言論を訴えるという異常──飯山あかりさん裁判直前の想いに寄せて
飯山あかりさんの最新のnoteを読み、私は深い懸念と同時に、言論の自由について改めて考えさせられました。一人の批判者に対して国政政党が次々と訴訟を起こし、合計2,200万円を超える賠償金を請求するという前代未聞の事態。これは単なる法的紛争を超えた、民主主義の根幹に関わる問題です。
前例のない政党による"訴訟攻撃"
飯山さんの言葉通り、「自民党も立憲民主党も、維新も国民民主も、公明党も共産党も、どんな党も批判されます。しかしこれらの政党を批判した個人が、政党から次々訴訟を起こされるなどという珍事は、いまだかつて聞いたことがありません。」
実際、思い返してみても、国政政党が批判者に対してこれほど執拗に、かつ組織的に訴訟を提起するという事態は日本の政治史上類を見ないのではないでしょうか。しかも訴訟を提起するのは党だけではありません。
日本保守党→飯山陽 660万円請求
日本保守党・有本香事務総長、伊藤純子・群馬支部長→飯山陽 990万円請求
日本保守党・百田尚樹代表→飯山陽 220万円請求
日本保守党ウグイス嬢・矢部一江→飯山陽 330万円請求
これを見れば、誰もが疑問を抱くでしょう。なぜここまでの大量訴訟なのか?なぜ一人の女性に対してここまでの「訴訟攻撃」なのか?
力の不均衡と民主主義への脅威
最も気がかりなのは、政党という公的性格を持つ組織と個人との間の圧倒的な力の不均衡です。政党には組織力、資金力、人的リソースがあります。対する飯山さんは一個人です。
政党助成金を受け取っている国政政党として、日本保守党は批判に対して言論で応じるという民主主義の基本原則を尊重するべきではないでしょうか。言論には言論で、政策には政策で対抗するのが、健全な民主主義の姿のはずです。
それでも批判に訴訟で応じるというなら、少なくとも品位ある対応が求められるはずです。ところが、百田氏や有本氏が飯山さんに対して「全部捏造」「ウソ」「キチガイ」「怨念クソババア」などと公然と発言している事実は衝撃的です。
「エコーチェンバー」を超えて
飯山さんが指摘する「エコーチェンバー」の問題も重要です。インターネット空間では、同じ価値観を持つ人々が集まり、お互いの考えを強化し合う現象が起きます。そこでは「常識」だと思われていることも、その外の世界では通用しないことがあります。
法廷は、このような「エコーチェンバー」の外にある、より客観的な場です。「飯山陽は怨念クソババアなんだ!」という主張が、法廷でどのように扱われるのか。裁判官はこのような人格攻撃を妥当な議論として認めるのでしょうか。
言論人としての姿勢
飯山さんが自ら法廷で意見陳述を行うという決断には、言論人としての誠実さと責任感を感じます。代理人に任せるのではなく、「自分自身で話すことを選びました。せっかくいただいたチャンスです。自分で責任をもって、自分の口で意見を述べたい。これは言論に携わる人間として、当然のことです。」
この姿勢こそ、言論の自由を守るために必要なものではないでしょうか。言論で批判した以上、言論で自らの立場を説明する。この当たり前のことが、なぜ裁判という形で争わなければならないのか。そこに大きな違和感を覚えます。
萎縮効果と民主主義の危機
この一連の訴訟が生み出す最も深刻な問題は、言論の萎縮効果です。「国政政党を批判すれば、高額の訴訟リスクがある」という先例が確立されれば、多くの市民は意見表明を控えるようになるでしょう。それは健全な民主主義にとって、重大な後退を意味します。
日本はいつから、政党を批判すると「報復」される国になったのでしょうか?これは飯山さんだけの問題ではなく、私たち全員の問題です。飯山さんが今回の訴訟で直面している事態は、民主主義における表現の自由と政治批判のあり方に関わる重要な問題提起となっています。
最後に
5月19日の第一回口頭弁論は、単なる一個人と一政党の争いを超えた、民主主義の健全性に関わる重要な場となるでしょう。飯山さんの言葉を借りれば、「日本保守党の孕む深刻な問題を完結に、それでいて漏らすことなく」伝えられることを願っています。
そして私たち一人一人も、この問題の重要性を理解し、健全な言論空間と民主主義を守るために声を上げ続けることが必要なのだと思います。言論の自由を守るための戦いに、飯山さんは一人ではありません。
口頭弁論の結果も含め、今後の展開に注目したいと思います。飯山さんの勇気ある行動に敬意を表します。
