待ち時間のエチュード5
彼はわたしたち夫婦の恩師・・・・
今日はふたりでランチ。
最近そんな時間が増えた。
高校時代に付き合っていたわたしたち夫婦は、進学や就職で気持ちが離れてしまっても、お互い恩師との連絡だけは欠かさずにいた。わたしたちはそれぞれ恩師に、自分の悩みや身の上の相談をしていたのだ。ゆえになんとなくではあるが、間接的にお互いの状況は把握していた。
それが功を奏したのか、同窓会で再会し結婚するまでに至った。だが、同窓会で再会していなければ、もしかしたら結婚はしていなかったかもしれない。
当然仲人は恩師…となるところだが、残念ながら彼は独身だったので、祝辞をお願いした。それからもわたしたち夫婦は、ことあるごと恩師と連絡を取り、家族のような付き合いをしている。
恩師は、子どもが生まれると、真っ先に病院に駆けつけてきてくれるほどだった。だが、産後で疲れ切った顔にパジャマ姿…をさらすのは、いくらなんでも「恥ずかしい」と、ふたり目の時は「退院してから…」と遠慮させていただいた。
「そういうものなのか」と、とぼけたことをいう恩師は、そういう女ごころを理解できていないから「結婚ができない」のだろうと思っていた。
「一応、わたしも女ですから」
とはいうものの、本音はそこまで気にしているわけではなかった。だが、その当時の主人は仕事が忙しく「立ち合い」を希望していながら、出産にすら間に合わず、結果我が子を抱きしめるのが2番手になってしまったのだ。
あの時のなんとも言えない表情が、どうにも忘れられずに、そうすることでわたしは主人を建てたつもりだった。
その頃からわたしは、主人の顔色を窺うようになっていたのかもしれない。
恩師は、子どもの成長も両親以上に喜び祝ってくれた。時には実の父親よりもそれらしく、職業柄、思春期の子どもたちともうまく付き合ってくれ、わたしたち家族にとってなくてはならない存在になった。
主人が単身赴任中は、さすがに遠慮をしたのか、恩師側から連絡が来ることはなかったが、どうにも男手が必要なときには文句も言わずに出かけてきてくれた。
さらに、主人が赴任先で浮気をした際には、わたしの父親以上に怒り、わたしたちの間に入っていろいろと取りなしてくれたりもした。
そんなことがあってから、主人はだんだんと恩師に頭が上がらないようになっていった。でも、実際恩師の存在は、わたしや子どもたちにとってもかけがえのないものになっていたので、そこは見て見ぬふりを決め込むことにした。
数年が経ち、子どもたちが大きくなると、主人は会社のつきあいを優先するようになり、家族で恩師と出掛けることはなくなった。それでも子どもたちは恩師に懐いていたので、わたしと子どもたちだけで会いに行くようになった。
更に子どもたちが成人し巣立っていくと、子どもたちは個別で恩師と連絡を取るようになり、わたしたち夫婦が若い頃のように恩師と3人で会うことはなくなった。
主人の方はどうだったのか知らないが、それでもわたしは、時折相談に乗ってもらうことがあった。
何度目かの主人の浮気が解った時には、内緒で離婚の相談もしたことがあった。
そして、わたしは恩師とふたりで会うことが増えた。
「最近は落ち着いたのかい?」
「どうかな。相変わらず…っていった方がいいのかな」
「相変わらず、か。しようがないな」
「もう慣れちゃった」
「そんなことに慣れるもんじゃないだろ」
「でも、自分で選んだわけだし? こうして、先生が聞いてくれるから」
そんな会話が挨拶がわりになるくらいの頻度で「先生がいなかったら、とっくに離婚してたかもしれない」という言葉を含み、最後はいつもそう締めくくられた。
そんな時間が、わたしには癒しになっていたのだ。
結婚して20年も経つと、浮気されても「それはそれ」「また病気が始まった」程度に受け流せるようになっていた。それがいいことだとも思わないし、夫婦の最終形だとも思ってはいない。ただ、いちいち口論することには疲れてしまったのだ。
下手な言い訳をしてみても、必ず解ってしまう。主人は学生時代から気の多いひとで、付き合っていた当時も随分と泣かされたものだった。
数年会わない間にそれを忘れてしまったのか、数年ぶりに会って「大人になった」と勘違いしたのか、またはただ「好き」という気持ちに酔っていただけだったのか、とにかくわたしたちは将来を誓ったのだ。
