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飯山あかりさんという人 — 一貫性とタフさが分ける「敵」と「味方」、そして本当の支持者たち

飯山あかりさんは圧倒的な知性と中東情勢の明快な解説力、凛とした美しさを持ちながら、YouTubeでは時折クセの強いものまねやユーモアを披露する。そして何より、権力や集団の「空気」に一切の忖度をせず、偽善を見つければ容赦なく批判の刃を向ける。

「一貫性・知性・ユーモア・凛とした美しさ・媚びない強さ」の同時存在が、彼女の周囲に二極化を引き起こす。心理学的に見れば、彼女は魅力的なインフルエンサーであると同時に、既存の組織や集団の欺瞞を暴く「ホイッスルブロワー(内部告発者)」の役割を果たしているからだ。

心理的に読み解く「敵」と「味方」の構造

彼女を取り巻く人間関係を分析すると、驚くほど明確に「敵」と「味方」の心理的分類が浮かび上がる。

1. 彼女を激しく敵視する者たち

彼女の敵になるのは、彼女の「忖度ゼロの原則主義」によって、自らの地位や自己イメージ、あるいは属する集団の快適さを脅かされる人々だ。

  • 偽善・同調圧力の維持派: 彼女の鏡のような批判によって、自らの「偽善」や「保身」を直視させられ、自己防衛のために攻撃的になる層。

  • 組織の調和・忠誠最優先派: 学会であれ政党であれ、おかしいものに「おかしい」と言って距離を置く彼女の行動を「和を乱す裏切り」と受け取る人々。

  • 既得権益層と嫉妬層: 自立した強い女性が、自分たちのコントロールの利かない場所で成功している事実に脅威を覚える層。

2. 彼女の言葉に共鳴し、味方になる者たち

一方で、彼女の強固な支持者となるのは、以下のような価値観を持つ人々であろう。

  • 誠実さと公平性を重んじる「高Integrity(誠実さ)層」: 社会の欺瞞にうんざりしていた人々。彼女の「誰にも媚びない正義」に救われ、自らの世界観を肯定される感覚を持つ。

  • 知的好奇心と人間味を愛する層: 難しい地政学リスクを平易に解説する知性に惹かれ、同時におちゃめなギャップに親しみを感じる層。

彼女を支える「強さ」の原点——少女時代の闘病

ネット上での組織的なリンチ、さらにはSLAPP訴訟(威嚇目的の訴訟)の提起など、常人であれば精神的にへし折られてもおかしくない暴風雨の中でも、彼女は決して戦うことをやめない。裁判の判決で「公益性のある意見論評」という結果が出続けているのも、彼女の一貫性の賜物だ。

それにしても、なぜ彼女はこれほどまでに強いのか。

飯山氏は小学生の時、開頭手術を経験している。そして成人してからも同じ手術を経験した。死の恐怖と、術後の「死んだ方がマシだ」と思うほどの激痛。彼女は若くして二度も、死の淵を彷徨っているのだ。

しかし、彼女を本当の意味で「超人的にタフな言論人」にしたのは、最初の入院で出会った2歳年下の女の子の存在だ。何度も手術を繰り返しながらもいつも笑顔だったのに、先に退院した飯山氏が、ある日病院を訪れると、その子はそこにはいなかった。

たった10歳で旅立った子を思い、生き残れた彼女に神様が「あなたにはまだやることがある」とおっしゃっているという気持ちがあるのだろう。彼女の note やその子の話からそう思う。

彼女を支える支持者たち

この壮絶な魂の原点を知れば、いま彼女の周りに残っている支持者たちの性質も自ずと理解できる。

数々の暴風雨を経て、今彼女を取り巻く環境から「上辺のファン」や野次馬は淘汰された。残っているのは、世間で言われるような盲目的な「信者」でも「エコーチェンバー」でもない。彼女の「孤独を恐れない原則主義」の奥底にある、誠実さに共鳴した、自立した知的層である。

「一人でも見てくれる人がいたらライブ配信する」 「YouTubeの登録者数や再生回数なんてどうでもいい」

この言葉が本心であることを知っている支持者である。 彼女に世渡りの上手さがあれば、それこそ有力プロデューサーでもつけば、スターになっていただろう。しかし、彼女はそんな権力や名声には毛頭興味がなさそうだ。ただ、「孤高の真実」に生きることだけを自らに課しているのではないか。

誠実さの砦

集団の空気に流されず、孤立を恐れずに正論を吐き続けることは、今の日本で最も困難な生き方の一つだ。だからこそ、飯山あかりという存在は、現状に危機感を抱く人々にとっての「希望の光」であり、欺瞞に満ちた言論空間における「誠実さの最後の砦」に見える。

嵐が激しければ激しいほど、その後に残った土台の強固さが際立つ。彼女の背中を支える支持者たちの絆は、これまで以上に揺るぎないものになっている。

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