パンデミック条約案をめぐる日本ファクトチェックセンター「追記」対応について
6月5日、日本ファクトチェックセンター(JFC)が古田編集長の名で発表した「パンデミック条約は偽情報・誤情報を取り締まる?【ファクトチェック】」と題するファクトチェック記事について、私から訂正の申し入れをしていました。(*1)
本日(6月11日)、JFC側から「追記」で対応した旨の応答があり、追記内容を確認しましたので、若干のコメントをしておきます。
【訂正を求めます】またJFCが外務省の言い分(サイトの説明)をファクトチェックせずにそのまま伝えている。昨年10/30版に「Parties shall ... combat false, misleading,… https://t.co/jNOjFojLvp
— 楊井人文 Yanai Hitofumi (@yanai_factcheck) June 5, 2024
JFCは「パンデミック条約に誤情報の取り締まりがある」と書かれた須藤元気・前参議院議員の投稿(6月1日)をファクトチェックして「不正確」と判定した記事を公開しました。
パンデミック条約草案の最新版では、誤情報取り締まりに結びつく恐れのあった条文が、懸念が大きく低下する内容に全面的に修正されていましたので、「不正確」と判定したこと自体には、異議はありません。
私が訂正申し入れをした理由は、大きく3つありました(X投稿1、投稿2参照)。
① 誤情報取り締まりが懸念される文言だった「10月30日版」の18条を取り上げず、それより古く、内容の異なる「6月2日版」だけ取り上げていた点
② 須藤前議員が「10月30日版」を念頭に、最近の条文修正を知らずに投稿した可能性があるのに確認取材を怠り、根拠のない投稿をしたとの印象を与えるアンフェアな記事であった点
③ 言論統制などの懸念が議論に全くなっていなかったかのような外務省の説明文を、JFCが留保もなく紹介していた点
10月30日版の18条について最初に警鐘を鳴らす見解を発表したのは、他でもない私でした(11月3日ニュースレター)。12月に、須藤議員(当時)がある議連会合で外務省担当者にこの条文の問題点について問いただしていたことも把握していました。
経緯は分かりませんが、その後、この18条は、今年4月に全面的に書き換えられ、「偽・誤情報」の文言が消えたのです(筆者のX投稿)。

JFC側の「追記」の趣旨は、10月30日版の18条にも誤情報取締りとは書かれていない、削除したり、投稿を禁じたりするような内容ではない、したがって訂正も修正も必要ない、というものだったと理解しています。
申し訳ありませんが、あまりにもナイーブで、かつ、ミスリーディングな説明だと思います。
JFCの記事や「追記」は、私が昨年来、根拠もなく「言論統制」の危険性に警鐘を鳴らしていたかのような誤解も与えかねないので、ひとつずつ問題点を指摘します。
WHOが「誤情報との闘い」で行っていたこと
WHOのサイトには、今でも「オンラインの誤情報と闘う」(Combatting misinformation online)というページがあります。10月版草案18条の文言とそっくりです。

そこには、具体的な取組み内容として、WHOが「YouTubeと連携してCOVID-19誤情報ポリシーを強化」し、大量の動画を「削除」してきたこと、WHOが「プラットフォーム上の誤情報を報告」して、「ポリシー違反のコンテンツ報告と削除」に寄与していることが、堂々と明記されています。
この取組みは今も続き、厚生労働大臣が正式に認定しているワクチン接種者遺族の体験談を語った講演さえも「WHOの公式見解と矛盾する誤情報」と扱われて削除されている現実があるのです(Yahoo!ニュース、theLetter)。
こうした背景事情や文脈を、JFCの古田編集長が全く知らないはずがありません。
取組みが強化された2021年当時、古田編集長はGoogleの契約社員でした。(*2)SIAが主催するワクチンデマ対策シンポジウム(2021年7月)にも河野太郎ワクチン担当大臣やGoogleの担当者とともに登壇しており、事情を知り得る立場にあったはずです。
少なくとも、YouTubeは2021年8月時点で内閣官房と厚労省の協力を得ながら誤情報削除に取り組んでいることを公式に認めていましたので、ある意味、公知の事実でした。

10月草案を無視した理由
こうした事情も知り得る立場にいた古田編集長が「加盟国は・・・誤情報と闘わなければならない」とストレートに書かれた10月30日版の18条について、「ソーシャルメディアから削除したり、投稿を禁じたりするような内容ではありません」と言い切れる理由がわかりません。
古田編集長は10月30日版の18条を6月2日版より簡略化されたものと捉えたようですが、より限定的で具体的な条文から、抽象的な条文に書き換えられることで、解釈の幅が広がり、危険性が高まるということが理解できていなかったのでしょうか。(*3)
そもそも、なぜ数ある草案から、わざわざ古い6月2日版だけ引っ張ってきて、懸念の払拭、打ち消しをしようとしたのか。
10月版の「見落とし」だったならまだしも、「追記」によれば「見落としではない」というわけですから、なおさら問題です。10月版の存在を知りながら意図的に言及せず、古い6月版だけ取り上げたことを認めたことになるからです。
今回の「追記」は、その10月版も「誤情報取り締まり」の懸念のある内容ではなかったとして、言及しなかったことを正当化するものでした。
ここまで読んできた読者であれば、この「追記」の問題性を改めて説明する必要はないでしょう。
6月2日版の18条はこの1項を含めて10月30日版の約3倍の分量があり、10月版よりも具体的です。インフォデミックという言葉は、誤情報や偽情報を含む大量の情報の氾濫を意味しており、JFCとしては10月版よりも6月版を引用した方が過去の議論としてわかりやすいと判断しました。
草案は6月版、10月版だけでなく、WHOでの議論が進むに連れて、数ヶ月単位で変化しています。草案を多数取り上げることは記事の分量を増やし、読者の負担が大きくなるため、6月版の内容が簡略化されている10月版には言及しませんでした。「JFCの見落とし」ではありません。
・・・(略)・・・
楊井氏が引用した2023年10月30日版の18条についても、リテラシーや研究、「科学や証拠に基づいたアプローチを促進する」などという内容に止まっています。偽情報・誤情報を定義して、ソーシャルメディアから削除したり、投稿を禁じたりするような内容ではありません。
アンフェアな手法
JFCが取り上げた須藤氏も、10月30日版が念頭にあり、最近の大幅修正を知らないまま投稿した可能性が十分あったと思われます。(*4)
ところが、JFCの「追記」は須藤氏への確認取材をしなかった点に言及していませんでした。追加的な取材をした形跡もありませんでした。
対象言説の発信者に原則としてコンタクトをとるべきとのルールになっていることは、前回のブログでも指摘したとおりです。私は須藤氏に頼まれたわけではありませんが、アンフェアではないかと指摘していました。
