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〈小説〉スカートとズボンの話 #32

 19時を過ぎ、わたしはまだ装美監理庁のオフィスにいた。

 パーティションに区切られた会議スペースの中から、カミジョウ補佐が手招きした。
「華さん、資料作り疲れたろう。美味しいコーヒーがあるから飲んで行きなさい」

 共用スペースなのにそこにはなぜか、カミジョウ補佐専用のドリップセットがあった。益子焼のようなカップに、補佐はコーヒーを淹れてくれた。

 わたしは会議スペースの椅子に腰かけて、コーヒーを味わった。甘くて、ため息の出るようなようないい香りだ。
「すごく、美味しいです」
 カミジョウ補佐は、にっこりと頷いた。

 わたしは、この前ランチのとき聞いた話がとても気になっていた。今なら、聞いてみてもいいだろうか。恐る恐る切り出してみた。

「実は、この前から聞きたいことがあったんですけど」

「おお、なんだい」

 わたしは、声をひそめて聞いた。
「この装美庁に『反社』事案があるって、おっしゃいましたよね。どんなものなんですか?」

 カミジョウ補佐は、笑ってコーヒーポットを置いた。
「そんなことが知りたいのかい。いいよ、説明しよう」

 すると、パーティションをドアのようにノックする音がした。
「補佐、またサボってるんですか。俺にもコーヒーご馳走してくださいよ」 
 入ってきたのは、誠順だった。片手に自分のマグカップを持っている。

「おお誠順くん。ちょうどよかった。華さんに、うちの『反社』事案について聞かれてね」

「そんなこと知りたいの?  さすがだな」
 誠順は、楽しそうにわたしを見た。
 そういえばあの公園で、普通の洋服屋の姉ちゃんじゃない、なんて言われていたのだった。斜め前に座った彼の姿に、わたしは心臓がどきどきと鳴った。

「ほとんどが、ウェディング案件ですよね」
誠順にそう水を向けられ、カミジョウ補佐は頷いた。
「そう、ウェディング業者が複筒の顧客のために、偽造された『単筒証明書』を用意してお金を取って、それが奴らに流れる」

 単筒・複筒の別は、専用の証明書に記載される。運転免許証と同じ、公的証明書だ。洋服を買う度に提示が義務づけられているわけではないが、求められる場合もある。アルコールを買うときのようなものだ。

 中でも、結婚式でウエディングドレスを購入したりレンタルするときは、必ず提示が求められる。

「ウエディングドレスを着たい複筒の女性や、親御さんの心理につけこむってわけだ。つくづく、罪作りな法律だよ」
カミジョウ補佐はため息をついた。

「まさかっていうような有名な業者が、やってるんですよねえ。結局、それだけ需要があるってことなんですかね」

 ウエディングドレスを着たいだなんて、わたしは1度も思ったことがない。でも、両親はどうなんだろうか。14歳で複筒を選んだときの母の取り乱しぶりを思い出して、わたしは胸が痛んだ。今になってはじめてそんなことを考えるなんて、わたしはなんて親不孝な人間だろう。


 そもそもどうして、とわたしはつぶやいた。
「どうして、下衣選択法ができたんでしょうか…… すみません、質問ばっかりで。お話できないようなことだったらいいんです」

 インターネットの掲示板では、下衣選択法についておどろおどろしい陰謀論のようなものが、まことしやかに語られていた。
 真実は何なのだろうか。これまでこの法律に対して特別な興味はなかったわたしも、せっかく本丸ともいえる場所に来たのだから、ぜひ聞いてみたいのが本音だった。

 カミジョウ補佐は、うむ、と頷いてコーヒーを一口飲んだ。
「案外、つまらないことなんだよ。一言で言うと、バブル時代の負の遺産だね」

 バブル時代の? 訝しむわたしに、補佐はつづけた。
「バブル時代はとにかく皆お金があって、元気な女性たちも多かったろう? 派手な格好をしてディスコに通って、男たちをあごで使うような女性もいた。それを本気で心配したセンセイ方がいたんだな。このままだと、結婚し、子を産み育て、家族に尽くすような保守的な女性が減る一方だ。もっとそういう自覚を促すことはできないんだろうか、と」

 誠順が傍らで、うんうんと頷いている。

「かと言って、女性の社会進出を阻むのも、建前上良くない。男女雇用機会均等法が施行されたばかりだったからね。では、役割を分けてはどうだろうと。将来的に、家庭に入り家族に尽くしたい人。そして、外で働き、活躍したい人。それぞれ心に思ってはいるだろうけど、外からそれがわからないとどうにも不便だ。そこで考えたんだな。前者なら、スカートを穿くだろう。後者なら、ズボンを穿くだろうと。そうして意思表示してくれれば、非常にわかりやすくて好都合だと」

