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ジャズギターの歴史

はじめに、今回この記事を書こうと思った理由は、ジャズギターの歴史を改めて見直し、正していきたいと思ったからです。

当たり前のように語られてきた偏ったジャズ史や、「ジャズとはこういうもの」という間違った固定観念を、いったん疑ってみるべきではないでしょうか。

ジャズの中でギターが本当はどのような立ち位置にあったのか、改めて紐解いていきます。


「伴奏楽器」から始まった、という説明をもう一度考える

ジャズギターの歴史を調べていると、決まって最初に出てくる説明がある。

「初期のジャズでは、ギターは主に伴奏楽器だった」
そして、その後にエディ ラング、ジャンゴ ラインハルト、チャーリー クリスチャンらが登場し、「ギターをソロ楽器へと発展させた」と説明される。

しかし、本当にそうなのだろうか?

この説明には、少し違和感がある。

なぜなら、エディ ラングが登場した時点で、ギターにはすでに独奏の伝統があり、ラング自身も1920年代前半からギターをソロ的に扱った演奏を残しているからだ。

さらに同じ時代には、ロニー ジョンソンという極めて重要な黒人ギタリストがいた。彼も1920年代には、ギターを完全なリード楽器として扱っていた。

そして、ラングとロニー ジョンソンはギター デュオとして録音を残している。

ここも重要だ。

つまり1920年代には、ギターはすでに「一人でソロを弾く楽器」であるだけでなく、二本のギターがそれぞれ異なる役割を担いながら、互いに呼応するアンサンブル楽器にもなっていたのである。

さらに、カール クレス、ジョニー セント シア、ディック マクドノウ、アイキー ロビンソン、エディ ダーラムなど、現在ではあまり語られることのないギタリストたちも、それぞれの場所からギターの可能性を広げていた。

つまり、ジャズギターの歴史は、

「伴奏楽器だったギターが、ある日エディ ラングによってソロ楽器になった」

という単純な一本道ではない。

むしろ、ギター独奏の伝統、ラグタイム、ブルース、初期ジャズ、アメリカの大衆音楽、エディ ラング、ロニー ジョンソン、そしてヨーロッパのミュゼットやロマ音楽など、複数の音楽的な流れが複雑に交わりながら、現在のジャズギターへとつながっていったと考えるほうが自然なのではないだろうか。

そして、ここにはもう一つ重要な問題がある。

ジャズの歴史そのものが、トランペットやサックスなどの管楽器、そしてピアノを中心に語られることが多かったため、ギターが本来持っていた音楽的な可能性まで、過小評価されてきたのではないか。

この視点からジャズギターの歴史をもう一度見直してみたい。


ギターは「伴奏楽器」だったのか?

まず大前提として、ギターにはジャズ以前から長い独奏の歴史があった。

16世紀のスペインでは、現在のクラシックギターとは異なるビウエラが、すでに独奏楽器として用いられていた。ルイスデミランらはビウエラのための独奏曲を残している。

17世紀になるとバロックギターが登場し、独奏のレパートリーがさらに発展する。そして18世紀から19世紀にかけて、フェルナンドソル、ディオニシオアグアド、マウロジュリアーニらによって、現在のクラシックギターへとつながる6弦のギターが発展していった。

vihuela

19世紀初頭には、ジュリアーニらによってギターがオーケストラと共演する協奏曲も書かれている。

つまり、ジャズが生まれるはるか以前から、ギターは単なる伴奏楽器ではなく、旋律と和音を一人で同時に演奏する独奏楽器であり、さらにオーケストラと共演するソロ楽器でもあった。

しかし、ギターの独奏やソロ楽器としての歴史は、ヨーロッパのクラシック音楽だけに限られない。

スペインのフラメンコでは、ギターが歌や踊りに寄り添いながら、独自の旋律、リズム、装飾、即興的な表現を発展させていった。

そして19世紀以降、中南米や北米へと目を向けると、国ごとに独自の発展を遂げたギターの姿が見えてくる。

ブラジルでは19世紀後半にショーロが形成され、その初期の代表的な編成にはフルート、カヴァキーニョ、そして複数のギターが含まれていた。ここでのギターは単にコードを鳴らすだけではなく、低音、和音、旋律、リズムを受け持ち、複数のギターが互いに応答するようなアンサンブルを作り上げていた。さらに1920年代から30年代にかけては、独奏、ショーロ、タンゴ、クラシックが融合した文化が花開き、アメリコジャコミーノカニートが多数の録音を残して「Abismo de Rosas」を発表したほか、レヴィーノアルバーノダコンセイソンもオデオンに録音を残した。ほかにもベネディートチャベスグルー、ジョアンペルナンブーコ、ロジェリオギマランイスらが活躍し、各地で独奏ギターの表現が発展していた。

