『失われた福音書 Q資料と新しいイエス像』バートン・マック(青土社)

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失われた福音書
『失われた福音書』

 新約聖書にはイエスの宗教活動を描いた、福音書と呼ばれる物語形式の文書が四編含まれているが、そのうちの『マタイによる福音書』『マルコによる福音書』『ルカによる福音書』は内容が似ているので、共観福音書と呼ばれている。
 成立事情もある程度わかっていて、イエスの死後、三十年か四十年ほどしてユダヤ戦争が勃発し、強大なローマ軍がエルサレムを包囲するが、そのユダヤ戦争の前後に『マルコ』が書かれたらしい。
 ユダヤ戦争後、ユダヤ人はイスラエルを逐われ、地中海世界に散らばったが、ユダヤ教の一派だったキリスト教は非ユダヤ人にも教えを広め、躍進の基礎を作っていった。この頃、書かれたのが『マタイ』と『ルカ』で、元ネタとなったのは『マルコ』と、現在では散逸してしまったイエスの語録だと考えられている。失われたイエスの語録は、聖書学ではQ資料と呼ばれている。
 三つの福音書の関係を図式化すると、

『マルコ』
『マタイ』=『マルコ』+Q資料+マタイ独自資料
『ルカ』 =『マルコ』+Q資料+ルカ独自資料

 と説明しただけでは、距離感がつかめないと思うので、あえて今日の日本に引きつければ、『マタイ』『ルカ』とイエスの死の時間的隔りは、現在(2025年)と三島由紀夫の市ヶ谷事件くらいの隔りになる。
 三島由紀夫の死後、約四十年たって東日本大震災が起こったが、その余塵の中で三島は日本の将来を憂えて若者を集め、自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入して割腹自殺を遂げたという「楯の会ドキュメント」が書かれたとする。これが『マルコ』にあたる。
 その後、コロナ禍で揺らぐアジアのどこかで、「楯の会ドキュメント」と三島由紀夫の語録をもとに、三島の一代記が複数書かれる。「楯の会ドキュメント」にはなかった三島の生いたちや系図などがでっちあげられ、三島は死の三日後、楯の会メンバーの前に生前のままの姿をあらわしたという尾鰭がつく。これが『マタイ』と『ルカ』にあたる。

 『マルコ』は現存するから議論の余地はないが、イエスの語録(Q資料)などというものが本当にあったのだろうか。もしあったとすれば、それもまた一つの「福音書」と呼べないだろうか?
 本書は、散逸したQ資料を新約聖書から復元し、尾鰭がつく前のイエスの姿を推定しようという試みである。
(Q資料の「Q」は「資料」という意味のドイツ語のQuelleから来ている。「Q資料」という言い方は「SF小説」というようなものなので、本書は「Q」と呼んでいるが、本欄では慣例にしたがって「Q資料」と呼ぶことにする。)

 本書は四部にわかれる。

 第一部「失われた福音書の発見」は、新約聖書の研究史の中でQ資料がどのような位置にあるかを語っている。
 『マタイ』と『ルカ』が『マルコ』とQ資料をもとにしているという考え方を「二資料説」というが、二資料説は1838年にすでに提出されている。1907年にはハルナックによって、Q資料を復元した『イエスの語録』という本が出版されたが、Q資料の研究は進まなかった。
 Q資料は、様式論的研究から編集史的研究へという新約学の主流からはずれていた上に、イエスの語録が一つも伝わっていないという難点をかかえていた。
 もし二資料説の言うようにQ資料が独立の文書として流布していたなら、物語福音書とは別の語録福音書というジャンルがあったことになる。
 福音書には『新約聖書』に収録された四福音書以外に、偽典・外典の福音書が『ヤコブ』『ペトロ』『ピリポ』など、十近くあるが、すべて物語福音書で、語録福音書は一つもない。物語福音書が生れる前に語録福音書が流布していたという説が疑問視されるのは当然のことだった。
 この状況を変えたのが『トマスによる福音書』の発見である。『トマス』はまさに語録福音書であり、しかもQ資料と同じく一世紀にさかのぼる。語録福音書というジャンルは物語福音書以前に存在していたのである。

 第二部はいよいよ復元されたQ資料である。
 現在、Q資料には三つの層があると考えられており、Q1、Q2、Q3と呼ぶが、本書では十ページの長さの「オリジナル版」(Q1)と、三十七ページの「増補改訂版」(Q1+Q2+Q3)という二つの形態でQ資料が提示されている。
 Q1資料は最古層とされるが、イエスのおなじみの言葉でも、物語の枠組なしにずらりと並ぶと、一つのキャラクターが見えてくる。著者は犬儒派的と形容しているが、まさにそうで、当意即妙の皮肉が次々とくりだされる。
 最古層から見えてくるイエスは相当な毒舌家であるが、『マルコ』にあるような世直し志向は見られない。あくまで皮肉屋であって、革命家ではない。
 紀元前後のガリラヤで犬儒派が知られていたかという疑問が起こってくるが、著者によると当時のガリラヤはヘレニズムの世俗文化にどっぷり漬かっていて、保守的で宗教的なエルサレムとはまったく違っていた。だとすれば、犬儒派哲学者の面白おかしい逸話が広まっていて、大工の息子まで知っていたとしても、おかしくないかもしれない。
 この犬儒派的な層の上にQ2資料、Q3資料が増補されると、洗礼者ヨハネや悪霊が登場してきて、一気に黙示録的切迫感が漂ってくる。聴衆の反応も言及されるようになり、宗教的一体感がかもしだされるようになる。一口に言えば、カルトっぽくなるのだ。一人の思想家の発展とは考えにくいくらいの変りようである。

 第三部「社会的実験の復元」は、Q資料の使われ方を考察している。
 Q資料は辛口の格言集や箴言集のように読めるが、内容を子細に検討していくと、単なる社会諷刺ではなく、新しい生き方の指針であり、イエス運動とでも言うべき社会実践の手引になっていたと著者は言う。
 正直言って、この部分はよくわからない。因習を小気味よく否定する犬儒派的な生き方に共感する人々が小集団を作り、新しい生き方を実践していくうちに、宗派的な傾向を強めていったので、その状況に応じた指針がQ2資料、Q3資料として加上されていったということか。
 もしそうであるなら、Q2資料、Q3資料の黙示録的な激しさからいって、イエス運動は周囲から孤立し、迫害を受けていた可能性が高いが、どうなるのだろう。

 第四部「キリスト教起源再考」は、キリスト教原理主義者が読んだら、ひきつけを起こしそうなことが書かれている。
 著者はイエス運動の進展に対応して、イエスの死後も、Q資料に新たなイエスの言葉が加上されていったが、それが許されたのはなぜかと問題提起している。Q資料は『マタイ』『ルカ』を通じて新約聖書にとりこまれたから、新約聖書にはイエスの言葉でないものがイエスの言葉として載っているといっているに等しい。
 著者はギリシア以来の修辞学の伝統を深堀りして、加上を当り前に受けいれる土壌に光を当てている。これはこれで興味深い。
 仏教では釈迦の入滅後に厖大な経典群が作られた。釈迦の時代にはありえない大乗経典まで、釈迦が説いたことになっているが、著者が正しいなら、キリスト教にも同じような柔軟な再解釈と加上の文化があったことになる。

(初出:note 2025-04-30)


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