自分あらば「好き」語り・その43——クラシックホテル
これまでの人生で、いわゆる「クラシックホテル」に泊まった機会は、数えるほどしかありません。いや、正確に言えば「数えるほどもない」と言ってよいかもしれません。普段の私は、宿泊にそれほどお金をかけるタイプではないからです。出張でも旅行でも、「寝られればよい」と思ってしまうほうで、機能的で清潔であれば十分だと考えてきました。
それでも、ふと振り返ってみると、自分はクラシックホテルが好きなのだと気づきました。
豪華絢爛なラグジュアリーホテルというよりも、長い時間をまとい、静かにそこに在り続けてきた場所。派手さではなく、優雅さを纏った空間。その存在に、私はどうしようもなく惹かれているのです。
今回は、私にとって特別な存在である山の上ホテルと、ねぎや陵楓閣での体験を軸に、クラシックホテルへの「好き」を語ってみたいと思います。
山の上ホテル——結婚式という人生の節目から
父の言葉と、偶然の再会
私が「山の上ホテル」という名前を最初に意識したのは、子どもの頃のことでした。父が、なぜかその名をよく口にしていたのです。実は具体的なエピソードは、あったのですが、それを理解したのはそれこそ結婚式を挙げる場所として山の上ホテルを選択したそのときでしたから、子どものころはただ、「山の上ホテル」という響きを、どこか大人の世界の象徴のように感じられていました。
時が流れ、結婚式をどこで挙げるかという話になりました。私たちは、いわゆる豪華で華やかな結婚式にはあまり魅力を感じていませんでした。できるだけ落ち着いた、静かな式がよい。そう考えていた折、パートナー(結婚式後の妻)と一緒に『ゼクシィ』を買いました。
分厚い誌面の最後のほうに、ひっそりと掲載されていたのが山の上ホテルでした。多くの華やかな式場の写真が並ぶ中で、そこだけ空気が違いました。派手な装飾も、きらびやかな演出もない。けれど、落ち着きと品がありました。
即決でした。
千代田区とは思えない静けさ
山の上ホテルは、1954年(昭和29年)開業。東京都千代田区神田駿河台の高台に、表通りから少し奥まった場所にあります。周囲は大学や病院がありながら、驚くほど静かです。都心のど真ん中であるにもかかわらず、時間の流れがゆるやかに感じられます。
建物は決して巨大ではありません。むしろ、こじんまりとしていると言ってよいでしょう。しかし、その「こじんまり」が心地よいのです。一つひとつの部屋に個性があり、廊下の空気、階段の手すり、窓からの光にまで、長い年月の重みが感じられます。
豪華さではなく、優雅さ。
これが、私が山の上ホテルに抱く最も大きな印象です。

初めて「美食」に感動した夜
結婚式のあと、私たちはそのまま2泊しました。式の余韻が残るなか、ホテルの中でゆっくりと過ごす時間は、まるで現実と夢のあいだにいるようでした。
2泊目の夜、ホテル内の「てんぷら山の上」でいただいたかき揚げのことを、私は今でも忘れられません。衣はうっすらとまとわれているだけで、一見すると素揚げのようにも見えました。しかし、口に運んだ瞬間、それが確かに天ぷらであり、しかも驚くほど美味であることが分かりました。素材の旨味が引き出され、油の重さをまったく感じさせない。
「ああ、これが美食なのか」
私はそのとき、生まれて初めてそう思いました。それまでの人生で「おいしい」と感じることはもちろんありましたが、「感動した」と言えるほどの体験はなかったように思います。少なくとも、このかき揚げ以上に鮮烈な記憶を持つ美食は、それより前には、ありませんでした。
クラシックホテルの魅力は、空間だけではなく、こうした食の記憶とも強く結びついているのだと思います。
その後のささやかなつながり
結婚1年目にも、私たちは再び山の上ホテルに宿泊しました。記念日という大義名分があったとはいえ、決して安い出費ではありません。それでも、「あの場所に戻りたい」という気持ちが勝りました。
頻繁に泊まれるわけではありませんでしたし、山の上ホテルは、宿泊施設としては現在休館のままで、再開するかどうかももはや分かりません。ですが、おせち料理を注文するなど、ささやかな形でつながりを保っています。
クラシックホテルとは、単なる宿泊施設ではなく、人生の節目を刻む場所なのかもしれません。結婚式という大きな出来事と結びついているからこそ、山の上ホテルは私にとって特別なのです。

