昭和100年10月10日
今年は昭和100年なんですって。数字だけ聞くと、なんだかピンとこないけれど、100年。人が生きて死ぬには十分すぎる期間。
昭和元年ってどんな年だったのか、調べてみた。まだ郊外にはガス灯が灯っていて、電話を持つ家はほんの一握り。人々は手紙で想いを伝え、誰かを待つ時間のなかに、きっと静かなロマンがあったのだと思う。
たった100年で、世界はこんなにも変わったのだな。
パソコン、スマホ、AI。ITの技術革新は素晴らしいね。ボタンひとつで海の向こうの誰かと繋がれて、AIが文章を書き、絵を描き、音楽まで生み出す。昭和20年まで戦争をしていた国が、いまでは宇宙や量子を語っているのだから、人類の歩みというのは本当に目覚ましい。200年前の世界と比べたら、この100年の変化は、まるで別の惑星の話みたいだ。
……文明のスピードって、すごい。
でも「便利になった」と同時に、「速くかわりすぎた」とも思う。昭和元年の人が、令和の今を見たらどう感じるだろう。
一日がこんなにも早く過ぎて、情報が絶え間なく流れ込み、世界中の誰とでも数秒でつながれて、それでもどこか孤独を感じる。そんな時代を、想像できただろうか。
かつて有った、『待つ』ような無駄な時間もない今の私たちを見たら?
この速さの中で失われた『心の余白』を、どう感じるだろう。
戦後の人たちは、明日を生きるために必死だった。明日が来ること自体が、希望だった。今の私たちは、生きるのは当たり前で、その上で「何者かになりたい」ともがいている。
まあ、明日が来ることは当たり前ではないし、どちらも「一生懸命生きる」ということに、真剣だけれども。どこか物悲しいと感じるのは私だけなのだろうか。
昭和100年。
私たちは便利さを手に入れた代わりに、余白を失ったのかもしれない。心が深呼吸をするほんの一瞬の時間。それを取り戻したくて、私はこうして、言葉を書いている。きっと。
現に仕事は嫌いじゃない、もっと働きたいと言いながら、同じくらい何もしない時間を求めている。働いて、書いて、それでも私は余白を取り戻したいと思ってる。なんて矛盾してるのだ。
でも、きっとその矛盾の中にこそ「人間らしさ」があるんだろうな。どれだけ時代が進んでも、人の心は100年前と変わりはしないんだよ。誰かを想い、誰かに届くことを願う気持ちは、文明のスピードよりも、ずっとゆっくりと、けれど確かにここに存在してる。
100年で変わったのは世界だけで、実は人の心はまだ、あの昭和のガス灯のまま燃えているんじゃないかなぁ。なーんて、なぁ。
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