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この世はすべて幻(フィクション)? 【読書感想】しんめいP「自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学」

文章を書くのが好きで、どんな思いも感覚も、片っ端からつかまえて言葉にしたいといつも思っている。
「自分」のフィルターを通して言葉をつむぐと、見える世界を伝えられる気がする。それくらい「自分」と「言葉」を信じている。

そんな私にとって「自分とか、ないから」というタイトルは衝撃的で、思わずこの本を手に取ってしまった。
自分という存在があって、周りと言葉を介してふれあう。そんな今まで信じてきたことが、根幹からゆるがされそうな。

この本は、インド~中国~日本と渡り発展してきた東洋哲学(仏教)をわかりやすく解説している。

著者はさまざまな経歴を持ち、芸人を目指していたこともあるという。
内容はさすが、読みやすくてずっと笑える。「東洋哲学の何たるかを学ぶぞ!」なんて肩に力を入れて読まなければ、あっという間に読み終えてしまう。


紹介された8人の哲学者の教えの中で、私が最も心に残ったのは龍樹りゅうじゅの「くう」の教えだった。

「空」とは「この世はすべて幻、フィクション」「言葉の魔法が生み出した幻」という考え方。

この世のすべては、ただ心のみであって、
あたかも幻のすがたのように存在している。

『大乗についての二十詩句篇』18

本文より引用

会社、建物、街、国境線……
それらは「社会のみんなで、『ある』ってことにしてる」、そういう設定のもとに存在する幻(フィクション)だという。たとえばディズニーランドや、そのキャラクター達のように。

家族も、そう。
例えば、結婚して家族になる場合。
ある日突然他人(配偶者の両親)が父、母になる。配偶者だって、元々は他人。それを、妻(夫)、父、母、と呼び家族となる。

「『家族』は、他人どうしが『家族』として演技することで、『家族』になっている」という。

著者は離婚を経験している。

結婚してはじめてしった世界の秘密。「家族」、めっちゃフィクションやん。
衝撃だった。
そして、衝撃のあまり、うまく「家族」を演じられず、離婚した。
そしたら「妻」「父」「母」が、きえた。びっくりだ。

本文より引用

なんとなく、頭ではわかる。
でも、心からは納得できない。私はその「フィクション」の世界になじみきっているのかも。

その「あるってことにしてる設定」というものが、言葉で約束されたさまざまな人や社会とのつながりが、すべて幻、フィクションなのだとしたら。
何を信じたらいいのだろう。どう考えたらいいのだろう。

幻だから、フィクションだから、心の寄りどころにはするな?
言葉をつくして幻をつくりあげるのは、むなしいこと?

この世界の全ては「空」なのだとして。それをどうとらえたらいいのだろう。
説明してほしい、言葉で。と私は思ってしまう。


しかし空とは、言葉にできないものらしい。
著者は例えば「卒業式の教室」に「空」を感じるという。

 今日で「学校」というフィクションが消滅する。
「生徒」も「生徒」じゃなくなって、「先生」も「先生」じゃなくなる。「自分」がなにものでもなくなる。
(中略)
 人も、モノも、みんなが意味から解放されて、なにものでもなくなったときの、この感じ。
 けっして「虚無」ではない。
 すがすがしくて、キラキラしてて透明なかんじ。

本文より引用

決して虚無ではない、すがすがしくて透明な感じ――

この部分を読んで私は、あっと思った。あることを思い出した。
いきなり重い話になるが、時間が経っていることなので、気にせず聞いてほしい。


数か月前、父を亡くした。
10年以上の長い闘病の末だった。終わりの数年間は、食べることも話すこともほとんどできない寝たきりの状態だった。

父は火葬され、お骨になって私たち家族の前に現れた。身内を亡くすと、誰もが見る光景だ。
しかしそれを見た瞬間私は、とうてい言葉にできないような感覚におそわれた。

もちろん、悲しい、寂しい。
一方、数年におよぶ24時間の在宅介護から解放された母を思い、ほっとした気持ちもある。

でもそれらとも全く違う、何か圧倒されるような感じ。


頭の中で何度か、言葉にしようと試みた。

人間、最期はこうなっちゃうんだ。
――ちがう。

最期はこうなるんだ。どんな風に生きても皆。
――ちょっとちがう。

有機物が、無機物になった。
――何を言っているんだろう。でも、近い。

最期は皆、こうなれるんだ。どんなに苦しくても。
――ちょっと近い。

人生、こうなるまでの勝負なんだな。思い切り生きよう。
――ちょっと近い、違うけど。


いろいろな言葉が思い浮かぶけど、どれもこの感覚を正確に言い当ててはくれない。


もちろん、身内のお葬式ははじめてではない。離れて暮らす祖父母や、義父や、親戚。
でも、身近でずっとその「生」を見てきた父のその姿は、やはり特別だった。

子どもの頃はいつも、厳しくしかられた。お互いの性格なのか、温かい言葉をかけ合うこともあまりない、どこかぎこちない父子関係だった。でも多分不器用に私を愛してくれたと、今ではわかる。
病に倒れた後はその「生」を、すべて人にゆだねるしかなかった。
いろいろな父を覚えている。
全てが静かにただ、無機的な骨になった。

あれが「空」だった。そして、言葉にできなくて当然だったんだ。


私は言葉の魔法でつくりあげた世界を、もしかしたら「幻」「フィクション」なのかもしれない世界を、これからも大事に生きていく。

でも、世界はそれだけじゃないとわかった。
なんでも言葉にしたくて、そうでないと世界を理解できないと思っていたけど、違った。
圧倒的ですがすがしい、決してあらがえない「空」の世界を、そういうものへの畏怖を忘れずにいたい。


すごくふりきって書かれた、くだけた本だったけど、この本でなければ私は「空」の世界にはふれられなかった。こういうものは、深い理解と勇気がないと書けないと思う。

言葉にならない世界を教えてくれた父とこの本に、ありがとうを言いたい。


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