ごした。夏休みという限られた時間の中で、二人の距離は少しずつ縮まっていった。
けれど、昨日の夜、彩乃の母が突然言ったのだ、父の転勤が決まり、二学期から別の学校に転校することになると。あまりに急な知らせに、彩乃はまだ心の整理がついていなかった。
川辺に着くと、すでに陸が待っていた。
麦わら帽子を被り、Tシャツの背中には汗のシミが広がっている。彼は彩乃に気づくと、いつものように軽く手を挙げた。
「遅いよ」
「ごめん、準備に手間取っちゃて」
彩乃は自転車を停め、息を整えながら川辺に腰を下ろした。せせらぎの音が、二人の間の沈黙を優しく埋めていく。しばらくして、彩乃は意を決して口を開いた。
「あのね、言わなきゃいけないことがあるの」
陸は黙って彼女の言葉を待っていた。彩乃は転校のことを、出来るだけ淡々と伝えようとした。けれど声は震え、最後には涙がこぼれそうになった。
「そっか」
陸は短くそう答えると、川面に視線を移した。しばらく沈黙が続いたあと、彼はポケットから小さな紙袋を取り出した。
「実はさ、これ渡そうと思ってたんだ。もっと早く渡すつもりだったけど、なんかタイミング逃しちゃって」
中には、小さな貝殻で作ったストラップが入っていた。不器用な作りだったが、丁寧に磨かれているのが分かった。
「川で拾った貝殻で作った。彩乃、貝殻集めるの好きだっただろ」
「陸……」
「離れても、連絡先交換すればいいだけじゃん。今は電話もあるし、手紙だって書けるし」
彼はいつもの調子で、ぶっきらぼうに、でもまっすぐにそう言った。彩乃はその言葉に、胸の奥が温かくなるのを感じた。
蝉の声が二人を包み込む中、彩乃はストラップを握りしめた。この夏休みは終わってしまうけれど、ここで芽生えた何かは、きっと形を変えて続いていく。そんな予感が、彼女の心を静かに満たしていった。
「うん。約束だよ」
彩乃は涙をぬぐいながら、初めて心からの笑顔を陸に向けた。夕暮れが近づく川辺で、二人はいつまでも並んで座っていた。