ねぎや陵楓閣——宿にこもるという贅沢
映画に誘われて有馬へ
あるとき、映画の影響で有馬温泉に行きたくなりました。映画の空気を実際に味わってみたくなったのです。
そこで選んだのが、それこそ映画に出てきた、ねぎや陵楓閣でした。
この宿の歴史は古く、江戸初期から有馬の地で旅館業を営んできたとされます。元文2年(1737)の文献にもその名が見られるそうです。現在の建物は昭和期のものですが、それでも十分に年月の重みを感じさせます。
外に出ないという選択
有馬温泉に来たのだから、普通であれば温泉街を歩き回り、名所を巡り、食べ歩きをするのでしょう。しかし、私はほとんど宿の外に出ませんでした。
部屋にこもり、温泉に浸かり、食事をいただき、また静かに過ごす。
それだけで、十分でした。

むしろ、「外に出なくても満たされる」という感覚こそが、クラシックな宿の真価なのではないかと思います。宿そのものが目的地になっている。時間を消費するのではなく、時間を味わう。
落ち着いた和室、深緑の景色、心のこもった料理。どれもが派手ではありません。しかし、ひとつひとつが丁寧で、誠実です。
山の上ホテルで感じた優雅さと、どこか通じるものがありました。

派手さではなく、優雅さ
私がクラシックホテルに惹かれる理由を考えると、「派手さではなく優雅さ」という言葉に行き着きます。
豪華なロビー、大理石の床、シャンデリア。それらももちろん美しいのでしょう。しかし、私が心を動かされるのは、もっと静かなものです。
少し軋む床板。
磨き込まれた手すり。
長年使われてきた鍵。
さりげない心配りのサービス。
それらが積み重なって、「時間」という目に見えない価値を形づくっています。
クラシックホテルには、急いで利益を追い求める空気がありません。効率よりも、継続。派手な刷新よりも、手入れ。そうした姿勢が、空間の隅々に滲み出ています。もしかすると私は、そうした姿勢そのものに惹かれているのかもしれません。
宿泊にお金をかけない私が、それでも
私は基本的に、ホテルにあまりお金を使いません。出張の際はビジネスホテルで十分ですし、旅行でもコストパフォーマンスを重視します。
それでも、山の上ホテルやねぎや陵楓閣での体験は、金額以上の価値がありました。
それは「贅沢をした」という満足感ではありません。むしろ、「自分の時間を大切に扱った」という感覚に近いものです。
クラシックホテルに泊まるという行為は、日常の延長線上にはありません。少し背伸びをして、いつもより丁寧に時間を過ごす。その選択自体が、人生を豊かにしてくれるのだと思います。
またいつか、どこかで
これから先、クラシックホテルに何度泊まれるかは分かりません。おそらく、そう頻繁なことではないでしょう。
それでも、願わくば一生のうちに、またどこかクラシックなホテルに泊まる機会があれば嬉しいと思います。
新たな場所でもよいですし、山の上ホテルが復活するならばそこにもう一度戻るのもよい。ねぎや陵楓閣の静けさに身を浸すのもよいでしょう。
クラシックホテルは、私にとって「非日常」ではありますが、決して遠い存在ではありません。人生のどこかで、そっと寄り添ってくれる場所です。
派手さではなく、優雅さ。
豪華さではなく、時間の重み。
それらを静かに味わえる場所が、この世に存在しているという事実だけで、少し安心できるのです。
数えるほどしか体験していない。それでも、私は確かにクラシックホテルが好きです。
自分あらば、やはりこの「好き」を大切にしていきたいと思います。

note質問箱をはじめました。この記事を読んで浮かんだ問いがあれば、ぜひお寄せください。
