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通例行事

小学校の中学年くらいまでだったかな~?
お正月の2日になると、母方の祖母の家に泊まりに行っていた。その家はそんなに大きな家ではなかったけれど、昔ながらの木造平屋で天井の高い茅葺屋根だった。玄関の敷居は高く、土間が広くてひんやりとしていて、あがってすぐのところに囲炉裏があった。囲炉裏は、わたしが生まれた頃にはもう蓋を閉めて使ってはいなかったけれど、その部屋は歩くとベコンベコン…って、板のぶつかる音がした
囲炉裏の部屋は今でいう居間とかリビングなのかな? 昔はお客さんも家族も囲炉裏で寛いでいたのかな。台所と直結だったし、玄関も広く両開きの引き戸だったから、隙間風その他でいちばん寒い部屋だったことを覚えている
土間からのあがりも高くて、子どもの頃は靴を脱いだあとによじ登ってあがっていたように思う

敷居が高いって言葉があるけれど、昔の家って文字通り本当に敷居が高くて、縁石くらいの高さがあった。そこはご先祖様の頭玄関は家の顔?と言われていて、だから「乗るな」って厳しくしつけられたのも鮮明な記憶。玄関は家の顔っていうけれど、印象云々はもちろん、敷居がご先祖の頭っていうのもそこから来てるのかしら?
畳みの縁は親の頭…なんて言葉もあるけれど、昔のひとはいろんなものを気にしながら生きていたんだなぁ

母の実家は「本家」と呼ばれるところだったので、親族が集まる盆と正月は相当な人数が出入りした。なにせ祖父の兄弟は9人もいたので、その家族らが集まるとなると結構な人数になり、年末年始は入れ代わり立ち代わり、毎晩足の踏み場がなくなるほどの布団を敷いて、その上を転がるようにして遊んだことを覚えている
残念ながらわたしの祖父は物心ついた頃には既に他界していて、遺影でしか知らないけれど、なかなかのイケメンさん。幼少のころの記憶がないことを惜しいと思うのはこんな時。ばぶばぶちゃんでもなかったら、多少の会話はあったはずだから、せめてそこだけは覚えていたかったなぁと思う

お正月の記憶は、綿入れ半纏とお餅でしょうか。そして、一日中食べていた
祖父の兄弟はみな都会に住んでいて、お歳暮やらお年始やらで、いろんなお土産を持ってやってくる。それらはみんなお客さんが来たときに出されるので、お客さんがいなくなるとだいたいわたしたち子どもが食い散らかす。みかんの箱も何箱も置いてあって、お客さんが来るたびにわたしたちが補充する。当然、補充の度に食い散らかす。だからみかんを食べ過ぎて病院に連れていかれたこともあった。背中をびったびったとはたかれて、とうとうみかん箱は隠された笑
お菓子はみんな都会の有名デパートの包装紙に包まれている。キレイな包装紙は畳んで取っておいて、破れた襖や押し入れの中なんかを補強するのに使っていた。昭和あるある。障子の張替の時はお祭り騒ぎだ。どんなに破いても怒られないのだから

大人にとってのお正月は休日だ。だからみんな好き勝手な時間に起きてくる。母たちにとっては気を抜ける里帰りであり、午前中いっぱいは起きてこない。なのでだいたい早い時間に起きてくる大人たちの給仕は、わたしとすぐ下の従姉妹がやっていた。徹マンのおっさんたちと、早めに撤収していくお客さんのため、午前中はひたすらストーブで餅を焼いていた。それがわたしたち子どもの役目だった
大人にとっては骨休めの休日でも、わたしたちには楽しい冬休みであり、お客さんによってはお年玉をもらう都合があるので、いつまでも寝ていられない事情もあった。だから、せっせせっせと餅を焼く

「いつまで寝てんだ」なんて、何度も母親を起こしに行っていたけれど、あの頃お嫁さんだった母たちにとって、あの時間は大事だったんだろうなぁと今は思う。もう少し考えればよかった…いや、考えられないのが子どもだ
仮に今、同じ立場だったとしたら、わたしの子どもたちはきっと「いつまで寝てんだ」なんて起こしには来ない。おそらく「しー」って言って、寝かせておいてくれる。わたしはそういう育て方をした
わたしたちの母は、決してわたしたち子どもに弱音は吐かなかったし、嫁姑云々で辛いのなんのと愚痴をこぼすこともなかった。そういう時代だったのか、それが当たり前と育ったのかは知らないけれど、わたしたちはなにも知らずにぬくぬくと育った
でもわたしは、眠い時は「眠い」といったし、仕事が大変なときは「行きたくない」といって子どもに甘えた。だからとてもやさしい子どもに育った。わたしはあまりいいお母さんではなかったかもしれないけれど、多分それも時代

子どもの頃のことをよく考える
この歳になるとだいぶ忘れていまっているが、歳を重ねるごとにいろいろとつじつま合わせができることもある。意味の解らなかった大人の会話や、なかなか会えない親戚の事情とか・・・・
あの頃は母の実家のように、人の集まる家のお嫁さんには「なりたくない」と思っていた。わたしには、祖母のように朝から晩まで台所に立ってあれこれできるようには思えなかったし、祖母はいつ寝ているのか、常に寒いところで動いていた。お客さんにしても、楽しいひともいれば厳しいひともいて、盆と正月にしか会わない知らないひとの相手も、緊張で気持ち悪くなるほどだった。だけど、あれほど人が集まるということは、それこそが時代で、今はそんなに顔が知らない親戚があるほどのしがらみもない
どの時代も、リアルタイムで「いい時代」だとは思わないのかもしれないけれど、振り返ると苦労もなにもかもがいい思い出で「いい時代」になるのが不思議

今年は、数年ぶりに母を連れて帰ってきた
いつもは実家で食べる「3日とろろ」も、今年は我が家で食べる。人数はいないけれど、あの頃の「いつもどおり」が戻ってきたようでうれしい
母も歳をとった。もう間もなく赤いちゃんちゃんこになる。既に「足が痛い」「腰が痛い」と言っているから、たとえ3時間でも、車に揺られるのは辛いだろう。わたしたちが実家に行くことは容易だが、そんな母がうちに来るのはそうたやすいことではない。こっちにいる間に温泉でも行って、ゆっくりしてもらおうかなと思う



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たゆ・たうひと いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです

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