読書感想「あのころ、ひみつきちで」#文学フリマで買った本
文学フリマ東京41(2025.11.23開催)で購入した本のレビューを掲載します
あのころ、ひみつきちで
著者 ウミネコ制作委員会
執筆者(掲載順、敬称略)
日々図案室/たつきち/Marmalade/ねじり/一返舎十九/mocmoc/geek/さわきゆり/カルフォニ村/ジェーン/mkt/穂音いづみ/さくらゆき/月山六太/まいたけ/ゼロの紙/つる・るるる/とき子/いぬいゆうた/豆千

様々な方面で創作活動を行うクリエイターの皆さんが「創作の原点」について語るエッセイ集。
創作活動には、どうにも「恥」がつきまといます。
「こんなもの作って変だと思われないか」
「下手でバカにされないか」
定期的にふと訪れる
「自分何やってるんだろう」
「こんなことしてて何になる」
という、内なるひんやりとした声。
そんな無意識の壁に阻まれ、多くの人が結局は創作をやめる。もしくは最初からしない。
しかし中には、壁なんてある? とばかりに自由なクリエイターもいて、そのエピソードは爽快です。うじうじした気持ちもふっ飛びます。
この本には執筆陣の子ども時代の、そんなエピソードがあふれています。
悪ノリのような小冊子、好きな音楽のライナーノーツのパロディを作って楽しんだ思い出。
特撮キャラクターにはまり、カセットなどのアナログ手段を駆使して二次創作にのめり込んだ思い出。
自作の漫画がクラスで評判を呼び、勉強そっちのけで制作に大わらわになった思い出。
絵もテキストもすべて手書きで、ファッション誌を編纂した思い出。
どれも、著者の自由さと共に周りの人たちの温かさが心に残りました。
マンガを楽しみに読む同級生がいて、
ファッション誌を楽しみに待ってくれる先生がいて、
推しの二次創作を静かに温かく見守る親がいて、
小冊子やライナーノーツは、そのセンスを一緒に笑いながら楽しむ友人たちがいて。
一方で、子どもらしくのびのびと書いた詩を大人の方法論で否定されて、創作心がしぼんだなんてエピソードもあり。
私も中学の頃、自作の小説や好きなアーティストのライナーノーツを友達に読んで楽しんでもらって、それが今でも温かく心に残っています。
今の創作活動に直接関係あるかはわからないけど、もしそこで思いをくじかれるようなことがあったら……と思いますね。
奔放なる小さなクリエイターと、それをつぶさなかった周りの人たち。
簡単なようで、むずかしいことです。
さて、この本を手に取ったきっかけは、noteでフォローしている「カルフォニ村」さんが寄稿していると聞いたからなのですが。
カルフォニ村さんがエッセイですって! と。
怖いのに決して目が離せない、実写化不可能の精巧な絵画のような小説を生み出すカルフォニ村さん。
そんな彼のエッセイは、小説とちょっと雰囲気が違いました。実写化できそう!(←希少)
幼少時の苦い家族のエピソード、小学校時代のある事件を経ての思春期。
半分鮮烈で半分寂しくざらついた、単館系邦画のような味わいがありました。
ヘヴィメタルは嫌われるための音楽だ。だれかのとっての自傷行為や依存症や暴走族が、ぼくにとってはヘヴィメタルだった。ただ、奏でる音が異なるだけで――と最近まで思っていたのだが、怒りも苦しみもない。自分さえ必要ない。ひたすらに騒がしい重低音に呑みこまれていく自己の喪失が心地よかっただけかもしれない。自分がいない世界を想像するのは気が楽だ。
ヘヴィメタルに傾倒したカルフォニ村少年の心境。
しびれるなー。
カルフォニ村さん、今度はこういうテイストの小説どうですか!?