お互いの間にあの頃の気持ちが「残っているか」と言われたら「解らない」もしくは「腐れ縁」だと答えるかもしれない。それでも20年間、同じ屋根の下で暮らし、寝食を共にしてきた仲であり、他人には入り込めない見えないものも感じている。
今更別れるつもりはない。ただ、ストレスは溜まる。それはどこの夫婦にも大なり小なりあるものだ。
だが。
本音はどうしたらいいのか解らない、
だ。
「僕ももう歳だからね。いつまでおまえの話を聞いていられるか」
恩師はわたしを『おまえ』と呼んだ。
「まだまだ長生きしてくださいよ」
だが、夫婦でいる時には、
「そうはいってもね、寄る年波には勝てないよ。君たち夫婦が僕の老後の面倒でも見てくれるなら話は別だけどね」
わたしたちを『君たち』と呼ぶ。
「そんな。もちろん見ますよ。なんだったらうちにいらしてください」
そんな軽口も、冗談ではなく、わたしの中では本音だった。
いつもならそこで終わる話が、その日はもっと突っ込んだ内容になった。
「最近は老人ホームも、年金だけじゃ入れないらしいからね」
「そうみたいですねぇ。わたしたちだって子どもばかりをあてにはできませんから、働いてある程度の蓄えをしないと。とはいってもそこまでの余裕は」
「じゃぁ、宝くじでも買わないといけないなぁ」
「地道に夢を買いますか」
「やっぱり夢だよなー」
「そうじゃないひとはひと握りですよ」
そんな話をして笑った。
「宝くじが当たったら、家を建てるから、そしたら僕のところにおいで」
「ふふ…っ、いいですね~。楽しそう」
「僕がいなくなっても、全部おまえに残るようにしておいてあげるから」
「それはありがたいです」
「そうだろう。まぁ宝くじが当たらないことにはどうにもならないけど」
「じゃぁわたしも夢みて待ってますね」
その日は、そんな風にして別れた。
家に帰り、珍しく早く帰った主人と、一緒に夕食をとった。
「今日先生とランチだったんだろ? 何食べた?」
「いつもと同じ。天ざるよ」
「好きだね~。飽きないのかね」
「季節で味が違うんだって。わたしには解らないけど」
「そばのためならどこにでも行くもんなー」
「そう言えば今日ね、老人ホームの話をしたの」
「とうとう入る気になったのかー」
「そうじゃなくて。今は老人ホームに入るにも年金だけじゃ足りないねって話よ。だから…」
だから「宝くじ」を買おうという話になった。
(あれ?)
「だから?」
「ぁ、うん。だから、宝くじでも当たらないとねって」
「確かになー。先生ひとりだし、ぶっ倒れたらそのままってこともなきにしもだ。そう考えるとオレたち、いいことしてんのかもな」
「いいこと?」
「先生がおまえの相手してるうちは元気だってこと。よいよいになったら出掛けることもできないだろ」
「まぁね。そうなったら、あたしたちに面倒見てもらうって、笑ってた」
「まぁた先生、そんなこと言って。まぁ、そうなったら家政婦くらいは雇ってやるか」
「家政婦? 自分ではいかないの?」
「そりゃ見舞いくらいはいくさ。でも、それ以上の責任は、オレたちにはないだろ?」
「まぁ…」
そんなものかと、なんとなくもやッとした気持ちが残った。
今の生活を壊すつもりはない。
どんなに夫が浮気性でも、必ずこの家に帰ってきて、たまにこうして食事して、ふたりの子どもたちの話をする。この先また浮気心が疼いたとしても、いい加減相手にされなくなる日がくるだろう。
わたしたちはここにいて、子どもたちの生活を見守りこのまま同じ景色を見て生きていくものと思ってた。今さら新しい生活をするには、有機ばかりじゃないものが必要なのだ。
「宝くじが当たったら、家を建てるから、そしたら僕のところにおいで」
(先生。それって、勘違いするよね)
でも。
別の時間軸で、違う景色を夢見て待ってみるのもいいかもしれない。目に見えてはいるけれどありえない、もうひとつの人生に期待する待ち時間のエチュード。ちょっとスケールの飛躍した即興。
いいなと思ったら応援しよう!
いつもお読みいただきありがとうございます
とにかく今は、やり遂げることを目標にしています
ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです