『捏造された聖書』 バート・アーマン (柏書房)

きわものめいた題名だが、原題は Misquoting Jesus(イエスを間違って引用する)で、まっとうな聖書文献学の入門書である。
新約聖書については、日本でも田川健三の『書物としての新約聖書』や加藤隆の『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか』のようなすぐれた入門書が出ているが、素人にはちょっと敷居が高い印象があった。本書はアメリカ人の聖書学者が一般向けに書いた入門書で、巧みな話術で飽きさせない。
アメリカは進化論を学校で教えること自体が問題になる国で、聖書を一字一句すべて真実と信じこむ人がすくなくない。著者のアーマン自身、ハイスクール時代にキリスト教原理主義にかぶれ、原理主義ゴリゴリの神学校に進んだという。
ところが聖書文献学の授業を受講し、聖書は筆写に筆写を重ねて伝わる中で多くの異文が生まれたこと、しかも意図的な改変や加筆まであったことを知り、愕然とする。イエスや使徒の言葉が正しく伝承されていなかったとしたら、聖書の語句を金科玉条とする原理主義は土台から揺らいでしまう。信仰の危機に直面した著者はさらに研究を深め、ついには原理主義と決別する。
それゆえ本書は原理主義的な読者を強く意識した書きぶりになっている。語り口はあくまでざっくばらんだが、その下には論争家の鎧が見え隠れする。
読者に向って、いきなりここは後世の改竄だなどと書いたら、キリスト教原理主義者はすぐさま本を閉じてしまうだろう。著者は正面衝突を避け、キリスト教はどのように広まったのかと、搦手から話をはじめる。
初期のキリスト教はユダヤ教の新興宗派であり、離散ユダヤ人の間で信仰されたが、しだいに非ユダヤ人、多くは貧しく虐げられた階層に広まっていき、四世紀にはローマ帝国に公認されるまでにいたる。
使徒の手紙はイエスの死から約十年後、福音書は約三十年後から書きはじめられたらしい。初期のキリスト教には教会という組織はなく、最初はユダヤ教のシナゴーグを借りて集会を開き、ユダヤ教との関係が悪化してからは裕福な信者の家に密かに集っていた。集会では読み書きのできる信者が使徒の手紙や福音書を読みあげたが、そうした文書類は信者の中で読み書きのできる者がボランティアで書き写したものだった。
ローマ時代、読み書きのできる者は限られていた。写本作りを専門とする書記は存在したものの、キリスト教文書が彼らによって筆写されるようになるのは四世紀以降であり、最初の三百年間は素人の筆写に頼っていた。その結果、おびただしい誤写が生まれた。
著者はどのような手続きで後世の改変や加筆を判断するのかを噛んで含めるように説明した後、いよいよ神学的改竄という微妙な問題に踏みこんでいく。語り口はざっくばらんだが、地雷原を歩くような緊張感が伝わってくる。アメリカの聖書学者がいかに困難な情況で研究を進めているか、よくわかる。
(初出:「書評空間」2007-05-29)
(改訂:2025-04-29)
2025-04-29のノート
本書の新版が『書き換えられた聖書』として、ちくま学芸文庫から再刊されている。訳者は同じ松田和也氏で、グノーシス主義の専門家である筒井賢治氏の解説がついている。
再刊してくれるのはありがたいし、「捏造」という強い言葉を避けたのも理解できるが、2010年に秦剛平氏の『書き替えられた聖書』(京都大学学術出版会)が出ているのに、まぎらわしい題名に変えるのはいかがなものか。

