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72歳の自分がnoteを始めて気づいたことーーはじめた理由は、大したことではなかった。

「書いてみたら」と誰かに言われた。それだけだ。72歳が新たなことをはじめるには、大それた動機など必要としない。


気がついたら書いていた。
気がついたら続いていた。

それがこのnoteの始まりだ。


最初に気づいたのは、
書くことが「整理」だということだ。

頭の中にあるとき、考えはぼんやりしている。
なんとなく思っている、なんとなく感じている。
それを言葉にしようとした瞬間、輪郭が現れる。
「自分はこう思っていたのか」と、
書きながら初めてわかることがある。

72年分の経験と感情が、
ずっと未整理のまま積み上がっていた。

noteはその棚卸しだと気づいた。


次に気づいたのは、
「読まれること」の力だ。

日記は誰にも読まれない。
だから少しいい加減でも許される。
しかしnoteは読まれる可能性がある。
その緊張感が、言葉を丁寧にさせる。
誰かに届けようとするとき、
人は初めて本気で言葉を選ぶ。

72歳にして、
文章と真剣に向き合うことになるとは
思っていなかった。

デザイナーとして50年近く
「見た目」を作ってきた人間が、
「言葉」に向き合っている。
これはなかなか面白い逆転だと思っている。


書いてきたテーマは、
日常観察が多い。

病院の待合室での病気自慢。モバイルメニューとの格闘。
パスワードの再設定。人違いの件。亡き母の食への執念。
細君がいかに変わり者か。男がいかにだいたい発達障害か。

どれも、
長い人生の中ではたいしたことではない出来事だ。
しかし書いてみると、
その「たいしたことない」の中に、
時代の変化や人間の本質や、
自分が何を大切にしてきたかが、
ひっそり詰まっていることに気づく。

日常は、
観察する眼を持てば宝庫になる。

これが三つ目の気づきだ。


そして一番大きな気づきは、
「自分の人生を語ることへの解放感」だ。

72年生きれば、
人に言えないこともある。
言わずに来たこともある。
4歳で養子に出され、15歳で謄本を見て真実を知り、
親友に裏切られ、事業に失敗し、また立ち上がった。
そういう話を、
誰かに語る場所が、これまでなかった。

noteを書き始めて、
少しずつ語れるようになった。

語ってみると、
重かったものが、少し軽くなる。
そして思いがけず「私も同じです」という
声が届くことがある。
自分だけの話だと思っていたことが、
誰かの話でもあったと知る瞬間の、
あの感覚…。

これが、
書き続ける理由になった。


若い人たちに驚かれることがある。

「72歳でnoteを書いているんですか」と。

驚かれるたびに思う。
72歳だから書けることがある、と。
若い頃には書けなかった。
経験が足りなかった。
傷が浅かった。
笑い飛ばせるものが少なかった。

年齢は、
言葉に深みを与える。

それに気づいたのが72歳だったというのは、
遅すぎるかもしれない。
しかし前を向くのに遅すぎる年齢など、
どこにも書いていない。


最後に、
読んでいるあなたへ。

あなたにも、
誰かに話したことのない物語があるはずだ。
笑えるものも、笑えないものも。
たいしたことない日常も、
忘れられない一瞬も。

それを言葉にする価値が、
必ずある。

72歳の私が今、
それを実感しながら書いている。

どうかあなたも、
書いてみてほしい。

読みに来るから。




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