〈小説〉スカートとズボンの話 #37
2023年
何かが崩れ去るときは、こんなにもあっという間なのか。
この年の春、イギリスのテレビ局DDCが突如「奪われたドレス 見放された日本人女性たちの30年」という番組を放送した。
「女性下衣選択法」に翻弄された日本人女性たちの悲痛な声、告発を取り上げ、日本における女性差別、人権侵害を厳しく糾弾するものだった。
日本の大手マスコミは当初、そろってこれを無視した。
しかし番組が取り上げた告発者のうち2人が「日本外国特派員協会」という場で記者会見を開いたころから、取り上げざるを得なくなった。
彼女たちの悲痛な声は全国の共感を呼び、抑えられていた下衣選択法への不満は噴出した。
これらの場に、当初の記者会見の段階から同席していたのは、サトウアサミだった。
圧倒的な世論を後押しに下衣選択法撤廃の法案は提出され、可決された。
わずか、3ヶ月ほどの出来事だった。
「歴史が動いたよね」
花凛が定休日のmer bleueで、テレビの情報番組を食い入るように見つめている。
mer bleueのバックヤードにはテレビが置いてある。花凛が幼いころ、店に遊びに来たときのために買ったものだ。
「念願がかなったわけだねえ、サトウアサミの」
耀子さんも作業の手を止め、一緒に観ている。
「正直、民民党政権のときに、やるチャンスいくらでもあっただろって思うけどね」
花凛が、そうなの? と怪訝な様子で聞く。わたしは黙って苦笑した。
「でもさあ、彼女も策士になったよね」
耀子さんは、アッシュグレーに染めたショートヘアをいじりながら言った。
「国内でワーワー言うより、外国からガツンと批判されるほうがよっぽど効くって踏んで、DDCに売り込んだわけじゃん。案の定てきめんでさ。賢くなったよ」
花凛は、憧れのサトウアサミへの辛口評に驚いた顔をしている。それを見て耀子さんは言った。
「いやでもね、すごいよ。サトウさんは、まだ花凛くらいの歳で決心したことを、何十年もかけてやり遂げたんだもの。誰にでもできることじゃないよ」
花凛は目を輝かせて、うん、すごいよね、と言った。
「耀子さん、すごくいろいろと詳しいんだね」
「最近、仕事しないでワイドショーばっか観てるからねえ」
すまして言う耀子さんにわたしは、またそんな、と笑った。
mer bleueには、新しい変化が訪れていた。
新進のフランス人デザイナー、アリス・メルシエの製品が日本で唯一販売できる店となり、注目を集めていたのだ。彼女こそ、耀子さんの娘のアリスさんだった。
服飾業界はいまや廉価なカジュアルブランド全盛で、昔のように若い女性のみをターゲットにするのは、厳しい状況だった。
mer bleueは、若い頃から親しんでくれたミドル世代の女性をターゲットに据えた。アリスさんの製品の訴求力は抜群で、これからのmer bleueの原動力になってくれる、心強い存在だ。
「アリス・メルシエの母が何言ってるのよ」
「アリス・メルシエの母は、ワイドショー観ながらミシン踏んでるババアだよ」
耀子さんは笑って作業を再開した。だいたい、育ててくれたのはレオ達だしね、とひとり言のように言う。
情報番組では告発者の女性の、涙ながらの会見を映している。下衣選択法に抗議した母親が日本を去り、生き別れになったのだという。
「アリスも、寂しかったのかなあ」
耀子さんは、ぽつりとつぶやいた。
外で、話し声が聞こえた。お休みなのかしら、などと話している。わたしは、ちょっと見てくる、と入口まで出向いて扉を開けた。
そこにいたのは、サトウアサミだった。
道路には白い電気自動車が停まっており、傍らにスタッフらしき男性がリラックスした様子で立っている。
「あっ! mer bleueさん!!」
サトウアサミは、芝居がかっているほどの大きな声を出し笑顔を見せた。そして呆気に取られているわたしの手を取り、強引に握手をした。
「いつぞやかは、大変ご無礼をいたしました。おかげさまで、下衣選択法の撤廃をやり遂げました。これもmer bleueさんはじめ、ご支援くださった皆様のおかげでございます」
いえわたしは何も、本当におめでとうございます。なんと言ったらいいかわからず、わたしはモゴモゴと答えた。
聞いているのかいないのかサトウアサミは、今日はスカートを穿いてまいりました、なかなか落ち着かないものですね。いかがでしょうか、と自分の着ているスカートを示した。白いジャケットとセットアップのひざ下丈タイトスカートは、そう悪くなかった。
「とても素敵ですよ」
「ありがとうございます!」
サトウアサミは、再び握手を求めてきた。
「mer bleueさん、これからも女性が元気になる服を作ってくださいね」
そして、お写真よろしいですか? と尋ね、了承するやいなや男性スタッフに、わたしと握手したまま写真を撮らせた。そして矢継ぎ早に、SNSがどうとかいくつか確認をし、呆気に取られたまま適当に答えるわたしに早口で挨拶して、慌ただしく車に乗り込み去っていった。
後ろを振り向くと、耀子さんと花凛が様子をうかがっていた。
さすが抜かりないよね、と耀子さんはニヤニヤ笑っていた。
「きっと衆議院解散するんだよ。もうすぐ」
わたしは、思わず吹き出した。
耀子さんの隣では花凛が、ママすごい、サトウさんと知り合いだったの、と驚きと尊敬のまなざしで見つめている。
わたしと握手した画像は、1時間も経たないうちにサトウアサミのSNSに掲載された。
「吉祥寺のアパレルショップ・mer bleueの店長さん。
やり方は違えど、共に下衣選択法と向き合い、戦ってきた同志!