ジャズよりも古い歴史を持つブラジル音楽ショーロの演奏風景

アルゼンチンでも19世紀末のタンゴの初期編成には、ギター、ヴァイオリン、フルートなどが用いられていた。

メキシコでは1900年前後から独奏の実例が確認でき、1908年にはギタリストのオクタビアーノヤニェスが「Habaneras」というギター独奏を録音している。他にもギレルモゴメスやフランシスコサリナスらがギター独奏の可能性を切り拓いていた。

キューバではエゼキエルクエバスが、1928年にハバナでタレガの「アラビア風奇想曲」を録音している。

さらに視野をカリブ海諸国全体や中米へと広げると、スペイン由来のギター文化は独自の発展を遂げ、ハバナやニューオーリンズといった港町を通じて、ジャズの胎動期にあるアメリカ南部や周辺地域と絶えず音楽的な往来を行っていた。キューバのハバナは、スペインやヨーロッパの文化が新世界へ流れ込む巨大なゲートウェイであり、そこで培われたリズムや弦楽器のアンサンブル感覚は、カリブ海一帯のダンス音楽や初期のラテンジャズの萌芽へと直結していく。

また、アフリカに目を向ければ、西アフリカの諸地域においても、ポルトガルやスペインの商船や海員たちが持ち込んだギターや弦楽器のスタイルが現地に根付いていた。例えば、のちに「パームワインミュージック」と呼ばれるようになるギター弾き語りのスタイルなどは、西アフリカの海岸線で独自の進化を遂げ、現地の伝統的なリズムやポリリズムと融合しながら、独自のギター文化を形成していこうとしていた。


アメリカでも19世紀末にヘンリーウォーラルが「Guitar Solo」としてメキシコ舞曲を出版しており、ラグタイム、ブルース、ヴォードヴィルなどの音楽の中で、ギターを使ったフィンガースタイルやメロディー演奏も発展していく。

ここで重要なのは、ギターには「一人で完結する能力」と「他のギターや楽器と組み合わせる能力」の両方が、ジャズ以前から存在していたということである。

一人で旋律と和音を同時に演奏することもできれば、複数のギターで役割を分担し、互いに旋律やリズムを受け渡しながら音楽を作ることもできた。

つまり、ジャズが生まれる頃には、ギターはクラシックだけでなく、さまざまな大衆音楽や民族音楽の中でも、独奏、旋律演奏、そしてアンサンブルを担う楽器として存在していた。

では、なぜ「初期ジャズではギターは伴奏楽器だった」という説明が定着したのだろうか。

その最大の理由の一つは、ギターそのものの音量だった。

当時のアコースティックギターは、トランペットやトロンボーン、サックスなどの管楽器と一緒に大人数で演奏すると、どうしても音量で不利だった。そのためダンスバンドなどでは、ギターを前面に出して長いソロを演奏するより、コードやリズムによってバンド全体を支える役割を担うことが多かった。

つまり、ギターにソロ能力がなかったのではなく、その能力を大編成の中で発揮するための音量が不足していたのである。

そして、ジャズの誕生を考えるうえで、ニューオーリンズという場所も忘れてはいけない。

ニューオーリンズには、フランスやスペインなどヨーロッパの文化、アフリカやカリブ海の文化、そしてアメリカ南部の音楽が長い時間をかけて交差していた。特にクレオールオブカラーと呼ばれた人々の中にはヨーロッパの音楽教育を受けた音楽家もおり、こうした複雑な文化的環境が初期ジャズの形成に大きな影響を与えた。