 わたしは、唖然とした。

「アホだよね。アホすぎるよ。ほんっとに」
誠順が苦笑しながら、わたしに言った。
「俺もはじめて聞いたとき、愕然としたよ。本気でそんなこと考えていたのかって。ネットで言われているような陰謀論はちがうだろうって、思ってたけど。でもまさか、こんなクソくだらないことだったとはね」

「酒の席の与太話からはじまった、なんて説もあるよ。さすがにそれはないと思いたいがね。いずれにせよ、実に浅はかな話だ」
カミジョウ補佐はそう言って、首を振った。

 しかしね、と補佐は言った。
「結果として、複筒の女性たちが思惑通りというか、非常に元気に活躍しているんじゃないかと思うんだよ。自由で、これまでにないスケールで。サトウアサミ女史なんて、最たるものさ」
 そしてわたしの方を向いて、持ったコーヒーカップを掲げてみせた。
「華さんだって、そうだよ。大胆な発想で行動をして、その結果ここにいる」

「えっ」
 わたしは戸惑って、カミジョウ補佐と誠順に交互に視線を送った。2人とも、笑って頷いている。

 わたしには、そんなつもりはないのだ。ただ目の前のことに夢中で、思うままにやってきただけだ。それに、家庭を持たずに仕事に邁進しようなんて、そんな決意をした覚えもない。

 モヤモヤしたものを抱えながら、しかし口に出しかねていると、カミジョウ補佐は、ふいに話題を変えた。
「誠順くんは、ご実家に帰ってこいとは言われないのかい」

 誠順は、苦笑いをした。
「帰省のたびに言われますよ。お前いつまで東京で『マルサ』の真似ごとやってるんだ、早く帰ってきて家業継げって」

「家業に関係ないもんねえ、この仕事」

「就職難でしたからね」

 でもね、と一口飲んだマグカップを置いて、誠順はため息まじりに言った。
「耳が痛くもあるんですよ。さっきの、単筒の女性に、家族に尽くすことを期待するって話」

 そして、急にわたしのほうを向いて聞いた。
「華さんは、何か夢とか、これからやりたい仕事とかある?」

 えっ。わたしは、一瞬言葉につまったが、すぐに答えた。

「わたしは、ずっと今のお店を、mer bleueをつづけていきたいです。耀子さんオーナーと一緒に、ずっと」
 本当に、そうだった。わたしには、それ以上の夢なんてないのだった。

 誠順はわたしの言葉に頷いた。
「そうだよね。女性だって皆そんな風に、自分の夢ややりたいことがあって当然なんだ。でもうちに来てくれる人は」

 「うちに来てくれる人」というのが自分の結婚相手を指すのだ、ということはすぐにわかった。

「うちの仕事を、『やりたいこと』にしてもらわないといけない。母親も、そうだった。母親が他に何かやりたいことがあったんだろうかなんて、考えたこともなかったけど……」

「お見合いとか、準備しているんじゃないかね。親御さんも」
カミジョウ補佐が、穏やかに言った。

「そうかもしれませんね。そんな話は今のところないけど」
 それはそれで、と誠順はマグカップを両手にはさんで、半分残ったコーヒーに目を落とした。
「うちの仕事をやりたいと思って来てくれるんだったら、それが縁があるってことなのかもしれませんね。逆にどんなに好きな女でも、夢とか、やりたいことがちがうんだったら、それは縁がないってことなんですよね」

 カミジョウ補佐が、ふむ、と小さくうなった。

 誠順はぱっと顔をあげ、慌てて立ち上がった。
「何話してるんですかね俺。しゃべり過ぎました。仕事に戻りますよ」

 誠順はマグカップを持って、さっさと会議スペースを後にした。


 わたしとこの人は別々の夢を持っていて、この人は同じ夢を持ってくれる人を探している。

 ゆっくりと何度も自分に言い聞かせるように、わたしは心の中でそう唱えた。

 

 女性下衣選択法の、ガイドラインが完成した。
 わたしが協力して作成したいわゆる「叩き台」が、正式な策定委員会で審議・承認され、完成となった。あとは公布を待つばかりだ。

 わたしは結局2か月ほど、装美監理庁に通った。
 最終日には、オオシマさんが可愛らしい箱に入ったマカロンを手渡してくれた。
 わたしはmer bleueの商品のポーチを、彼女にプレゼントした。

 明るくて一生懸命な、いい子だった。こういう女性が楽しく着られるような服をこれからも提供していくんだ、とわたしは思った。彼女のように、オフィスで日々頑張っている女性に会えて、本当によかった。

 担当課の皆さんやカミジョウ補佐とも思ったよりずっと仲良くなれ、離れるのが寂しかった。
 そして誠順には、それ以上の感情を持ってしまっていた。でもそれをどうすることもできないまま、最終日になった。

 最終日、彼はいなかった。いつものように外回りをしていたのだ。

「それは、縁がないってこと」
 彼の言葉を真似てわたしは、自分の心にそう言い聞かせたのだ。


つづく

第1回はこちら

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