〈小説〉スカートとズボンの話 #38【終】
2024年
花凛は夏休みに入ってすぐ、誠順の実家に遊びに行った。数泊して今日帰ってくる。
いつもは1人で家まで帰ってくるが、今回は東京駅のどこそこでご飯を食べたいというリクエストがあった。わたしは東京駅で、花凛を出迎えることになった。
今日も、暑い。猛暑日がつづく夏は、もう当たり前になってしまった。
わたしは駅への道を急いだ。
最近の花凛は、本当に明るい。
花凛は春に、都内の共学高校に入学した。毎日、楽しくて仕方がないと言いながら通学している。口数も増えた。
内にこもったり、無口になったり、反抗的になったり。中学時代はそんなことがよくあったが、今はどこ吹く風だ。
年齢的なものもあっただろうが、やはり中高一貫女子校で進学せず、今の高校に行ったのは大正解だった。環境って、本当に大事だ。
Blue Ocean。
蒼い海。
自分らしく、思いきり翔べる場所。
そういう場所さえあれば、人は楽しく生きていける。
昨年、昔つきあっていたヨシカワがSNSで言ったこの言葉が、最近のわたしを支えている。
わたしの大好きなmer bleueが、同じ「蒼い海」という意味だったことも、驚きだった。
悲しい別れをして音信不通になっていた彼が、そういう場所を見つけ楽しく生きていた。
そしてわたしも気づかないうちに、そういう場所に守られていた。
その2つのことがわたしを、とても温かく支えてくれたのだ。
誠順は、今どんな風に生きているのだろうか。
誠順のことになるといまだに、あえて考えることを避けて、直視できないわたしがいる。
もう5年も会っていない。最後に会ったときの強烈な記憶も、さすがに薄れてはきたけど。
東京駅に着き、東北新幹線の改札前で、わたしは花凛を待った。
到着時刻から数分が過ぎ、降車客が続々と改札に向かってきた。わたしは花凛の姿を探した。
まもなく、花凛を見つけた。
しかし花凛は、1人ではなかった。背の高い、大人の女性と2人で連れ立って歩いてくる。
とても楽しそうに話している。仲がよさそうだ。
2人は改札を抜け、わたしを見つけた花凛は大きく手を振った。
女性は屈託なく微笑んで、わたしに会釈した。
わたしは、彼女を知っている。名前も知っている。その姿は、スマホなどの小さな画像でしか見たことがなかったけど。
誠順の、奥さんだ。
「ママ」
弾けるような笑顔でわたしに駆けよって、花凛は彼女を手のひらで指し示した。
「こちら、ユキさん」
「はじめまして。ユキです」
「ユキさん」はお辞儀をした。さっぱりと朗らかな笑顔だ。低めだがよく響く声が、心地いい。
「はじめまして。花凛の母です。華です」
わたしもできるだけ丁寧に頭を下げ、花凛がいつもお世話になってます、と付け加えた。
「ユキさん、仕事とちょっとプライベートで、東京に来たの。せっかくだから一緒に新幹線乗ってこようってことになって」
花凛がニコニコと説明した。
「1泊だけで、仕事の用事と、いくつか人に会う用事があって。ちょっとバタバタなんです。東京は暑いですね」
ユキさんも、心地いい声でにこやかに説明した。
老舗ホテルの若女将としては当然の、感じの良さだった。でもわたしは彼女の笑顔になぜか、それ以上の親しみがこもっているように感じた。
「暑いですよ、本当に。熱中症には、くれぐれもお気をつけて」
わたしもありふれた受け答えに、自然と親しみがこもるのを感じた。
じゃあ、約束の時間が近いので失礼します、すみません慌ただしくて、とユキさんはわたしにまたお辞儀をした。花凛には胸の前で手を振って、またね、と笑顔で言った。
そして去り際いちだんと親しみのこもった顔で、もう一度わたしを見た。
「本当に、そっくりなんですね」
ユキさんは手を振って、あっという間に立ち去った。
「ママは私とそっくりだからすぐにわかるよ、って話してたの」
花凛は笑ってわたしに説明した。
「私とユキさんは、長いつきあいなの」
