「抱擁の美学──タンゴに生きた男の言葉」──カルロス・ガビートインタビュー (2004年)ミゲルアンヘルゾットによる 2/2
昨日に続き、今日はガビートのインタビュー後半をお届けします。
その前に──冒頭に書いた「マエストロ・ガビートとの思い出」を、もう一つだけお話ししたいと思います。
それは、カニングでの出来事でした。
たぶん6月の終わりか7月ごろの月曜日。閑散期のブエノスアイレスのミロンガで、少し寂しさの漂う夜のこと。
トイレに入ると、後からガビートが入ってきました。
そして隣に立つと、小さな声で囁いたのです。
「君のパートナーの動きはとても柔らかい。
君のパートナーの足の動きは最高だ」
その時ちょうど、世界選手権に向けてパートナーとミロンガで練習をしていた頃でした。
その言葉が、なぜだかとても大きな勇気になったのを今でも覚えています。
その夜をきっかけに、ガビートはことあるごとに声をかけてくれるようになりました。
8. なぜブエノスアイレスなのか
ミゲル・アンヘル・ソット
── ええと、ガビート、なぜブエノスアイレス? なぜパリじゃない? なぜ君が住んでいたロンドンのイギリスじゃない? なぜイタリアじゃない? だって君はいくつもの言語を話すし、93カ国に住み、たくさんの場所に住んできた。スコットランドには娘もいる。なぜブエノスアイレスなんだ? なぜあれほど多くの場所を旅した後で、自分の国を選んだんだ?
カルロス・ガビート
── 見てくれ、問題はね、僕はずっと…自分の国を無視して生きてきたんだ。野心、仕事、そしてタンゴのために出て行った。世界にタンゴを見せるためにね。だけど心の奥底では、僕はずっと街角に残りたかったんだ。毎日ビリヤードをして、毎晩ミロンガに行く。それを続けたかった。僕は出て行きたくなかったんだ。けれど仕事がなかった。そして僕は踊りたかった。自動車修理工場でどうにか働き続けたくはなかった。僕は踊りたかったんだ。
それで、動かざるを得なかった。ある国が次の国を呼び、ある街が次の街を呼んで、僕は望まずに世界を移動することになった。世界の中をすべり台みたいに滑っていったんだ。行った国を後悔したことは一度もない。戦争中の国も通り抜けた。エルサルバドルとホンジュラスの戦争、レバノンの戦争、クウェートとテヘランの戦争、ペルシアの崩壊、バグダッドとテヘランの恐ろしい戦争にもいた。僕の部屋から100メートル、150メートルのところにミサイルが落ちてきた。
そういうことをたくさん経験した。今思うと、恐怖で体がすくんで動けなかったんじゃないかと思う。たぶんそうだ。だからそこに留まったんだと思う。だけど、いつも国を恋しく思っていた。いつも街を、下町を恋しく思っていた。下町…アベジャネーダを恋しく思う。公園を、バラカス橋を恋しく思うんだ。
9. ミロンゲーロとプロフェッショナルの違い
ミゲル・アンヘル・ソット
── とにかく、少し整理して話そう。ガビート、ミロンゲーロのダンサーと、プロフェッショナルのダンサーについて。
カルロス・ガビート
── そう。プロのダンサーは、最初はタンゴをとても愛しているからこそ始まる。そして最初は「小さなミロンゲーロ」か、「ミロンゲーロ志望者」なんだ。僕は20歳の頃も、22歳の頃も、まだミロンゲーロじゃなかった。ミロンゲーロとして学んだんじゃない。年長の人たちから学んだんだ。彼らを見て、「なんてすごいんだ!」と思った。
そしてプロになったとき、僕は多くの人と逆のことをしようとした。ほとんどの人は、ショーのタンゴをダンスフロアに持っていく。
僕は逆だ。
ミロンガの垢(ローニャ)を舞台に持って行こうとした。
10. 進化するタンゴ
ミゲル・アンヘル・ソット
── スタイルを作ろうとしたのか? それとも結果的にできたのか?
