子育てて拘ったこと:お買いもの編
つづき・・・・かな?
メンヘラ対策…というわけではないが、我が子には子どもの頃から羞恥心を少しでも軽減しようと周りへの積極的な「あいさつ」を促した。「おはよう」「こんにちは」「ありがとう」「ごめんなさい」「よろしくお願いします」恥ずかしい…を感じなければ、意外となんでもスムーズにスタートできる。それはひとりで買い物にも行けなかったわたしが身にしみて感じていたことだったので、強化した。おそらくうまくいったのだろう。子どもたちはなにをするにも積極的に挑戦できたし、ひとりでいることにも不安を感じることはなかった
むしろわたしが驚いた。わたしの子なのに「ひとりで学校に行けるんだ…」って本気で思ったものだった
みなさんは子どもたちの服をいくつまで買い与えていた、
もしくは買い与えようと思っているだろうか・・・・
多分、同年代ではありえないことかもしれないが、わたしが自分のお金で自分の服を買ったのは高校を卒業してから…だったと思う
お洒落に興味がなかったわけではない。中学、高校と部活もせずにまっすぐ家に帰っていたわたしは、当然ながら出不精で、買いに行く機会がなかったのだ。更に「出掛けないわたし」は必要性を感じていなかったゆえに、完全にまわりに乗り遅れた生活を送っていた
普通は中学生くらいになるともう、ある程度の好みが出てくるし、ちょっと大人びた子たちは自分で洋服を選び、女の子はメイクその他にお金をかけ、男の子だったりするとゲームになるのかなぁ…
わたしは個人的に、子どもがメイクをすることには反対で、しかしどうせするならちゃんとしたものを…と思っている。女の子に至っては小学校高学年にもなれば、体型を気にしたり、ブラジャーをし始める子もいる。ここに関してはわたしは厳しく管理した
(ブラジャーは初めが肝心なのだ。ここを間違うと一生後悔することになるので、下着選びだけはわたしがついて回り、なおかつお金もかけた。この話をするとまた長くなるので別の機会に話したいと思う・・・・)
なぜすべて自分でさせようと思ったのか・・・・
上記に記した通り、わたしの子ども時代はお金を自由に使える環境になかった。もちろんまわりがそんなにも裕福だったのかと言えばそういうわけでもない。だが、中学生にもなると「お年玉」や「お小遣い」で好きな服を買ったり映画を観に行ったり、友だち同士で出掛けるといった機会が増えたことも事実で、当然お金のないわたしはそういう付き合いができなかった
「まだおかあさんと買い物に行くの?」「まだ親の選んだ服着てるの?」「自分で好きなの買えばいいじゃん」と、なにげないようで結構刺さる言葉に、言い訳もせずにやり過ごしながらさみしい思いをした
お金を使う機会がない…からと言って、友だちとの付き合いができないことに満足していたわけではない。しかも中学当時メンヘラ全開引きこもりだったわたしは、高校生になったからといってみんなと一緒にバイトに励むための社交性を身に着けたわけでもなかった
ある程度大きくなって、ママ友と「子どもの服はどうしているか」という話題になったことがある。うちは子どもに「自分の小遣いで自分で選んで」買わせていると答えると、意外と大きくなった子どもでも親と一緒に買い物に行ったときに「まとめて買っている」という意見が多かった。男の子に至っては、色や形は本人に聞いても結局選んでいるのは「母親」なんてことも当たり前だった…
あとあと聞いてみると、それが普通と育った子どもは、いざ自分ひとりで服を買うとなった時に初めて物の「金額」を知り「サイズ」があることを目の当たりにし「初めてのおつかい」でとんちんかんなものを買う羽目になったりするらしい。ゲームの金額は知っていても、自分の靴やTシャツがどの程度かということを知らない。ブランドにこだわればさらに目をむくことになるだろう。悪くするとネットで失敗することもある
とはいえ、我が子らも、さくさくと買い物ができているわけではない。もちろん一緒に出掛けることもあったし、一緒じゃない時には携帯に写真がジャンジャン送られてくる。「似合う?」「これどう?」などなど…こちらも嫌いじゃないから指示するけどね、限られた金額で「どっちにしよう」ってやる楽しみを覚えたようだ
そう考えると、意外とわたしのやってきたことは正解だったのかなと思う。最近の子どもたちは、わたしが子どもの頃以上に親と出掛けることが多く(わたしが子どもの頃は親と出掛けたがる子どもの方が少なかった)、なんでも「自分でやりたがる」こともなく育っているようだ
子どもに大金を持たせて「失くしたら…」「遣い過ぎたら…」と心配するよりも、使い方を知らないまま大人になり、大人と同じようにカードを使って散在…なんてことも聞く。大人にならなくても携帯を使っていれば、知らないうちに課金されていた…なんてこともあるようだ
(大きな池があり「危険だから近づくな」といっても子どもはそうはいかない。いずれ入る場所ならば泳ぎ方を教え、なにが危険でなにが大切かを教えるべきだと、だれかが言っていた)
今の大人は、昔の大人のようにガミガミ押さえつけることはなくなったが、「だめ」というばかりで説明が足りないようにも思うのだ
大人になればわかること…は、歳をとったから解るのではなく、だれかに教えて貰った(学習した)から解るのだということを忘れているのではないだろうか
大人になったからといってなんでも知っているわけではないのだ。カードを持ったことのないわたしは世間知らずに近いし、まだまだ疎い問題も山ほどある。未だに教えて貰わないと解らないのだ
大きくなってから「一緒に買い物に行こう」と言われても、わたしの可動時間は2時間が限度。それ以上は足が痛くなるし、気持ちが疲れてしまって(眠くなって)付き合えない。「ここで座って待ってるね」がいいところ。とどのつまりは、自分に都合よく子育てをしたわけなのだが、それをエゴと言われてしまうとなんなんだが、実に楽をさせてもらっている
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