ギターの歴史を見ても、この時代のニューオーリンズにはすでにギタリストが存在していた。

ジョニーセントシアは1905年頃には自分のトリオを率いて演奏しており、その後、キングオリヴァーやルイアームストロング、ジェリーロールモートンらの重要な録音にも参加している。バドスコットもまた、初期ニューオーリンズジャズの周辺で活動したギタリスト、バンジョー奏者だった。

ただし、彼らの存在をもって「初期ジャズのギターはソロ楽器だった」と単純に言うこともできない。

実際のバンドの中では、ギターやバンジョーがリズムや和音を担当する場面が多かったからである。

ここで重要なのは、「ギターが何を演奏できたか」と「当時のバンドの中で何を担当していたか」は別の問題だということだ。

ギターはすでに独奏も、旋律演奏も、複数のギターによるアンサンブルもできる楽器だった。

しかし、初期ジャズの大編成では音量の問題から、伴奏やリズムを担当することが多かった。

したがって、ジャズギターの歴史を、

「伴奏楽器だったギターが、後になってソロ楽器へ進化した」

と考えるより、

「すでに独奏やアンサンブルの豊かな伝統を持っていたギターが、初期ジャズのバンド環境では音量の制約によって伴奏を担うことが多くなり、その後、演奏技術や楽器、録音技術の発展によって再び前面へ出ていった」

と考えるほうが、実際の歴史に近いのではないだろうか。

そして、その「再び前面へ出ていく」過程で、エディラング、ロニージョンソン、カールクレス、そしてジャンゴラインハルトらが登場することになる。


ブルースとジャズ、その境界

ここで、ブルースとの関係にも触れておきたい。

現在では「ジャズ」と「ブルース」は別の音楽ジャンルとして考えられている。

しかし、ジャズが形成されていった19世紀末から20世紀初頭のアメリカ南部では、現在のような明確なジャンルの境界は存在していなかった。

ニューオーリンズでは、ブルース、ラグタイム、行進曲、ダンス音楽などが互いに影響しながら発展し、それらが初期ジャズの形成に関わっていった。

つまり、

ブルース → ジャズ

という単純な順番で考えるよりも、ブルースと初期ジャズが同じ音楽文化の中で並行して形成され、互いに影響し合っていたと考えるほうが実態に近い。

そして、この関係をギターの歴史から見ると、さらに面白くなる。

1920年代には、シルヴェスター ウィーバー、ブラインド レモン ジェファーソン、ブラインド ブレイクらがギターによるブルース表現を発展させていた。

その一方で、ブルースとジャズの両方の世界を横断するギタリストとして登場するのが、ロニー ジョンソンである。

彼の登場によって、ギターはブルースの伴奏楽器であるだけでなく、単音による旋律、流麗なフレーズ、即興によって、ジャズの中でも前面に出るソロ楽器へと発展していく。

ここで重要なのは、ギターの発展がジャズだけの内部で起きていたわけではないということだ。

ブルース、ラグタイム、ダンス音楽、ヴォードヴィルなど、さまざまな音楽の中でギターが発展し、それらの表現がジャズへと流れ込んでいた。


エディ ラング──ギターはすでにソロ楽器だった

この流れの中で重要なのが、エディ ラングである。

本名サルヴァトーレ マッサーロ。1902年、フィラデルフィア生まれ。

ラングは幼少期から音楽教育を受け、特に重要なのがヴァイオリンだった。そして少年時代の親しい仲間に、後に重要なジャズ ヴァイオリニストとなるジョー ヴェヌーティがいた。

二人はヴァイオリンだけでなく、ギターやバンジョーにも親しみ、若い頃から一緒に演奏していた。

この経験は、後のラングの音楽を考えるうえで重要である。

ラングは単なる「コードを弾くギタリスト」ではなかった。

旋律をどう歌わせるか、ハーモニーをどう組み立てるかという感覚を、弦楽器奏者として身につけていたのである。

Eddie Lang

ラングの初期録音で特に重要なのが、1924年12月10日に録音されたMound City Blue Blowersの「Deep Second Street Blues」である。