いくら公人と言ってよい存在であっても(投稿当時は前参議院議員で、公職にはついていない)、須藤氏に投稿の意図を確認もせず、あたかも根拠もなく出鱈目な主張をしたかのような印象を広めることは、正当化できないでしょう。
公式見解の鵜呑み
JFCは、「言論統制」につながるような人権侵害の懸念を生じさせるような内容に関する議論が行われたことはない、とする外務省の説明文を無批判に引用していました。この問題点も私は指摘していたのですが、「追記」での言及はありませんでした。

たとえそのような議論があっても、外務省がそうした不都合な事実をはっきり認める可能性は極めて低いのです。
政府間交渉の詳細は公開されていませんが、18条が何の懸念もなかったのであれば、これだけ大きく修正されたでしょうか。
そんな疑問も抱かずに、公式見解をもって自らの検証内容を正当化する。こうした点も、前回指摘した「公開資料に疑義が呈されていれば検証し、徹底的に『事実』に迫る」姿勢が欠如している問題と通底しているように思えます。(*5)
結局、JFCは「記事本文に10月30日版に関する加筆も不要」という立場を取りました。「追記」自体は非常に長いのですが、訂正申し入れに正当な理由はなく「当初の内容で何も問題はなかった」という見解なのでしょう。
一連のSlowNews報道を受けて出したコメントと同様に、問われていることに正面から向き合わないJFCの姿勢が現われた「追記」だったように思います。
【注】
(*1)6月5日、JFCの記事公開と同じ日に、X上で訂正申し入れに関する投稿をした後、同日中にX投稿URLをJFCのお問い合わせフォームから送り、1週間以内の回答を要請した。また、これとは別に、次のように訂正を求める理由を整理して古田編集長に伝えていた。
JFCの記事は、10月30日案に触れずに、それより古い6月2日案だけを根拠に記事化しており、まるで私が唱え始めた「言論統制」リスクの懸念が、根拠のないものであったかのような印象を広めかねないものです。外務省のミスリーディングな説明文も無批判に紹介しています。また、須藤氏が何の根拠もなく出鱈目な投稿をしたのか、古い知識のまま勘違いして投稿したのか、そういう点を何ら取材確認せずに記事化するのもフェアネスの問題があると思います(IFCNのprinciple#4のcriteria参照)。「言論統制につながりうる懸念のある条文案が一時あったが、それは最近になってようやく削除(大幅修正)された」というのが事実です。そのため、訂正を求めることにした次第です。
(*2)古田編集長は2020年9月から2022年8月までGoogle News Lab Teaching Fellowという役職についていた(アーカイブサイト)。
(*3)6月2日版も曖昧な「インフォデミック」概念を使ってinfodemic managementを促進する法制化を加盟国に求める内容を含んでおり、言論統制に繋がりうる危険性が全くなかったわけではない。ただ10月30日版に比べれば、はるかにマシだったというだけのことである。
なお、条約が締結されると、加盟国の政府が「条約が求めていることを実現するために新たな法律を整備する必要がある」と言って、国内法整備の口実として使うことが可能となる。日本国憲法には条約遵守規定があり(98条2項)、国会の立法裁量は制限される(国内法化しないわけにいかなくなる)ことに注意が必要である。
(*4)須藤議員が10月30日版草案の18条について外務省の担当者に「誤情報の判断基準」について質問したのは12月12日だった(須藤氏のX投稿)。
(*5)外務省が「言論統制」などの懸念を打ち消そうとした注意書きは、5月下旬に書き加えられたばかりのものだった(同省への取材で確認)。JFCはこの注意書きからまもない6月5日に、今回の記事を公開している。
【資料】パンデミック条約草案第18条の変遷
18条1項〜3項全体を引用した。なお、草案は他にもいくつもあり、ここに掲載するのは3つのバージョンだけである。和訳は省略したので、Google自動翻訳などで確認されたい。
A/INB/5/6(2023年6月2日版)
※JFCが「言論統制」の懸念を打ち消す際に取り上げたバージョン
Article 18. Communication and public awareness
1. The Parties shall strengthen science, public health and pandemic literacy in the population, as well as access to information on pandemics and their effects and drivers, combat the infodemic, and tackle false, misleading, misinformation or disinformation, including through the promotion of international cooperation. In that regard, each Party shall:
(a) promote and facilitate, in accordance with national approaches, laws and regulations, the development and implementation of risk communication, community engagement, infodemic management, and educational and public awareness programmes on pandemics and their effects, in a way that is broadly accessible;
(b) conduct regular community outreach, social listening, and periodic analysis and consultations with civil society organizations and media outlets in order to identify the prevalence A/INB/5/6 29 and profiles of misinformation, which will contribute to design communications and messaging strategies for the public to counteract misinformation, disinformation and false news, thereby strengthening public trust and promoting adherence to public health and social measures;
