境界なきイメージ。
もう一度やりたいと思う仕事がある。
コンサートホール客席の出入り口に立つ人で
その重い両扉を、開けたり閉めたりする係りだ。
『ドアマン』である。
私は部活の延長で社会人になっても楽器を続けていた。
よって、いろんな団体の演奏会やコンクール運営での手伝いで招集されることも少なくなかった。
ドアマンはタイムスケジュールに合わせて客の出入りをコントロールする役割もある。
演奏中に入ろうとする人がいれば毅然とした態度で制止する必要があるし、演奏が終われば冷めやらぬ興奮に会場が包まれていようともクールな顔して扉を開く。
観客の
「あぁよかった~」
「感動したね」
などと言う会話が聞こえてきても表情は崩さない。
あくまで「関係者ですので」スタンスをキープする。
簡単な仕事だ。
誰でも出来る。
ただそれらの仕事は人の移動が伴ってこそ。
演奏中は孤独と眠気の戦いである。
天井に埋め込まれたスピーカーから漏れてくる音を聴きながら、そんな時間を過ごすことになる。
あ、この曲知ってる。とか
ソリスト上手すぎでしょ。とか
ここそんなテンポでいくんだ。とか
静寂の中で聴く音楽は、どこか自分の声がより鮮明に浮かび上がった。
生音ではないけど、同じ時間はここでも流れているんだ。と、当たり前のことを認識して、それでも少しの幸福感に包まれた空間だった。
✳︎
数年前まで楽団でフルートを吹いていた。
学生時代から数えるとたくさんの本番を経験してきたけれど、やっぱり慣れることはない。
まぁ慣れてはいけないのだろうけど。
でも、本番で普段のパフォーマンスが発揮できないというのは避けたいし、緊張に支配される自分は苦しい。
そういうとき、縛られた精神をどうやって解き放つか、が一番の課題だった。
私はフルートの中でも、1オクターブ上の音域を担うピッコロという楽器を長く吹いてきた。
いい意味でも悪い意味でも目立つポジションだった。
高音楽器は少しのピッチ(音程)のズレでも耳障りなハウリングを起こすし、ピッコロはソロも多かったため、その責任や重圧に毎度自分の精神力が試されている気がした。
✳︎
音楽を作り上げるときの会話はとても抽象的である。
「そこはもっと響かせて」
「最後の音符捨てちゃダメ、置きに行くイメージで」
「もっと繊細に、温かい息を入れて」
こんな指摘が飛び交う。
(指導者にもよるだろうが)
しかし、これらを意識して楽器を鳴らすことで本当に音楽は変わるから不思議なもんだ。
昔、私の吹いた音に対して
「背中の痒いとこの2センチ横を掻かれている気分」
と言われたことがある。
理想の音と遠くはないが、なんだかハマっていない、というニュアンスだ。
その表現に、理屈であれこれ説明されるよりもずっと私の真剣度は増した。
だってその状況を想像したらものすごくムズムズする。
もうちょっとなのに、、という感覚を聴く人に味わわせているのだ。
なんとかせねば。
あともう少しで手が届くのなら
応えてやろうじゃないか。
♬〜
合奏でいつも止められる小節が流れて、ふと指揮者を見る。
口角を上げてこちらに視線をくれる。
手が届いたのだと実感して、たった今得た感覚を体に刻み込む。
理屈とイメージがこんなにも近いところで作用している関係性を、私は音楽以外で感じたことがない。
✳︎
ソロを吹くとき、先生からよく言われていた。
「一番最後列に座っている人に聴かせることだけを考えろ」
こういうニュアンスの事は良く言われる。
目の前の観客を意識し過ぎるなと。
でも、それはとても難しい。
考えないことの方が、考えることより難しいのだ。
一度意識すると、かき消そうとする意識がそれを覆ってしまい、雪だるま式にどんどん膨れ上がっていく。
自意識が行き過ぎてパンパンになるのだ。
こういうときの私は自分の小ささを忘れている。
失敗したところで命を落とすわけでもない。
誰かに責められるわけでもない。
それがソロコンサートでもない限り、自分が失敗したところで何かを失うということはあり得ないのだ。
しかし、何にも影響を与えない存在であることを、私は簡単に忘れる。
見えなくなる。
伝えることより、伝わってしまうことばかり考えてしまう。
こちらに向けられる無数の瞳を想像して怖くなる。
それが最後列に座っている人であっても。
彼らをカボチャにできるほどのイマジネーションが足りない。
✳︎
そんな場面で以前ふと考えたことがあった。
音楽はイメージだ。
ひと呼吸置いて束の間、会場から意識を飛ばしてみる。
リラックスは必要だけど、自宅まで飛ばすと良い緊張感さえも解かれてしまいそうだ。
ならばもっと近場で
こちらとあちらの狭間くらいの。
あ、ドアマン。
✳︎
私がイメージするに、彼らはステージに背を向けて立っている。
分厚い扉を隔てた向こう側で。
客でなく、あくまでもこちら側の人間として。
いや、中立的な立場だろうか。
緊張感に満ちたこの非日常と日常の間に立つドアマンよ。
あなたたちは今何を考えているのか。
責務に身を包まれる中で
少しの孤独を感じる中で
彼らの奥底にある意識はどうか。
体に反して、リズムやメロディーを意識の端で聴いていないか。
私はそうだったじゃないか。
ならばあのドアの隙間をすり抜けて
スピーカーから伝わる振動で
クールな顔した彼らを少しでも振り向かせることができたら
今この瞬間、耳をそば立ててくれたら。
そんな、とっぴで私だけの超絶オリジナルなイメージを脳内で繰り広げる。
すると、パンパンになった自意識は少しずつしぼんでいく。
自分の存在の小ささを思い出す。
妄想の中とはいえ挑戦者でいることの方が、私をずっと自由にしてくれる。
いま、御手洗いの場所を尋ねられたあなた
いま、眠気に襲われているあなた
いま、壁の汚れをボーっと見ていたあなた
あなたたちに向けて吹きます、、、!
(どういうこっちゃ)
✳︎
彼らに届いているかは知らないよ。
だって顔さえ見えないんだから。
でも、ストリートミュージシャンはこんな気持ちなのだろう。
自分の『音』に、『存在』に気づいてもらうには、熱をもって何かを叫ばなければならない。
そんな気持ちでいつも行くべきだと思った。
音はイメージだけで口先の理屈をゆうに超えていくから。
音楽は「酔う」ことと似ている。
カッコ悪いことをカッコ悪いと認めてしまう自分の利口さや冷静さを、どこかに置いてこなければならない。
途中で目が醒めてはいけない。
正気に戻ってもいけない。
正気じゃない人を見たとき、負けたと思う。
意識が負けた。
心構えが負けた。
何度も負けてきた。
勝てたと思ったことはあっただろうか。
あまり記憶がない。
酔いが回っていたのだろう。
私には、拍手の大きさより気にすべきことがあった。
✳︎
春になると必ず聴く音楽がある。
毎年、彼の音色に魅せられている。
どんな風に楽器と向き合ったら
どんな息を吹き込んだら
そんな音色になるの
彼のイメージする春が
脳内に流れ込んでくる。
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ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。