この録音では、ラングがすでに単音によるギターソロを聴かせている。

つまり1924年の時点で、「ギターでジャズ的な単音ソロを演奏する」ということは、すでに実践されていた。

さらに1920年代後半になると、ラングはギターを前面に出した録音を増やしていく。

1927年には、ラフマニノフの《前奏曲 嬰ハ短調》をギター独奏で演奏した「Prelude」も録音している。

ここまで来ると、「ギターは伴奏楽器」という説明だけでは、ラングという人物を到底説明できない。

彼はすでに、ギターをメロディー、ハーモニー、音色を一人で表現できる楽器として扱っていた。

しかし、ここで重要なのは、エディ ラングがギターソロを発明したわけではないということだ。

それ以前からギター独奏の伝統は存在していた。

ラングの重要性は、それらをジャズのハーモニーと即興の世界に深く結びつけたところにある。

そして1920年代には、ラング以外にもカール クレスという重要なギタリストが活動していた。

クレスはギター独奏や複雑なコードワークを追求し、ギターを一人の演奏者だけで完結できる楽器として発展させていった。

つまり1920年代には、すでに複数のギタリストが、それぞれ異なる方法でギターの可能性を広げていたのである。

エディ ラングだけが突然、何もないところから現れたわけではない。


ロニー ジョンソン──もう一人の革命

ここで、ジャズギター史を語るうえで絶対に外せない人物が登場する。

ロニー ジョンソンである。

ジョンソンは1899年生まれの黒人ギタリスト。1920年代半ばから録音活動を開始し、1920年代後半にはルイ アームストロングらとの重要な録音も残している。

ジョンソンは、ギターを完全なリード楽器として扱い、単音による高度なソロを聴かせた。

これは非常に重要な事実だ。

Lonnie Johnson

1920年代にはすでに、

エディ ラングはジャズのハーモニーを取り込んだ高度なギターを追求し、

ロニー ジョンソンはブルースを基盤にした流麗な単音ギターを発展させていた。

二人は異なる音楽的背景を持ちながら、同じ時代にギターを「歌う楽器」として発展させていたのである。

そして1928年から29年にかけて、二人はギター デュオとして複数の録音を残す。

代表的なものには、「Have to Change Keys to Play These Blues」「A Handful of Riffs」「Blue Guitars」「Hot Fingers」などがある。