これは人々に知ってもらうことがとても大事なんだ。とても重要だ。ダリエンソはダリエンソだった。そしてダンサーのガビートはガビートだ。自分のスタイルだ。スタイルを生み出したんだ。
カルロス・ガビート
── 僕はダリエンソを踊る。タントゥーリを踊る。すべてのオルケスタを自分のやり方で踊る。もちろん、それはオルケスタごとのスタイルの問題じゃない。僕の選択なんだ。好きなもの、好きじゃないもの。嫌いなオルケスタは踊らない、好きじゃないから。名前も出さない。でも簡単なんだ。僕を見ている人は分かる。僕が立ち上がったら、それを見て、僕がどの一人か分かる。
スタイルを作ろうとしたかって?
いや、いや、違う。誰もスタイルを作り出すことなんてできないと思う。
スタイルはその人と共に生まれる。
スタイルはその人間の中に、その人格の中に生まれるんだ。
一つ例を挙げるよ、これは君をお世辞するためじゃない。僕が君に初めて会ったのは91年か92年、アルマグロでのことだ。僕はあるミロンガにいて、君をよく知っている人たち──エドゥアルドとグロリア──と一緒だった。僕はある瞬間に言ったんだ。「あの男は誰だ?」って。君が踊っていた。そして彼が君の名前を言った。
「なんてすごいんだ、この男は分かってる」って僕は言った。エドゥアルドが「まあ、分かってるんだろう」と言った。僕は「なるほど、僕は時代に取り残されていたんだな」と思った。その男は踊ってる、本当に踊ってる。しかも進化したタンゴを踊ってる。もうカナロは踊らない。プグリエーセを踊る。トロイロも進化した。フリアン・プラサと共に進化した。タンゴは大きく進化していて、聴くのが美しいものになっている。今はコンサートなんだ。同じことが踊りにも起こっている。踊りも進化したんだ。そしてこの男を見て、僕は言った。「この男は誰だ? なんて天才なんだ!」って。あれは君だった、ミゲル。
11. ガビートにとってのタンゴ
ミゲル・アンヘル・ソット
── ありがとう。でもガビートのことを話そう。ガビートの話を。ありがとう、ガビート。
── ガビート、ガビートにとってタンゴとは何だ?
カルロス・ガビート
── 僕は人生でとても、とても率直なんだ。タンゴのことを話すと、泣いてしまう。心の奥の繊維を震わせるように、ものすごい感情が湧いてくる。なぜそんな感情があるのか、自分でも分からない。理由は分からない。でも分かるのは、涙がにじみ、声が震えるってことだ。
聞いてくれ(ミロンガで流れている曲 [Llorar Por Una Mujer])
アルマンド・モレノ!僕は彼とコロンビアで一緒に踊り、働いた、68年のことだ。
彼は僕に言ったんだ。「坊や、お前は自分が内に何を持っているか分かってない。お前の中には神がいる。タンゴという神が」。そして僕は若造で、理解できなかった。ただ「まあ、一緒に仕事をしているから褒めてくれてるんだな」と思っただけだった。
同じことがポラコ(ゴジェネチェ)でも起こった。彼が僕に会ったとき言ったんだ。「兄弟よ、お前は俺と同じだ。お前はタンゴをフレーズにする」。そしてそれは本当だった。僕はフレーズにする。
僕は拍子で踊るんじゃない。僕は音楽をフレーズでするんだ。
12. インタビュー最後の言葉
カルロス・ガビート
── 見てくれ、本当は二週間前に来るはずだった。でもひどい再発があって来られなかった。無理だった。マリートは可哀想に、午後2時から5時まで、僕の家のベッドの横でずっと待っていてくれたんだ。何とかして来られないかと。でも無理だった。だから残らなきゃならなかった。とても辛かった。でも仕方なかった。必要だったんだ。
今こうして来た。僕はマリオに電話して言った。「お願いだよ、マリート。いつ僕が行けばいい? 君が望む時に──今日でも明日でも、君が望む時に」。それで今日という日に決めたんだ。
ペルガミーノ (都市)の人々の歓迎は…ポエマ(詩)だった。本当にポエマのようだった。さらにすごい感動だった。なぜなら、あの辺には僕の家族がいるからだ。彼らはとても年老いていて、ここには来られなかったけれど。父方の家族だ。僕にとってここに来るのはすごいことなんだ。なぜなら自分の人生を遡るようなものだから。
ペルガミーノに心から感謝している。
本当に、来られて嬉しかった。
Abrazo GYU
動画はDandyでのクラス
奇しくも私はこのクラスを受講していた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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Abrazo GYU
