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小説は、自分が生きられなかった時間の代替かもしれない

もしも、あの日告白していたら。
もしも、あの電車に乗らなかったら。
もしも、あのとき違う道を選んでいたら。

そんな「もしも」は、誰の胸の中にも静かに眠っている。
だって現実は一度きりだから。分岐点を前にしても、選べるのは一本だけ。時間は残酷なほどに直線で、やり直しはできない。

小説を書くとき、私はいつもその分岐点の前に立ち直る。
現実では選べなかった扉を、紙の上で開けてみるのだ。
そこで出会うのは、もう一人の私かもしれないし、まったく知らない誰かかもしれない。けれど確かに生きられなかった時間が、文字の中で息を吹き返す。

子どもの頃、私はとにかく不思議なことを妄想するのが好きだった。
ランドセルを背負って通学路を歩きながら、ここで異世界にワープしたらどうなるだろうって考えていた。

けれど大人になるにつれて、いつの間にか妄想は消えていった。
調和を好む世間。遅刻しないこと、効率的であること、結果を出すこと。
妄想している時間なんてない。いや、本当はあるのに、ないふりをしているだけかもしれない。

気づけば正しい答えが用意された道を歩くのが当たり前になっていた。テストの点数、就職の内定、評価シート。全部に答えがあって、そこから外れることは失敗だと教えられてきた。

仕事をすればするほど、自由に考える余白は削られていく。メールを返し、昼休みは明日のタスクを確認し、帰宅したらもう眠るだけ。夢を見る時間なんてどこにも残されていない。

でもね。
心のどこかではずっとわかっていたんだ。
妄想を捨てたら、私はただの歯車になってしまうって。

だからさ、私は机に向かうんだ。
誰も見ていない深夜、すでに一日を会社に奪われた後で、残りかすのような時間を掬い取って、文字に置き換える。

小説の中で私は勇敢になれた。
現実では見過ごしたできごとを、言えなかった言葉を叫び、もう会えない人にありがとうを告げられる。
逃げたっていい、裏切ったっていい。登場人物に背負わせれば、それはもう物語じゃないか。

これは現実逃避なんかじゃない。まあ、現実逃避でもいいのだけれど。

もう二度と戻らない人との日々を取り戻す浄化なんだ。

「もしあのとき、もっと優しくできていたら」

そんな後悔。それを小説にすれば、その後悔を生き直せる気がする。
物語のなかで愛を伝えきったとき、私は現実の自分にも少しだけ優しくなれる。

だって本当は誰もが知っているはずだ。
人生なんて思い通りにならない。
努力しても報われないことがあり、愛しても届かないことがあり、夢を見ても破れることがある。

それでも、「小説」という嘘の上でなら、私たちはもう一度立ち上がれる。
嘘を読むとき、人はなぜか本当の涙を流す。
その矛盾が、人間を支えている。

叶わなかった恋。
言えなかった本音。
壊れてしまった友情。

小説は、物語は、自分が生きられなかった時間の代替かもしれない。
でもそれは「代わり」でありながら、確かに「もうひとつの本物」でもある。

この人生はひとつしかない。それは、あまりに窮屈すぎる。
だから私は書く。
何度も、何度でも。

誰にも知られない私の「もしも」を救うために。
私は、書くんだ。

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