あのとき死ぬほどセンチメンタルだった私。お母ちゃんの愛と「恩返しのバトン」
ああ、お恥ずかしい限りです…。
少し前に、心がどうしようもなく苦しくて、
深夜のノートにこんな文章を書き連ねていたことがありました。
かつて「一番の理解者」だった母が、
少しずつ、別の人になっていくことでした。
なんだか、心が、ひとりになる夜があります。
ああ、つらいな。
「一番の理解者」が、老いていく。
それを受け入れることは、
母を失うこととは違うはずなのに、
どこか、喪失に似た痛みを伴います。
今夜も、頬に当たる風が、やけに冷たく、
芯にあるぬくもりを、まだ感じられずにいます。
……当時の私、
めちゃくちゃ背負い込んで、悩んでました(笑)
しかも、この流れの投稿、実は三部作くらいあるんです。
https://note.com/june2chan/n/n1e53bf80493e
▼冬の風と、老いゆく母と、私の境界線
Https://note.com/june2chan/n/n8b7dfa3c958
どれだけ「母の老い」と「孤独」と「人生の儚さ」に
浸るんだ、当時の私さん。
今振り返ると、
自分で自分の頭をハリセンでスパッとはたきたい!
「そりゃあ、母だって人間なんだから、
時と共に変わるでしょうよ。
っていうかね、私もすでに変わってきてるよ!
何言ってんだ、このマザコンがー!」
と、ツッコミを入れたくなってしまいます。(笑)
渦中にいるときは、
まるで世界の終わりみたいに感じちゃうんですよねー。
自分が全部を背負わなきゃいけない気がして、
ちゃんとしていなきゃいけない気がして、
未来まで勝手に不安になって。
でも、ある時ふっと、
その重たい荷物を横に置いて深呼吸してみたら、
「あれれ? 私、いまやりたいようにやれてるし。
それに、母も父も、なんやかんや元気やんー。」
って思えたんです。
そう思えた瞬間。
老いていく母への不安を吐露していた
過去の自分に対して、
気恥しさや愛おしさと同時に、
「いやいや、ちょっとちょっと!
これまで母が私に与えてくれたもの忘れたのか?」
という感謝が、
ぐわわーっと込み上げてきました。
冷静に振り返ってみると、
女手一つで育ててくれた、
うちのお母ちゃん、ちょっと凄すぎるんです。
高校1年生の夏休み。
大してお金もないのに、
バイクの免許を取得した嬉しさもあり、
どうしようもなく湧き出る衝動が抑えられず
海がみたくなりました。
(奈良は海が無いのでね、)
和歌山の白良浜まで行って1週間くらい野宿生活をして、
ついには1円のお金も尽きて、
優しいご縁もなくなって、
帰ろうにも途中でバイクまでもが壊れて、
にっちもさっちもいかなくなった事がありました。
結局、情けない姿で頼るしかなかったのは母です。
母は文句も言わず迎えに来てくれて、
壊れたバイクまで一緒に引き取りに行ってくれました。
他にも、私がはじめて妊娠した時。
不安で不安で、
なんだか誰にも言えなくて、
1ヶ月間ずっと孤独で悩んでいた時も。
意を決して伝えたら、
「なんとなくわかってたよ。
よく言ってくれた。どうしたい?」
と、ただ私の意思を優しく聞いてくれました。
離婚したいと何年も悩み続け、
洗い物をする音でどうにか消しながらも、
毎晩涙が止まらなくて、心が折れかけていた時も。
「お母さん、ごめんなさい…。限界がきました。
情けないけれど、離婚がしたいです。」
そう、連絡した時の返事も同じでした。
「わかってたよ。よく言ってくれた。いつでも戻っておいで」
私学へは行かない。市立中学へ行く!の決断。
家族旅行は行かない。部活と遊びに集中する!の決断。高校では、大学は行かない。今すぐ就職する!の決断。
就職後には、出て行く!一人暮らしの決断。
結婚する!の決断。
人生の大きな決断は、 いつも自分でしてきました。
いえ、させて貰えていました。(笑)
だけど、 どうしても一人では立ち直れない、
本当にギリギリの瀬戸際に立たされた時。
母はいつだって、
完璧なタイミングで、
安心と信頼の両手を広げ、いつでもどうぞ。と、
受け止めてくれました。
こんな規格外の愛を貰っておきながら、
いまさら何を深夜に
センチメンタルになっていたんだ、と。
しかも今の母はというと。
人の話を聞いているようで全く聞いていない。
自分の話したいことを一通り喋ったらもう満足。
そして最後には、
「じゃ、私ちょっと行ってくるわ」
と、やりたい事をやりに、
どこへでも軽やかに出掛けていきます(笑)。
「え、何その自由さ!!??」
と思う日もあります。
でも、きっとそれでいいのでしょう。
母は母で、 ちゃんと自分の人生を生きている。
“他人の人生”にならずにいてくれている。
その姿を見ていると、
老いとは、 「失っていくこと」だけではなく、
“その人らしさが、むしろ濃くなっていくこと”
なのかもしれないなー、なんて思うのです。
そして、
そんな母のから、 人生で1つの
大切なルールを教わりました。
それは、
「親への恩返しなんて、する必要は全くない。」
ということでした。
母からは
貰った安心感や経験は、 返すためのものではない。
昔からずーっと言われていました。
「やってもらった事、やってあげられたらいいねんー。」と。
恩返しという形に縛られるのではなく、
「次の人(世代)へ、その経験を回していくこと」
それこそが、本当の循環なのだと。
だから私は、 子どもたちにも、
周りの大切な人たちにも、
「これだけしてあげたんだから返してね」
なんて感情を、 ほとんど持ったことがありません。
貰ったバトンを、 次へ、次へ。
ただ渡していく。
それが私の生き方の土台になっています。
そんな相談事を話をすることが減ってきていて
ちょっと忘れかけてましたけど。(笑)
スマートでもなく、
格好いい生き方でも全然なくって、
色んな失敗ばかりの生き方をしています。
散々ひとりで悩んでみたり、
アレコレやってみたり、
結局、毎日ジタバタします。(笑)
それでも、その先で、
「あぁ、理想の大人とは程遠く、
まだまだダサい自分だけど、
何より周囲にはありがたいし、本当に楽しいな」
って笑えている今が、 私はとても好きです。
もし今、
何かを必死に背負い込んで、
身動きが取れなくなっている人がいたら。
一度その荷物を、
そっと横に置いてみませんか。
意外と自分決めた枠の中でもがいたり、
くらいついたりと、
見えないことに恐れているだけで
どおってことなくいけたりします。
世界は無数の生き方で溢れています。
根拠なんてなくても、 あなたは十分に素晴らしい。
そして、貰った優しさは、
くれた人へ返さなくていい。
だ、そうですよ。
それだとちいさな時代の一欠片にも満たなくても
循環するこれからの一欠片になれるので、
渡し甲斐も出てきますね^^
ただ、 あなたのタイミングで、
次の誰かへ、
そっと回していけばいいだけ。
今日もまた、ぐっと感謝。
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