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書いて、整えて、また明日

noteに毎日文章を投稿するようになって、今日で約3週間が経ちました。最初は「とにかく書く」ことを目標にしていましたが、続けていくうちに、少しずつ書くことが日常に溶け込み、習慣として身体になじんできたように感じています。

派手なことを書いているつもりはありません。ただ、1日のどこかで言葉を並べ、自分の思考を整える時間があるだけで、暮らしの輪郭が少しはっきりしてくるような気がしています。

自分にとってnoteは、日記でもあり、棚卸しの場でもあり、ちょっとした創作の場でもあります。この約3週間で得た気づきや、続けるための工夫、そして今後の展望について、今の時点で一度整理してみたいと思います。


書く時間と習慣づくり

noteにかける時間は、1日あたりおおよそ1〜2時間程度です。朝に構成を練って、夜に仕上げることもあれば、逆に深夜に集中して一気に書き上げることもあります。

もちろん、どうしても時間が取れない日や、疲れが溜まっている日もあります。そういう日は短めにしたり、前日に書き溜めた下書きを出したりして、柔軟に対応しています。

書くこと自体は好きですが、毎日となると「何について書こうか」と悩む時間がいちばんの負荷になります。そのため、なるべく迷わないよう、曜日ごとにテーマをある程度決める方法を取りました。これが思った以上に効果的で、ずいぶんと気が楽になりました。

こうした「型」があることで、内容に濃淡はあっても、「今日は何を書くか」に悩まずにすむようになりました。精神的な負担がぐっと軽くなり、結果として続けやすくなっています。

火曜日は自由に、でも迷う日

一方、火曜日だけは、あえて「自由に書く日」としてテーマを決めずにいます。「週に一度くらいは気分で書ける日があってもいいだろう」と思っての設定でしたが、ふたを開けてみると、実際にはこの火曜日がいちばん迷う日になりました。

何を書いてもいいという自由があるからこそ、逆に書くテーマが定まらず、手が止まりがちです。実際、過去3回の火曜日はいずれも「noteを書くこと」そのものについて書いてきました。

狙ってそうしたわけではなく、自然とそうなったのですが、同じテーマが続くと「来週もnoteについて書くべきか?」という意識が生まれてしまい、かえって縛られているような気持ちになることもあります。

今日もやはり迷ってしまい、「自由に書くって、思った以上に難しいな」と改めて感じました。

自由であることは、楽であると同時に、不安定さも含んでいます。そんな迷いの中で、なんとか文章を書き終えたあとの、わずかな達成感。その感覚が、火曜日の不思議な魅力なのかもしれません。ある意味、火曜日は「自分の内面の揺れ」を映す鏡のような曜日です。

「スキ」が少ないからこその気楽さと責任

私のnoteは、ありがたいことに読んでくださる方がいらっしゃるものの、「スキ」がたくさんつくタイプの文章ではないと思っています。SNSで拡散されたことも、今のところはありません。

ですが、その静けさが、むしろ気楽さを生んでくれています。「どう見られるか」「どんな反応があるか」といったことにあまり縛られず、自分のペースで書き続けられるのはありがたいことです。

ただし、だからといって、内容に手を抜いていいとは思っていません。むしろ、読者が少ないからこそ、一人ひとりに対して誠実でありたいと感じています。もっと言えば、「読者=未来の自分」であると考え、自分自身ときちんと向き合う気持ちで書いています。

AIを使っても、結局は自分の手で整える

AIの力を借りて下書きをつくることもあります。構成を整理したり、文体にバリエーションをつけたりするうえで、大いに助かっています。

とはいえ、AIが出力した文章をそのまま使うことはほとんどありません。自分らしい言葉やリズムは、やはり自分で書かなければ出せませんし、そもそもAIは自分の体験や感情を知っているわけではないからです。

AIは、「自分の考えを問い直すためのきっかけ」として非常に有効です。ただ、最終的に納得のいく文章に仕上げるには、やはり自分の手を通す必要があると強く感じています。

バズらなくても、仕組みは気になる

noteを書き始めたときから、「バズりたい」と思ったことはありません。私にとって文章を書くことは、感じたこと・考えたことを、丁寧に言葉にして残しておく行為であり、その気持ちは今も変わっていません。

ただ一方で、「どんな記事が読まれるのか」「何がきっかけで広がるのか」といったnote内の仕組みには、やはり関心があります。

タイトルの付け方や冒頭の一文、見出しのつけ方など、ちょっとした工夫で印象が変わるのは確かですが、「自分がいいと感じた記事」と「実際に読まれている記事」が必ずしも一致しないことも多く、自分の感覚に少し戸惑うこともあります。

とはいえ、読む人によって感じ方が違うのは当然のこと。そこに答えを求めすぎず、自分なりに少しずつ理解していければと思っています。

自分にとっての「刺さる」を、これからも

結局のところ、私がnoteに書いているのは「自分にとって刺さること」です。誰かに向けて書いているようでいて、実のところは未来の自分へのメモであり、内省であり、備忘録でもあります。

これからも、無理なく、でも丁寧に。「自分が読み返したくなるような文章」を目指して書いていきたいと思います。

書くことで整い、書くことで気づき、書くことで世界が少し見えやすくなる。そんなnoteを、これからも続けていければと思っています。


note質問箱をはじめました。この記事を読んで浮かんだ問いがあれば、ぜひお寄せください。

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