(c) promote communications on scientific, engineering and technological advances that are relevant to the development and implementation of national and international rules and guidelines for pandemic prevention, preparedness, response and recovery of health systems, based on science and available evidence, when appropriate;
and (d) take effective measures to increase digital health literacy among the public and within the health sector through education and meaningful engagement, including with clinicians, health sector stakeholders and decision-makers, to foster trust.
2. The Parties shall, as appropriate, conduct research and inform policies on factors that hinder adherence to public health and social measures in a pandemic, including confidence, the uptake of and demand for vaccines, the use of appropriate therapeutics, the use of non-pharmaceutical interventions, and trust in science and government institutions.
3. The Parties shall promote a science and evidence-informed approach to effective and timely risk assessment, mindful of the uncertainty and the evolving nature of data and evidence during a pandemic, when communicating such risks to the public.
A/INB/7/3(2023年10月30日版)
※須藤氏が議員時代に問題提起した時のもので、JFCが無視したバージョン
Article 18. Communication and public awareness
1. The Parties shall strengthen science, public health and pandemic literacy in the population, as well as access to information on pandemics and their effects and drivers, and combat false, misleading, misinformation or disinformation, including through effective international collaboration and cooperation as referred to in Article 16 herein.
2. The Parties shall, as appropriate, conduct research and inform policies on factors that hinder adherence to public health and social measures in a pandemic and trust in science and public health institutions.
3. The Parties shall promote and apply a science- and evidence-informed approach to effective and timely risk assessment and public communication.
(注)6月2日版の第1項にあった(a)(b)(c)(d)の詳細な規定は削除されている。
A77/10(2024年5月27日版)
※JFCが「不正確」判定の根拠としたバージョン(須藤氏の投稿直前に公表されたもの)
Article 18. Communication and public awareness
1. Each Party shall, as appropriate, take measures to strengthen science, public health and pandemic literacy in the population, as well as access to transparent, timely, accurate, science- and evidence-based information on pandemics and their causes, impacts and drivers, as well as on the efficacy and safety of pandemic related health products, particularly through risk communication and effective community-level engagement.
2. Each Party shall, as appropriate, conduct research and inform policies on factors that hinder or strengthen adherence to public health and social measures in a pandemic and trust in science and public health institutions, authorities and agencies.
3. In furtherance of Paragraph 1 and 2 of this Article, WHO shall, as appropriate and upon request, continue to provide technical support to States Parties, especially developing countries towards communication and public awareness of pandemic related measures.
