呼ばれた「瞬間」をめぐって
突然に思える出来事にも、実は長く準備されてきた時間があるのかもしれません。聖書に描かれる弟子たちの「召命」もまた、そのような時間の延長線上にあったのではないでしょうか。
日々を重ねながら、ふと呼ばれるように感じる瞬間。その声にどう応えるかを考えるとき、私たちは自分の中に流れてきた静かな時間をようやく見つめ直すのだと思います。今週は、その「呼びかけ」に気づくための心の余白を持ちたいと思いました。
呼ばれた「瞬間」のこと
きょうの礼拝では『マタイによる福音書』第4章18節〜22節がとりあげられました。
説教は説教で見返そうと思うのですが、それとは別に思ったことを、ここでは書きます。
宗教というか信仰というか、いずれにしても信条を取り扱うときに難しいことのひとつが、周囲との軋轢、特に家族との関係です。宗教が理由で家族の関係がおかしくなることは枚挙にいとまがありません(安倍元首相暗殺事件も、宗教が理由で家族の関係がおかしくなったことで発生した事件であるとは、確実に言えます)。
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「私に付いて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼペダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼペダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になり、二人をお呼びになった。彼らはすぐに舟と父を残して、イエスに従った。
そして、信仰による周囲との軋轢を正当化するために、不当にもよく使われてしまうのがこの聖書の箇所です。冷静になって読んでみると、「見知らぬ人から声をかけられた若い男性が次々と衆目の中で行方不明」になった事件にも読めます。
でも、そう読むと行き着く先はおかしなことになりかねない。どう読めばそのようなおかしな方向にいかず、かつこの箇所の意味を「聖書的に」間違いなく読めるのか。
そのような考え方で調べていくと、この4人の漁師がもともと洗礼者ヨハネの弟子であったこと、イエスが初見だったわけではないこと、ライフスタイルとして学びや奉仕のために漁師の仕事を休むということが以前にもあったことなどを解説している説教がありました。
この箇所だけ読むと、とても急な展開なので驚いてしまいそうです。彼らは仕事を途中で放りだして散らかしたままイエス様について行ったのでしょうか、お父さんに片づけを丸投げして息子たちだけさっさと出かけてしまったのでしょうか。
実はこの4人の漁師は、この時イエス様に初めて出会ったというわけではないのです。また彼らはもともと洗礼者ヨハネの弟子で、ユダヤ地方にしばらく滞在していたことがありました(ヨハネ1:35-42)。その時にもガリラヤを離れておりましたので、学びや奉仕のために漁師の仕事を休むということは以前にもあったわけです。
なるほど、と思いました。
よく考えてみると、古代の労働がフルタイムだったとは限らない。それに、当時のユダヤ教は文化に密接した土着の宗教という一面も持っていたはずで、現代日本でいえば、普段は仕事をしているけれども神社の祭りには熱心に取り組む、そういう生活感覚に近いのかもしれません。なにしろ現代の私たちは、古代ユダヤを知らないのです。安易に現代の感覚で読んではならないということを、改めて思い知らされます。
弟子たちは、いろいろなユダヤ教のラビ(教師)の話を聞いていたのでしょう。そうだったとしても何もおかしなことはありません。ただ、その中でも、とりわけイエスに声をかけられたときに、運命的な何かがあったということは疑いようがありません。
それはひょっとしたら、とても内面的で内省的なものなのかもしれません。だとすると、その呼ばれた「瞬間」を外側から理解するのは難しく、「突然」であるかのように見えてしまうかもしれません。
よく考えてみれば。
私にもそういう出会いがありました。
ダイニングバーのランチ
通っている教会の向かいにダイニングバーがオープンしたのですが、見ると、ランチをやっているとのこと。「日曜限定」の文字に惹かれて思わず入ってしまったのですが、おいしかったです。

唐揚げ定食1,100円とコーヒー400円……このご時世も手伝って、お値段は少々張りますので、いつもというわけにはいかないでしょうけれど、機会があればまたおうかがいしたいお店ではありました。
ランチタイム限定配布の夜の割引券をいただいたのはありがたいのですが、私、いまは地元民ではないのですよね。では教会の人を誘って……というのも、ダイニングバーという場所ですし、ちょっとやりにくい。
考えます。
今週の予定
仕事
締切間近の仕事が近いので、月曜日がいきなり山場です。来週は営業日が4日かなく、また、私用もありますから10月のどこかで1、2日ほど休みをとることを考えていまして、先読み力が試されます。
交際
今週は特に予定がありません。
note
「きょうこそは落とすかも……」と思いつづけながらもきょうで169日目です。半年継続が見えてきました。
片付け
粗大ゴミをひとつ捨てましたが、まだ捨てるべきものが残っています。片付けが苦手な人間にとって、先は長い……
夏物のクリーニングも出しましょうか。
ITパスポート試験
「h12oさんならノールックで受かるのでは」と方々から言われるのですが、そろそろ勉強をはじめないと、と思っています。
その前に、予約しないと受かりませんし、受験しないと受かりませんから。
個人サイト
優先度を下げることにしました。ちょっと余力が見つかりません。
その他
仕事の話にも通じますが、13日が祝日ですので、13日までをどう過ごすか見据えて動こうと思います。
今週のテーマは「静かに準備されていた時間の延長線を見つける」
ちょっと長いテーマですが、今週のテーマは「静かに準備されていた時間の延長線を見つける」がよいのかもしれないと思いました。
聖書に描かれた「弟子の召命」は、突発的な出来事のようでいて、実は静かに準備されていた時間の延長線上にあったのではないでしょうか? 呼びかけの「瞬間」は、突然ではなく、心の深いところで長く響いていたのかもしれません。
私たちの日常にも、似たような呼びかけがあります。すぐに答えを出せるものではないかもしれませんが、「いま、この声に応えてみよう」と思える瞬間。それが、次の一歩になるのだと思います。
今週は、外から聞こえる騒がしさよりも、内側の小さな声を大切にしたい。仕事の段取りにも、生活の整えにも、誰かとの関わりにも、「いま、この声に応える」という姿勢をもって過ごします。呼ばれた瞬間に、静かにうなずけるように。ただし、その「内側の小さな声」が自分の勝手な言葉ではなく、「従順」ないし「忠実」であることに由来するものであるように。

