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マネ×ゴト Vol.41──話を接続する

仕事をしていると、「なぜこんなにコミュニケーションコストが高いのだろう」と嘆く声を耳にすることがあります。以前よりも説明に時間がかかる。合意形成が遅い。ちょっとした意思決定にも、多くの確認が必要になる。

しかし私は、コミュニケーションコストは基本的にインフレするものだと考えています。

時間が経てば人は入れ替わります。
集団の人数が増えれば関係性は複雑になります。
専門性が細分化されれば、共通言語は減っていきます。

つまり、集団が成長すればするほど、知識の共有度は下がり、説明に必要な前提は増えていきます。

これは構造的なものであって、誰かの努力不足ではありません。ですから「なぜ昔より大変なのか」と嘆くよりも、「コストは増える前提でどう戦うか」を考えた方が健全です。

では、そのような環境の中で、自分の話を聞いてもらい、自分の話に説得力を持たせるにはどうすればよいのでしょうか。

単純に情報量を増やせばいいのでしょうか。
もちろん、情報量はある程度必要です。
事実やデータがなければ、議論は成立しません。

しかし、情報量を増やせば増やすほどよいかというと、そうではありません。人間には認知限界があります。前提が共有されていないまま情報だけを積み上げると、聞き手は疲弊します。そして「なんとなく分からない」という状態が生まれます。

では、何が足りないのか。

最近になっての気づきですが、私はそれを、「話を接続する力」だと考えるようになりました。


集団にはツリー構造がある

どの組織にも、目に見えない「ツリー構造」があります。

根があり、幹があり、枝があり、葉がある。

最近の会社ではMVV、すなわちミッション(Mission)・ビジョン(Vision)・バリュー(Value)という言葉をよく使います。ミッションは存在意義、ビジョンは目指す姿、バリューは行動指針。

ミッションが最も変わりにくく、ビジョンは時代によって多少修正され、バリューは具体化の過程で更新されることがあります。それでも、これらは組織の根に近い存在です。

一方、私たちの日々の業務は枝葉にあたります。ここでいう枝葉とは「どうでもいい」という意味ではありません。むしろ、実際の成果を生む重要な部分です。

ただし、根に比べれば変化しやすいことは確かです。

木の枝葉が生きるためには、根から養分を受け取らなければなりません。根につながっていなければ、どれほど立派な枝でもやがて枯れます。

仕事も同じです。枝葉の立場にいる私たちが成果を出すためには、自分の仕事が根とどう接続しているかを理解し、それを言語化できることが重要になります。

つまり、情報量を増やすことよりも先に、「どの根につながっている話なのか」を明らかにすることが、説得力の源泉になります。

インシデント対応とバリュー

ふりかえると、私はインシデント対応の現場にいる経験がかなり長い人間ですから、インシデント対応で考えることが多いのですが、インシデント対応は、意思決定がぶれやすい場面のひとつです。

判断を誤れば被害が拡大します。
対応が遅れれば信頼を失います。
そして、さまざまな方面から「怒られ」が発生します。

そのような状況では、どうしても自分の都合のよい方向に決断を寄せてしまいがちです。

短期的に楽な選択肢。
自分が責められにくい選択肢。

しかし、そうした選択は往々にして後から大きなコストを生みます。

あるインシデント対応で、印象的な出来事がありました。

インシデントの交通整理において、あるとき、私は意思決定の軸として専門知識ではなく、組織のバリューを持ち出しました。当時の組織では、「誠実さ」がバリューのひとつでした。

そこで私は、インシデントハンドリングの判断軸として、「誠実であるかどうか」を使おうと提案しました。そして、これから取りうる行動のよしあしを、そのバリューで実際に判断しました。

すると。

事実を隠さない。
影響を過小評価しない。
不都合な情報も正面から共有する。

ということになります。短期的には不利益に見える決断も含まれます。しかし「誠実さ」という根に接続した瞬間、判断はぶれにくくなりました。現場のメンバーも納得しやすくなりました。「それがうちの価値観だから」という共通理解があったからです。

