〈小説〉スカートとズボンの話 #31
公園で依頼を受けてから2週間後、わたしは、霞が関の装美監理庁に通いはじめた。
mer bleueの定休日を利用しながら週に2,3日出勤し、ガイドラインの叩き台が完成するまで協力することになったのだ。
「華さん、一緒にランチ行きましょう」
声をかけてきたのは、オオシマさんだ。ごく平凡な名字のわたしは、早々に「華さん」と呼ばれるようになった。
「オオシマさん、さっきはありがとうございます」
彼女はつい先ほど、わたしの作った資料をコピーしてくれたのだ。大量の資料はきれいにステープル留めされ、あっという間に仕上がっていた。
「いやだー、お礼なんていいんですよ。あれが仕事なんですからあ」
膝丈スカートにパステルカラーのツインニットのオオシマさんは、可愛らしく返事した。リアル「カニちゃんOL」だ。洋服の仕事をしているのに、こうやってリアルなオフィスコーデを見る機会は、なかなかない。
「ランチ、カミジョウ補佐も一緒なんですけどいいですか?」
オオシマさんは、少し声をひそめてわたしに言った。おじさんなんですけどね。でも紳士だし、優しい人なんですよ。おごってもらいましょ。
ほどなく、そのカミジョウ課長補佐が合流した。ずんぐりとして目が優しい、鷹揚な雰囲気の人だ。わたしたちはオフィスを出て道路を渡り、別のビルの中の蕎麦屋に入った。
「mer bleueの店長さんとお仕事できるなんて、うれしくて。友達に自慢しちゃう」
とオオシマさんは、顔の前で両手を合わせた。
「有名店のハウス・マヌカンさんを引っ張ってくるなんてなあ。さすがは誠順くんだよ」
低くよく響く声の、カミジョウ補佐が言う。オオシマさんは、なんですかあハウス・マヌカンって、と口をとがらせた。
「ははは、今はハウス・マヌカンって言わないのかい。ブティックのお姉さんのことだよ」
わたしは、その節は大変お騒がせしました、と頭を下げた。
「いやいや、気にすることはないさ。でも誠順くんに、口説き落とされて来たんだろう。何しろやり手だからな」
口説き落とす、なんて響きに少しだけドキッとしながらわたしは、そうですねえ、と笑って答えた。
「そんなにやり手なんですか、彼は」
そうだねえ、とカミジョウ補佐は少しだけ声をひそめた。
「うちはこう見えても、ときどき『反社』事案があるからね。そういうのでも、彼はいい働きをしてくれるよ」
下衣選択法に、反社会的勢力が絡んでくることがあるのか。いったいどんな風にだろう。わたしは興味津々だったが、こんなところで詳しく聞くこともできないだろうから、黙って頷いていた。
めいめいに注文した蕎麦がきて、わたしたちはしばし、蕎麦をすすった。2週間前は、こんなところで蕎麦をすすっている自分など想像できなかった。東京には、わたしの知らない場所がまだまだあるのだ。
「誠順さん、東北の老舗旅館の御曹司なんですよ。だからゆくゆくは帰って、後を継ぐんですって」
オオシマさんが言った。
わたしは、へえー、とうなった。「反社」事案の次は、老舗旅館。頭がごちゃごちゃだ。
「惜しいよねえ。できるだけ、ここに長くいてほしいけどね。あの年代はただでさえ少ないんだから」
「私だって、今年で終わりですもん。次探さないと」
オオシマさんが言った。彼女は臨時職員で、今年度限りの契約だそうだ。今はどこもかしこも、非正規職員なしでは成り立たないのだ。
蕎麦屋を出てカミジョウ補佐と別れ、2人でコンビニに立ち寄っているときに、オオシマさんが言った。
「私ね、誠順さん狙ってたんですよ」
そうなんだ、と目を見開いたわたしにオオシマさんは、だって、と両手で口を覆って照れながら言った。
「あんなヨレッとした感じなのに、お育ちの良さがにじみ出ちゃってるんですよ。ときどき急に『あなたは』とか、言いません? あの感じで言われるともう、キュンキュンしちゃいますよね!?」
「ちょっとよくわからないけど……」
低い声で「あなたは」と物まねをしながら話すオオシマさんに、わたしは笑って答えた。
そうか、あれはわたしにだけじゃなかったのか。わたしは少し、いや大いに残念な気持ちになった。