急にそんなことを、花凛は言った。
「私がはじめて四季乃井に行ったころから、ユキさんはいたんだもの」
花凛は今まで、ユキさんの話をわたしにしたことはほとんどなかった。なぜ今こうして、会わせたりしたんだろう。
わたしたちは、東京駅にある、花凛ご所望のレストランに入った。
「ソウヨウに泊まったの」
花凛は、うれしそうに報告した。以前話していた新館だ。オープンからしばらく時間は経っていたが、今回客室の予約に余裕がありようやく泊まれたのだという。
「シオリとばあばと一緒にね。朝はちゃんと、清掃の方と一緒にお掃除したよ」
ソウヨウ、見る? と花凛はスマホを取り出した。いろいろ写真は撮ったけど、公式動画の方がきれいでわかりやすいなあ、と手早くスマホを操作して、動画サイトの四季乃井のページを出し、わたしに見せた。
動画は、2年前の日付だった。
「ホテル四季乃井 新館・蒼洋オープン!若女将がご案内します」
とタイトルがついている。
冒頭からユキさんが、施設をあちこち回って紹介する。
想像したより、ずっとモダンな建物だ。
「かっこいいね。もっと、和風なの想像していた」
わたしが感想をもらすと、花凛は得意そうに言った。
「四季乃井の本館は、和風な感じなの。でも蒼洋はちがうんだよ」
ユキさんはモダンなホテルに合わせてか、着物姿ではない。白いシャツにシンプルなパンツスタイルで、颯爽と館内を歩き回っている。
2年前。
ユキさんは、「複筒」だったのか。
そしてユキさんは、最上階の客室を案内した。
「客室は、全室オーシャンビューです。こちらは最上階ですが、どの階、どの客室からも海をご覧いただけます」
客室の窓からは、キラキラと晴天に照らされた海面。
蒼洋。
ここにも、蒼い海だ。
「本館は、じいじとばあばがメインでやってるの。だから蒼洋はね、パパとユキさんのやりたいことがいっぱいつまってるんだよ。2人とも忙しいけど、楽しそう」
花凛は、動画をじっと見つめるわたしに、そんな風に教えた。
「パパとユキさんはね、仕事の相棒っていうかバディっていうか、そんな感じ。いいコンビなんだよ。2人ともやりたいことが共通だからだよね」
わたしは、頷いた。
素敵な人だったね、ユキさん。思わずそうつぶやくと、花凛も大きく頷いた。
「ユキさんは、いい人だよ。すっごく、いい人」
花凛の人を見る目は、たしかだ。
動画が終わってもわたしは、スマホの画面を見つめつづけていた。
「飲んだら?」
手をつけられず水滴だらけになったアイスティーを花凛にすすめられ、わたしは慌ててひとくち飲んだ。
食事が運ばれてきた。
食べながら花凛は、ねえ、と言いにくそうに切り出した。
「ママって、つきあってる人いないの?」
いないよ。わたしは驚いて答えた。花凛はフォークを置いてわたしを見つめ、つづけた。
「ママ、誰かとつきあったっていいんだよ。結婚とか言われると、ちょっと考えちゃうけど……でもママ、まだ若いしさ。見た目も。全然いけると思うよ」
思わず、笑みがこぼれた。花凛が、こんなことを言うようになったのだ。
うれしさや、くすぐったい気持ちや解放感や、寂しさや切ない気持ちや、いろいろなものが一気に押し寄せる。
それらを全部抑えてわたしは、笑い飛ばすように言った。
「ママのことはいいんだよ」
「花凛こそ、つきあってる人いないの」
「いないよ」
顔が、赤くなっている。
まだまだ可愛らしいその頬を、わたしは軽くつねった。
「花凛に彼氏ができたら考えるよ」
そうだ、とわたしは思いついて、花凛に言った。
「花凛、今度mer bleueにおいで。まだ複筒……じゃないや、パンツ系の服をあまり持ってないじゃない。パンツ系もスカートもワンピースも、花凛くらいの子が着られる服、たくさんあるんだよ。いろいろ着せてあげるから、おいで。いきなりデートってことになっても、困らないようにね」
花凛はわたしを見て、楽しそうに笑った。
「ママはいつも、店と服のことばかりなんだから」
おわり