これからも、女性を元気にする服を作ってください!!」
とキャプションがついている。わたしは少々ひきつった顔で、サトウアサミと握手して画像におさまっていた。
この投稿の効果は絶大で、わたしはあちこちから連絡をもらった。
サヤカも、メッセージアプリで連絡をくれた。
「華ちゃん、サトウアサミのSNSに出てたよね!? びっくりなんだけど。つながりあったんだ?」
「うん。つながりっていうか因縁っていうか、いろいろね😂」
「そうなんだー! さすがはmer bleueの店長だわ✨顔広いね~
あっそういえば、下衣選択法なくなったよね! 今度会うとき、ミニスカはいてきてよ。華ちゃんの美脚を拝みたいの💕」
「やめて。断る😂 まじで需要ゼロだから。。」
「需要はここにあるじゃないか💋」
「😂
あっでも、ロングワンピは買うよ~ サヤカに会うとき着ていこうかな😆」
「着てきて~! わたしも、ワイドパンツとかはいてみたい」
「いいねー。似合うよ絶対✨」
「ありがとー!
あ、そういえばね、、
サトウアサミのSNSにいいねしたからかな、いろいろ見なれないアカウントがおすすめで出てくるんだよね。
その中に気になるのがあってね……
ちょっと見てみて!」
サヤカが教えてくれたのは「blueocean_yoshir」というSNSアカウントだった。
夜自宅でわたしはSNSを開き「blueocean_yoshir」アカウントを見た。
プロフィールは、美しい海の画像だ。
「沖縄の離島にあるshot bar『Blue Ocean』です。海がテーマのcoolなカクテルを片手に、観光客と地元民が気軽に集う店。観光や昼間のアクティビティのご相談もどうぞ。人生相談もどうぞ」
と書かれている。
固定の画像の、1枚目は海。わたしはタップしてみた。
美しい海の画像とともに、こんなキャプションが添えられていた。
店名「Blue Ocean」について、ちょっとだけ。
「Blue Ocean」には、競争相手が少なく活躍できる場、という意味もありますね。転じて、いろいろなことを気にせずのびのび過ごせる場所、自分らしく思いきり翔べる場所、そんな意味を、この店名に込めてます。
店長は、東京出身です。20年ほど前、仕事や人生に行き詰まって、この島に流れ着きました^^
この島に、海の蒼さに、本当に本当に救われたんですね。
自分にとって「Blue Ocean」は、この島そのものです。
そういう場所さえあれば、人は楽しく生きていけるのかな、と思います。
皆さんひとりひとり、それぞれに「Blue Ocean」はあります。今は見つからなくても、必ずどこかにあるはずです。
それが見つかるまで、どうぞ何度でもこの島に、この店に、癒されに来てください。
お待ちしてます!
2枚目の画像は、美しいマリンブルーのカクテル。
そして3枚目は、アクティビティを楽しむ男性と少年の画像だった。
拡大して見ると男性は、昔つきあっていたヨシカワだった。
かなり日焼けをし、年相応に皺は刻まれているが、まちがいなく彼だった。
傍らの少年は、高校時代のヨシカワに少し似ていた。花凜と同じくらいか、少し歳下に見える。ヨシカワの息子なのだろうか。
わたしは海の画像とヨシカワの画像を、何度も開いて眺めた。そしてヨシカワの「Blue Ocean」の話を、何度も何度も読んだ。
Blue Ocean。
蒼い海。
自分らしく、思いきり翔べる場所。
わたしは翌日、耀子さんにこれを見せた。
「元カレ、いいこと言うじゃん」
耀子さんは、わたしの肩をたたいた。
「元気そうだね。幸せそうだし。よかったね」
わたしは、大きく頷いた。
「誰にでもBLUE OCEANが、蒼い海があるっていうこの話がね、やたら心に響いちゃって。なんでだろ。これ見てから、ずっとなの」
「mer bleueも、蒼い海って意味だもんね」
耀子さんは、さらっと言った。
「そうなの!?」
わたしは驚いた。
「知らなかったの?」
信じられない、普通調べるじゃん。耀子さんは、呆れた顔で笑った。
その通りだった。
「どうして、蒼い海、なんて名前にしたの?」
耀子さんは、さあ、と首をかしげた。
「レオがつけたんだよ。なんでかはわからないな。海はいいよ、人の心をきれいにするよ、なんて言ってた」
mer bleue。
蒼い海。
自分らしく、思いきり翔べる場所。
今はじめて知ったような、でも最初からわかっていたような。
不思議な気持ちだった。
つづく
(次回、最終回です😊)