でもね、とオオシマさんはつづけた。
「あきらめました。だって結婚したら、老舗旅館の若女将ですよ。しかも東北の。私そんなの、絶対無理ですもん」
それで昔、彼女と別れたりもしたらしいですよお、とオオシマさんは言った。なかなかの情報通だ。わたしの頭の中でいろいろな情報がごちゃまぜになって、気持ちがざわついてきた。
わたしは午後から、オオシマさんに印刷してもらった資料で、大勢の職員にレクチャーをしなければならない。つとめて頭を切り替えた。
「まず規定すべきことはトップス、つまり上衣の丈です。上衣とワンピースを明確に分け、混乱を避けるためです。私が言うのも恐縮ですが……」
会議室は、軽い笑いに包まれた。わたしは資料の図を示し、上衣の丈の計測方法を説明した。
「あとは、どこまでが上衣でどこからがワンピースとするのかが問題です。これは提案ですが、平均的にヒップが隠れる丈を境界とすればいいのではないかと思います」
会議室には、誠順もいる。わたしの話を熱心に聞きながら、メモを取っている。
「ここからは、今後の流行を見据えた提案です。近い将来の予想ですが、単筒の人がスカートやワンピースの下に穿くタイツのような、レギンスというものがありまして……これと、複筒の人が穿くスリムなパンツとの違いが、曖昧になる可能性があります。例えば、ジーンズのデザインをした厚手のレギンスが、単筒用なのか複筒用なのか? そういった判断に困るものが出てくると思います」
会議室がざわついた。少しややこしい話をしてしまったかもしれない。
「これについては、布地の厚さを基準にすればよいかと思います。布地の厚さの単位、デニールやオンスなどというものがありますので、そういった基準で、単筒用・複筒用を区別するということです」
そんなものまで出てくるのかねえ、ややこしくてきりがねえなあ、ざわついた会議室から、そんな声が聞こえてきた。
「ちゃんと聞きましょうよ。貴重な見解ですよ。あらゆる可能性を考慮して策定するんだって、前回決定したじゃないですか」
誠順が、ざわつく面々に一喝した。
ぼやいていた人たちはばつの悪そうな顔をして、口をつぐんだ。
次の日は、mer bleueへ出勤した。
「ねえねえ、OL1日目の感想はどう?」
耀子さんが、好奇心たっぷりに質問してくる。
「楽しかったよ。けっこう皆いい人でね。カニちゃんOLみたいな子がいて、一緒にランチしたりとか、おじさん上司も一緒に来ていろいろお話したり」
完全にOLじゃん、と耀子さんは目を輝かせる。
「そうなの。会議で大勢の前で説明するのは緊張したけど。ややこしいとか、ブーブー文句言う人もいてね。でもこの前来た査察官の人がね、フォローしてくれたんだ」
「え、寺尾聰?」
「そうそう。いい人なの。頼れるんだよ」
わたしはできるだけさらっと、誠順の話をした。本当は彼のことで頭がいっぱいなことを、悟られないように。耀子さんは、ふうん、と頷きながら聞いていた。
その日の営業が終わった後、耀子さんは急にこんなことを言い出した。
「華、あたしはね、華のことほんとに信頼してるの」
「どうしたの、急に」
耀子さんは、別にどうってことではないけど、とつづけた。
「今回のチュニックワンピースのことだってね、少しは心配だったよ。でも華の判断にまかせれば大丈夫って。何かあるかもしれないけど、最終的にはプラマイで言ったら絶対プラスになるって、そう信じてたよ。結果そうなったよね。知名度が高まった上に、政府の覚えまでめでたくなって、ブランド力が高まりそうだし」
耀子さんが、そんな風に思ってくれていたなんて。わたしはうれしいのと、どうしてそんなことを言うんだろうという気持ちで、次の言葉を待った。
「仕事に関してはそう。華のカンは抜群。でもね華って、男の人のことになると違うよね。途端に危なっかしくなっちゃう。そっち行っても幸せになれないよ、って方向にどんどん行っちゃう」
何よそれ、いつのことを言ってるの。ドキドキしながらわたしは、冗談めかして笑った。
「さあ、いつのことでしょうね」
歌うように言いながら耀子さんは、店の後片づけをはじめたのだった。
つづく