専門知識は枝葉です。バリューは根です。
根に接続された判断は、揺れにくいのです。

500文字のプレゼンテーション

別のプロジェクトでの話です。ある施策の実施可否を問うプレゼンテーションを行う機会がありました。

私は、まず組織の方針を徹底的に確認しました。

このプロジェクトは、組織のビジョンとどのようにつながっているのか。バリューとどこで一致しているのか。

その接続を、チームで何度もディスカッションしました。

そして最終的に、組織の方針に接続するメッセージだけで資料を構成しました。文字数にすれば、500文字もなかったと思います。

もっと厳しいダメ出しが出ると想像していました。しかし結果は、拍子抜けするほどスムーズでした。

なぜか。

それは、聞き手の頭の中にすでに存在している「ロジックツリー」に、そのまま接続したからだろうと、いまにしてみれば思います。

新しい話をしているようで、実は既存の幹に枝を一本足しただけ。だから違和感がなかったのです。

説得とは、相手の思考の構造に接続することなのだと、そのとき実感しました。

短く話すことの落とし穴

ここで誤解してはいけないのは、「短く話せばよい」という単純な話ではないということです。短さは結果であって、目的ではありません。

根に接続していれば、自然と説明は短くなります。なぜなら、前提を共有できるからです。

しかし、短くすることだけを目的にして、客観を省き、主観だけで話してしまうとどうなるでしょうか。

話が通らないならまだいいのです。通ってしまう場合が危険です。

主観で通った話は、方針を持ちません。その場の空気や勢いで決まった話は、時間が経つと揺れ始めます。枝葉は大きく揺れ、やがてポッキリと折れます。

そして「なぜかコミュニケーションコストが上がった」「なぜか評価が下がった」という現象が起きます。

原因は、話が根に接続されていなかったことにあります。このメカニズムに気づかないと、「頑張っているのに成果が出ない」という状態に陥ります。それは能力の問題ではなく、接続の問題かもしれません。

進捗報告が変わった瞬間

話を接続することを意識するようになってから、私の報告の仕方は変わりました。

以前は、進捗を説明するために細かな事実を積み上げていました。

どれだけ作業が進んだか。
どんな課題があるか。

しかし今は、まず幹を示します。

このプロジェクトは、組織のどの方針に基づいているのか。
その方針に照らして、今の進捗はプラスかマイナスか。
方向をどのくらい修正すべきか。

これだけで、多くのことが伝わります。

共通のナラティブ、共通のロジックツリーがあるからです。枝葉の詳細は、必要なときにだけ説明すればよい。

結果として、報告は短くなりました。しかしそれは「削った」からではなく、「接続された」からでした。

接続できないならどうするか

もちろん、すべての集団が正しいとは限りません。社会的に明らかに間違った方向に進んでいる集団もあります。その場合は、さっさと離れるべきです。間違った根に接続しても、健全な実はなりません。

しかし、そうでない限り、集団につながる努力は不可欠です。

どれほど優秀でも、根付かなければ養分は得られません。どれほどスキルがあっても、ツリー構造に接続できなければ、パフォーマンスは上がりません。

逆に、集団のツリー構造を見極め、それに接続することができれば、期待される成果につながりやすくなります。

これは迎合ではありません。構造を理解し、そこに自分の価値を接続するということです。

ぶどうの木のたとえ

聖書には、ぶどうの木のたとえがあります。

私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である。私につながっている枝で実を結ばないものはみな、父が取り除き、実を結ぶものはみな、もっと豊かに身を結ぶように手入れをなさる。

『ヨハネによる福音書』第15章1節〜2節(聖書協会共同訳)

宗教的な解釈はさておき、この比喩は集団にも当てはまります。

枝は、木につながっていなければ実を結びません。そして実を結ばなければ、取り除かれることもある。

厳しいようですが、これは現実です。だからこそ、「自分の話をどううまく言うか」よりも先に、「どこにつながっている話なのか」を問う必要があるのではないでしょうか。

話を接続するという挑戦

私は『マネ×ゴト』を書く中で、「抽象と具体を行き来する」ことに挑戦しています。個別の経験を、できるだけ構造化し、再利用可能な形にする。それもまた、話を接続する訓練です。

自分の経験という枝葉を、より普遍的な幹につなげる。読者の経験とも接続できるようにする。
そのとき、文章は単なる日記ではなく、共有可能な思考の部品になります。

コミュニケーションコストは、インフレします。それを前提としたときに、説得力とは情報量ではなく、接続力であることを悟ります。

自分の話を、どの根につなげるのか。
その根は、本当に健全か。
そして、その接続は明確に言語化されているか。

話を接続する。

それは、組織の中で実を結ぶための、静かで地味な技術です。しかし、長期的にはもっとも効く技術のひとつだと、私は思っています。

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