人間にとって、年齢とは、
人間にとって、年齢とは、その人間の品質を表す数値ではない。
つまり、年嵩が増しているからと言って、優秀であるとは限らず、
それはただの、肉体の、主に、血管や内臓の使用年数に過ぎない。
よく年齢のことをレベルで喩えて言う文化があったりするけど
単に身体の使用経過年数ってことだよねって話
車で言えば年式ってやつだ
知見や経験が経過年数が増えるにつれて増していくという見方もあるけれど
経過した時間と機会が多いというだけで
活用できたのか、有用だったのかはまた別のお話し
…なんだけどさ
年配者が年齢という年輪が多いだけで我物顔で偉そうにしているのも嫌だし
若輩者が中身が大事だよねと薄っぺらい持論を取り繕っているのも嫌だ
どちらにせよ他人からマウント取りたいんですっていう
自己承認欲求満たしたいだけのゲスいオチに帰結する
終わりなきマウント合戦の末には倒された者で周囲は埋められ
もはや対比対象すらいなくなった荒野で意識高いポエムを呟くしかない
年配者はすごいよっていうのは
古くは儒教の五倫五常の五輪にあたる親・義・別・序・信
のなかに年上を敬いなさいって考えがあってさ
根柢にあるのはやはりデータベースの物量
単純にこうこうこういう事があったよという過去事例や歴史など
データの蓄積が多いので統計的に言ってしまえば
若輩者よりも判断を間違えない精度は必然と高くなるって図式
…なんだけどさ
データ量が莫大にあっても何にそのデータを活用するのか?
どこに適用するのか?っていうのは考えられていなくて、
あくまで活用に関しては属人的なバイアスがかかったままになってしまう
さらにデータの鮮度の問題もあって
耐用年数が過ぎてしまっている情報は現在では活用できないし
せめて懐かしいねって懐かしむ懐古娯楽でしかない
そういうのを総合して考えれば
なんでもかんでも年配者のイエスマンになるのではなく
年配者を敬ってRAWデータを頂いて、活用は自分で加工したり
判断するっていうのが、いい感じの落としどころだよねって思う
その人が優秀かどうか、尊敬に値するかどうかは
まったく別の要素で決めなきゃいけない
それはとても属人的な手法で決められて良い
たとえば僕で言えば面白いか、面白くないか、が判断基準になるし
年収という金銭的な人もいるだろうし
外見のルックスてきな人もいるだろうし
どこそこの偉いさんという権威であることもあるだろうし
単純な知識の量で決める人もいるだろう
何も価値感のものさしを共通ツールにする必要はない
了
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