ここで非常に重要なのは、二人のギターによるアンサンブルである。

多くの録音では、ロニー ジョンソンがリードやソロを担当し、エディ ラングがコード、ベース、リズムを担当する。

ジョンソンがブルースの強烈な単音ギターを弾き、ラングが高度なハーモニーとリズムで支える。そして必要なところではラングもソロに入る。

つまり二人は、単に「二人のギタリストが一緒に演奏している」のではない。

それぞれのギターが異なる役割を担いながら、互いに呼応するギター デュオとしてのアンサンブルを、1920年代の段階ですでに成立させていたのである。

これは非常に重要な点だ。

ギターはすでに、一人でソロを弾く楽器であるだけではなかった。

二本のギターがそれぞれの声部を担い、旋律、和声、リズムを組み合わせながら、一つの音楽を構築するアンサンブル楽器でもあった。

しかも当時のアメリカでは人種隔離が強く、ラングはこれらの録音で「Blind Willie Dunn」という名前を使用した。

この二人の録音は、単なる珍しいギター デュオではない。

白人ジャズのギターと、黒人ブルースやジャズのギターが直接交わった、極めて重要な記録なのである。

ロニー ジョンソンの重要性は、単にエディ ラングと共演したからではない。

彼は1920年代という非常に早い時期に、ギターをサックスやトランペットと同じような「メロディーを歌う楽器」として扱っていた。

単音フレーズ、流麗な速いフレーズ、ビブラート、ブルース的な音の表現。

そして何より、「ギターを歌わせる」という感覚。

これらは後のジャズギター、ブルースギター、さらにロックギターにもつながっていく。



ジャンゴ ラインハルト──ラングとジョンソンの先へ

ここで、ジャズギター史最大のスターの一人、ジャンゴ ラインハルトが登場する。

ジャンゴは1910年生まれ。

重要なのは、ジャンゴが最初からジャズギタリストだったわけではないということだ。

若い頃のジャンゴは、パリのミュゼット音楽の世界で、バンジョーやギターを演奏していた。

つまり、「ジャズギターを弾くためにギターを始めた」わけではない。

すでにミュゼットの世界で、メロディーや装飾的なフレーズを演奏していたのである。

したがって、「ジャンゴはエディ ラングを聴いて、初めてギターでソロを弾くようになった」という説明は正しくない。

1928年、18歳のジャンゴは火災に巻き込まれ、左手に大きな負傷を負う。

普通ならギタリストとして致命的な事故である。

しかしジャンゴは演奏を諦めなかった。

人差し指と中指を中心に独自の運指を作り上げ、その制約そのものを後の独特な奏法へと変えていった。

そしてジャンゴの音楽人生を大きく変えた出来事が起こる。

1930年から31年頃、ジャンゴはアメリカン ジャズのレコードを本格的に聴くようになる。

特に重要なのが、エミール サヴィトリーという友人との出会いだった。

サヴィトリーはアメリカのジャズ レコードを持っており、ジャンゴはそこからアメリカのジャズを吸収していった。

ジャンゴが聴いた音楽の中には、ルイ アームストロング、デューク エリントン、そしてジョー ヴェヌーティとエディ ラングらの録音があったとされる。

ここで重要なのは、ジャンゴがラングを知ったのは、「ギターでソロを弾く」ということを学ぶためではなかったということだ。

ジャンゴはすでにギターやバンジョーでメロディーやソロ的な演奏をしていた。

彼がラングやヴェヌーティから吸収したのは、

「ジャズの中で弦楽器をどう扱うか」

という、もっと大きな音楽的発想だったと考えるほうが自然である。

Django Reinhardt & Stephane Grappelli

ラングからジャンゴへ──そしてグラッペリへ

エディ ラングはジョー ヴェヌーティと1920年代から共演していた。

ギターとヴァイオリン。

ヴェヌーティが旋律を歌い、ラングがギターでハーモニーとリズムを支える。そして時にはラング自身も前面に出る。

この組み合わせは、後のジャンゴ ラインハルトとステファン グラッペリを考えるうえで非常に興味深い。

もちろん、「ラングとヴェヌーティが、そのままジャンゴとグラッペリにつながった」と断定することはできない。

しかし、ギターとヴァイオリンを中心とした弦楽器によるジャズという発想には、明らかな共通点がある。

そして、ラングからジャンゴへの影響を考えるうえで、非常に興味深い録音がある。

「A Little Love, A Little Kiss」である。

エディ ラングは1927年、この曲を録音している。

そしてジャンゴも1937年、この同じ曲を録音した。

もちろん、これだけで「ジャンゴがラングの演奏をそのまま真似した」と断定することはできない。

しかし、

1927年、エディ ラングが「A Little Love, A Little Kiss」を録音。

その後、ジャンゴがアメリカン ジャズを吸収。

そして1937年、ジャンゴが同じ曲を録音。

この流れは、ラングとジャンゴの関係を考えるうえで、非常に興味深い材料になる。

一方、ロニー ジョンソンについては、ジャンゴが「いつ、どの録音を聴いたのか」を特定できる確実な資料は確認されていない。

ただし、ジョンソンのギターに見られる単音によるメロディー、流麗なフレーズ、ビブラート、ベンディング(チョーキング)、ブルース的な表現、そして「ギターを歌わせる」感覚は、後のジャンゴの演奏を考えるうえでも興味深い。

