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あなたは、何者でもなくなった時、どこへ帰りますか。




仕事がなくなる。

誰かに必要とされなくなる。


夢がなくなる。

目標がなくなる。


頑張る理由まで、

なくなってしまう。


そんな時、

人はどうなるんだろう。




私は最近、

ふと気づきました。


最近そうなったのではなく、

私はもう8年も、

その時、にいたのだと。


前職のステラフェリスを降りてから、

私はそれまで持っていたものを、

すべて失いました。


仕事。

場所。

肩書。

役割。

夢。


「これをしている私」

と呼べるもの。


一度、

何者かである自分から、

大きく降りた。


けれど、

本当の意味では、

まだ降りきっていなかったのだと思います。


何もなくなったあと、

私はまた、

次の何かを探し、作り始めました。


編み物、アクセサリー、算命学。

このnote。

ここからまた、何かを始めたい、と。


外から見れば、

誰にも急かされていない。


締切もない。

上司もいない。

求められてもいない。


それなのに私は、

自分で自分を急かしながら、

ずっと何かを生み出し続けていました。


止まると、

何もなくなる気がしたのかもしれない。


何もしていない自分には、

戻りたくなかったのかもしれない。


息をするように、

何かをはじめていました。


そして最近、

そのわずかな熱が、

ある日突然、

スパーンッと消えました。


何かを生み出したい。

伝えたい。

次へ進みたい。


そんな気持ちが、

驚くほど静かになった。


残ったのは、

何もしていない私でした。


最初は、

戸惑いました。


どこにも向かっていない。

何も生み出していない。

何者にもなろうとしていない。


まるで、

自分を支えていたものが全部なくなって、

宙に浮いたような感覚だった。


けれど、

そのまま何日か過ごしているうちに、


不思議なことが起きました。


苦しくなるどころか、

ものすごく楽だった。


犬と歩く。

洗い物をする。

部屋を片づける。

算命学を鑑定し、同時に、学ぶ。


何もせず、

ぼんやり過ごす。


それだけなのに、

なぜかしあわせで、満ちている。


そこで私は、

ひとつの問いにぶつかりました。




私たちは、

何かを得るために頑張っているのか。


それとも、

何者でもない自分に戻ることが怖くて、

頑張り続けているのか――。








算命学は、

生まれたあとに持つ、三柱を見ます。


家族の中で生きる私。

社会の中で働く私。

誰かに期待される私。

何かを果たそうとする私。


三柱は、

この世界の中で動く私。


けれど、

その役割より前に、


もうひとつ、

いのちの始まりがあります。


まだ名前もない。

肩書もない。

何者にもなっていない。


生まれる前から始まっていた、

いのちの中心。


丘の算命学では、

それを、60の【胎内干支】として
見ています。


長く三柱を生きていると、

私たちは役割を、

自分そのものだと思いやすくなります。


頑張らなければ。

役に立たなければ。

認められなければ。

もっと何かを得なければ。


そして、

その役割が止まった時、


自分までなくなったように感じる。


でも、

本当にそうなんだろうか。


仕事がなくなっても、

いのちは消えない。


夢がなくなっても、

いのちは消えない。


何も生み出していなくても、

何者でもなくても、


その人の中心は、

ずっとそこにある。


胎内干支は、

新しい自分を足すためのものではありません。


むしろ、

ずっと足し続けてきたものを外した時、


最後に残る場所を見るものです。


三柱を捨てる必要もありません。

というか、捨てれません。


三柱は、

この世界を生きるために、

これからも動いていきます。


ただ、

その動きを自分そのものだと思わず、

帰れる場所を知っておく。


それだけで、

役割との距離は少し変わります。





では、その胎内干支は、どうやって出すのか。



基本は、

ご自身の年干支の、ひとつ前の干支です。


ただし、

11月中旬以降から12月に生まれた方は、

年干支と同じ干支になります。


そのため、

同じ学年の人は、

ほとんど同じ胎内干支になります。


けれど、

同じ胎内干支だからといって、

同じ人生になるわけではありません。


胎内干支という中心の上で、

それぞれ違う三柱が動いているからです。


同じ中心を持っていても、

何に張るのか。

何を怖れるのか。

何を守ろうとするのか。

そして、

どこで緩むのか。


その現れ方は、一人ひとり違います。





胎内干支を出したら、

すぐに答え合わせをしなくて大丈夫です。


性格が合っているか。

今の自分らしいか。


そこだけで判断すると、

むしろ分からないことがあります。


なぜなら胎内干支は、

今まで生きてきた役割よりも、

さらに前にあるものだから。


何十年も役割を生きてきたなら、

中心が遠く感じることもあります。


私自身、

そこへ戻るまでに、

8年かかっていたのかもしれません。


何も失っていないのに、

何かになろうとし続ける私。


何も急がなくていいのに、

自分を急かし続ける私。


何も生み出していない時の自分を、

どこかで許せなかった私。


その私が、

ようやく少し静かになった。


そして残ったのは、


意外なほど、

普通の暮らしでした。


犬と歩く。

家を片づける。

ごはんを作る。

空を見る。

ぼんやりする。


何も特別じゃない。


でも、

いのちはちゃんとそこにある。


そして、


はじめて味わう

しあわせでした。



 



あなたには、

役割よりも前に、

帰る場所があります。


これから始める60干支シリーズでは、


その場所を、

ひとつずつ探していきます。


「いのちの謎を解く60干支」


――三柱を生きながら、胎内干支へ戻る。


その干支は、

何を怖れているのか。


なぜ、

同じ場所で張り続けるのか。


何を守ろうとしているのか。


そして、

何を手放した時、

ようやく緩むのか。


60のいのちにある、

60の謎。


人間というミステリーを、

生まれる前の中心から、

ひとつずつ解き明かしていきます。


答えは、

新しい何かを手に入れる場所ではなく、


ずっとそこにあった中心に、

隠れているのかもしれません。









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