ジャンゴの場合は、誰か一人の影響を受けたというより、さまざまな音楽を吸収し、それらを自分の中で新しい音楽へと変えていったと考えるほうがふさわしい。

そして、ここで重要なのが1930年代のパリである。

この時代のヨーロッパのギターシーンをジャンゴ一人だけで語ることはできない。

ジャンゴの周囲には、実に多くの個性的なギタリストが存在していた。

その中でも特に重要なのが、バロ フェレ、サラーヌ フェレ、マテロ フェレというフェレ兄弟である。

彼らはミュゼットやロマ音楽を基盤にしながらジャズを吸収し、それぞれ独自のギター表現を発展させていた。

特にバロ フェレはジャンゴの親しい友人であると同時にライバルでもあり、ジャンゴの録音にも数多く参加している。

左から、バロ、サラーヌ、マテロのフェレ兄弟

そして、もう一人非常に重要なのが、アルゼンチン出身のオスカル アレマンである。

アレマンは1930年代のパリで活躍し、ジョセフィン ベーカーのバンドを率いるなど、当時のヨーロッパを代表するスウィング ギタリストの一人だった。

しかもアレマンは、エディ ラングとジョー ヴェヌーティの音楽からアメリカン ジャズを吸収していた。

つまり1930年代のパリでは、ジャンゴとは別のルートからもアメリカン ジャズとギターがヨーロッパへ渡っていたのである。

アレマンはパリでジャンゴと親しくなり、二人は一緒に演奏することもあった。

ジャンゴはヨーロッパのミュゼットやロマ音楽を基盤にしながらアメリカン ジャズを吸収していった。

一方、アレマンは南米からヨーロッパへ渡り、ラングやヴェヌーティを通じて吸収したアメリカン ジャズを携えてパリで活動していた。

そして二人が同じ街で出会う。

ジャンゴのライバルと称されたアルゼンチンのギタリスト、Oscar Aleman

1930年代のパリは、アメリカン ジャズ、ブルース、ミュゼット、ロマ音楽、南米の音楽などが交差する場所になっていたのである。

さらに、ジャンゴの弟ジョゼフ ラインハルト、ロジャー シャピュ、ディディ デュプラ、グスティ マルハ、ウジェーヌ ヴェースらも、当時のパリのジャズやミュゼットの世界で活動していた。

もちろん、彼ら全員がジャンゴと同じような方向へ進んだわけではない。

それぞれが異なる音楽的背景を持ち、それぞれ異なる方法でギターを発展させていた。

だからこそ、1930年代のヨーロッパを「ジャンゴの時代」とだけ考えるのは、少しもったいない。

ジャンゴが圧倒的な存在だったことは間違いない。

しかし、その周囲にはバロ フェレ、サラーヌ フェレ、マテロ フェレ、オスカル アレマン、ジョゼフ ラインハルトらが存在し、彼らもまた、それぞれの場所からジャズギターの歴史を作っていたのである。

そして、その中からジャンゴとステファン グラッペリの組み合わせが生まれる。

1934年から35年頃、二人はフランス ホット クラブ五重奏団を形成する。

ここでジャンゴのギターとグラッペリのヴァイオリンが中心となり、ベースやドラムを加えた編成によって、これまでにない弦楽器中心のスウィング ジャズを作り上げていく。

ジャンゴのギターは、ミュゼット、ロマ音楽、ブルース、アメリカン ジャズ、そしてエディ ラングやロニー ジョンソンらのギターから吸収したものを、自分自身の言葉へと変えていた。

そしてグラッペリとの組み合わせによって、その音楽はさらに独自のものになった。


ギターは「主役になった」のではなく、もともと多くのことができた

ここで、一度ギターそのものについて考えてみたい。

ジャズの歴史では、トランペットやサックス、ピアノなどが中心的な楽器として語られることが多い。

しかし、それは必ずしも「それらの楽器のほうが音楽的に上位だった」ということを意味しない。

むしろ、初期ジャズにおいてギターが脇役になりやすかった最大の理由の一つは、音量の問題だった。

トランペットやサックスは、もともと大人数のバンドの中で遠くまで音を届けることができる。

ピアノも低音から高音まで広い音域を持ち、複数の音を同時に鳴らせる。

それに対して、生音のギターは大編成の中では音量で不利だった。

そのため、

管楽器=旋律、ソロ

ギター=コード、リズム

という役割分担が生まれやすかった。

しかし、ここで「役割」と「能力」を混同してはいけない。

ギターは、一人で旋律と和声を同時に扱うことができる。

低音、コード、メロディーを一つの楽器で組み合わせることもできる。

さらに、ギターには管楽器やピアノにはない表現がある。

弦を押して音程を連続的に変えるチョーキング。

音を滑らせるスライド。

ビブラート。

ハンマリングやプリング。

弦をミュートすることによる独特のリズム。

そして、場合によっては楽器そのものを叩くようなパーカッシヴな表現。

同じ音程でも、弦やポジションを変えることで音色やニュアンスを変えることもできる。

これはピアノのような鍵盤楽器ではできない。

つまり、ギターはピアノの代用品でも、管楽器の後追いでもなかった。

ギターには、ギターにしかできない音楽表現が最初から存在していたのである。

さらにギターは、一人で完結する独奏楽器であると同時に、二人で演奏すればギター同士が異なる声部を担うデュオ楽器にもなる。

ギターとヴァイオリンのような弦楽器同士の組み合わせもできる。

和声、旋律、リズム、低音、パーカッション。

一つの楽器の中に、非常に多くの役割を持たせることができる。

だから、「伴奏からソロへ」という説明だけでは、ギターという楽器そのものの歴史を十分に説明できないのである。


チャーリー クリスチャン──ギターがバンドの前面へ

そして1930年代末、もう一つの大きな転換点がやってくる。

チャーリー クリスチャンである。

ただし、ここは正確に考える必要がある。

チャーリー クリスチャンが初めてアンプを使ったわけではない。

その少し前には、エディ ダーラムらがすでに電気増幅ギターをジャズの中で使用していた。

つまり、

電気ギターの初期使用者がチャーリー クリスチャンだったわけではない。

しかし1939年頃、ベニー グッドマンのセクステットやオーケストラで活動したクリスチャンは、電気増幅されたギターをジャズの主要なソロ楽器として本格的に定着させた。

ここで初めて、現在につながる、

「ギターがサックスやトランペットのように、バンドの前面で長い単音ソロを取る」

というスタイルが大きく確立していく。

しかし、その土台はすでにラング、ロニー ジョンソン、カール クレス、ジャンゴらによって作られていた。

だからチャーリー クリスチャンの革命を、

「ギターを伴奏楽器からソロ楽器に変えた」

とだけ説明するのは、やはり不十分である。

むしろ、

すでに存在していたギターのソロ表現を、電気増幅によって大音量のジャズ アンサンブルの前面へ押し出した。

これが、クリスチャンの革命の核心だったと考えるほうが正確だろう。

言い換えれば、アンプがギターに「ソロ能力」を与えたのではない。

アンプによって、それまでギターが持っていた能力を、大編成のジャズの中でも十分な音量で発揮できるようになったのである。

ここは、ジャズギター史を考えるうえで非常に重要なポイントだと思う。

スウィングジャズの代表格ベニーグッドマンとチャーリークリスチャン



「伴奏からソロへ」という歴史観を疑ってみる

ここまで見てくると、ジャズギターの歴史を、

「伴奏楽器だったギターが、ソロ楽器へ進化した」

という一本の線だけで説明することには、やはり無理があるのではないだろうか。

ギターは、ジャズが生まれる以前から、すでに多様な表現を持つ楽器だった。そしてジャズの中でも、時代や地域、演奏者によって、その役割はさまざまに変化していった。

だからこそ、ジャズギターの歴史を単純な「伴奏からソロへ」という進化の物語として捉えるのではなく、さまざまな音楽文化とギタリストたちが交差しながら、その可能性を広げていった歴史として捉える必要があるのではないだろうか。

そして、ここで忘れてはいけないのが、「ギターは管楽器やピアノより下だった」という見方そのものを疑うことである。

管楽器は単旋律を演奏することに特化し、ピアノは複数の音を同時に鳴らせる。一方、ギターは単音の旋律、和音、低音、リズム、さらにはパーカッシヴな表現まで、一つの楽器の中で組み合わせることができる。

つまり、それぞれの楽器には、それぞれ異なる能力と役割がある。

比較する尺度が違うのである。

そして、ここからさらに重要なことが見えてくる。

ジャズギターの歴史を紐解くと、ジャズそのものもまた、「西洋音楽とアフリカ音楽の融合」という一つの説明だけでは捉えきれないことが見えてくる。

そこには、クラシック、ラグタイム、ブルース、ミュゼット、ロマ音楽、初期ジャズ、そしてさまざまな地域や文化の音楽が複雑に交わりながら、一つの音楽へと変化していった。

ジャズギターの歴史をたどることは、単なる楽器の発展史ではない。

ジャズという複雑な音楽の成り立ちを見直し、ジャズそのものを捉え直すための入り口なのかもしれない。


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